五、一理の提案

文字数 2,343文字

 二人が出て行くと、水を打ったような静けさが訪れた。洞窟ならではの冷気が皮膚を脅かす。ぞわぞわとした緊張感が漂い、ぶるっと体が震えた。
「ちょっくら話をしようぜ」
一理が傍までやって来て、どかっと腰を下ろした。巴慧はぎくりとした。だが、怯える表情の巴慧を見ると、一理は白い歯を見せて笑った。
「心配すんな。話したくねぇことは無理に話さなくていい。何があったかを詮索する気はねぇし、たとえ何があったとしても、途中で放り出したりしねぇから。それに関しては、あの二人も同じだ」
巴慧は一理の目を見た。真っ直ぐに見返してくる眼光は鋭いが、その光に濁りはない。
「ありがとうございます」
礼を言うと、なぜだか胸がぎゅっと締め付けられた。
「よし、では、答えられることだけ答えてくれ。まずは軍についてだ」
巴慧は頷いた。軍の全容について知る限りの情報を与えると、一理は真剣に耳を傾けた。だが、話が特殊部隊に及び、槍兵隊という言葉が出てくると、その目が強く煌めいた。
「さっきの連中か!つまり、四つの部隊があるってことだな?その四隊長ってのは、どんな奴らだ?」
「詳しくは知らないんです。でも、何度かお会いしたことがあります。戦っている姿を見たことはありませんが、巳玄で最も優れた兵士であることは間違いありません」
「それぞれの隊には、どれぐらいの兵がいる?」
「それも詳しくは知らないんです。正直なところ、軍の情報はほとんど公開されていないので・・・」
巴慧は申し訳なさそうに言った。
「ですが、四つの隊は厳しい試験を突破した者しか入隊できないので、とても強い部隊です。おそらくですが、各隊に千人から数千人ほどいると思います。隊によっては、もっといるかもしれません」
「隊によって、人数の差があるってことか?」
「はい。弓兵隊と槍兵隊は数が多いはずです」
「なるほど。それ以外の兵士は、いわば普通の兵士ってわけだな?」
「四つの隊に属さない兵士は歩兵になります。歩兵は各駐屯地にたくさんいます」
「街の中をえらそうにしてる奴らは憲兵だろ?あれも軍の一部か?」
「いえ、憲兵と軍は異なる組織で、治安を維持するために警備を行うのが憲兵の任務です。巳玄中に派遣されています」
「ほぉー、色んな奴らがいるんだな」
そう呟くと、一理は可笑しそうに口元を緩めた。
「つまり、こういうことか。姫さんを救出するために、槍兵も歩兵もわんさか駆り出されてるってわけだな」
巴慧の表情が暗くなった。未だに槍兵隊が出動していることが信じられない。困惑する巴慧の脳裏に、幼いころの記憶が蘇ってきた。
 
 十歳になるかならないかぐらいの頃に比永の街中で迷子になったことがあった。与佐子が目を離した隙に逃げ出し、裏路地の塀を越えて旧市街の奥深くへ入っていったのだ。最初は楽しく散策していたが、やがて日が暮れ、ぽつんとひとり真っ暗な場所に取り残された。右も左も分からずに泣きべそをかいていると、ひとりの女性が声をかけてくれた。雨が降り始めて急速に気温が下がったため、その晩は誘われるがままに女性の家で一夜を明かすことになった。
 翌朝、商人の男が二人やって来た。広げて見せた色鮮やかな工芸品の価値を巧みな言葉で説きながら、男たちは女の家で和やかなひと時を過ごした。その直後に、与佐子が真っ赤に目を腫らした顔でやって来たのだ。巴慧を見るとわっと泣き出し、その場に座り込んでしまった。

(あのときも、お父様が捜索を命じたんだったわ。でも、誰も何も知らなかった。国司の娘が迷子になったことも、商人に扮した憲兵が夜通し捜索していたことも、何ひとつ知らなかった。街では何事も起きずに、普段通りの朝が訪れた。それぐらい完璧に、隠密に、捜索が行われたから・・・)
今なら分かる。国司の娘が失踪したとなれば国中が騒ぎ立てて、その情報は瞬く間に各国を駆け巡るだろう。父も軍も下手には動けないはず・・・。だからこそ、そこに勝機があると思っていた。むろん、水面下では捜索が行われるだろうが、うまく掻い潜れば逃げ切れるんじゃないか。そう思っていた。
(私はもう子供じゃないわ。国司の娘だってことは誰も知らないし、誰かに守ってもらわなきゃ何もできないわけじゃない。巳玄は治安の良い国だし・・・。なのに、槍兵隊?どうして?なりふり構わずに捜索しなければならない理由が他にあるの?)
眉根を寄せながら考えていると、
「歩兵は大したことなさそうだな。四つの隊に入れなかった奴らってことだろ?」
と一理が言った。
「そんなことないですよ!歩兵と言っても昼夜厳しい訓練を受けているので、戦闘には長けています」
「そうなのか?」
一理は槍兵たちの戦う様子を思い浮かべた。身のこなし、機敏さ、体幹の強さ。確かに一朝一夕で身に着けられるものではない。歩兵も十分な実力を兼ね備えていると思っておいた方がいいか・・・。
「他の国の兵士も同じぐらい強いのか?」
「どうでしょうか。雷虎の軍は強いと聞いたことがありますが」
「雷虎か・・・」
これまで軍の存在について気にしたことはなかったが、俄然興味が湧いてきた。百戦錬磨のツワモノがごろごろいるなんて、愉快この上ない。十貴国は広い。各国に猛者がいるのだろうか・・・。技量は如何ほどか。龍円はどうだ?巳玄や雷虎を上回る軍がいるとしたら、想像するだけで胸が躍る。
(三人対数百、いや、数千、もしくはそれ以上か)
クククと一理の口元から笑みがこぼれた。
(哀れな奴らだ。相手が俺たちだったことが運の尽きだな。けどまぁ、普通に考えれば、恐ろしく強ぇ連中だってことは間違いねぇ)
あの壮馬と言う男の強さには正直驚いた。
(各隊の隊長ってのは、あれより上ってことだろ?それが四人もいんのか)
一理は笑いを抑えることができなかった。
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