二、想定外の攻撃

文字数 1,674文字

 がしゃ、がしゃ―。
 金属音がぶつかり合う音が波のようにうねっている。足を動かす度に、地面を蹴る蹄の音が近づいてくる。
 一理は嬉々として、崖の斜面を蹴った。村を離れてから二年余り、惚けて鈍った体を動かすには絶好の機会だ。曇天の空が背後で揺れ動き、あちこちで鳥が忙しなく鳴いている。
「隊長はどこにいるかな?」
鼻歌交じりに呟く。だが、いかんいかんと首を振り、浮足立つ心を少しでも静めようとしてひとつ、咳払いをした。 
 雷のような速さで一気に距離を縮めると、一理は一際背の高い木の上で動きを止めた。耳を澄まし、敵の正体を探る。その数、五十六名。西から北上した後に東の方へ進み、今は三鷹山の八合目辺りを走っている。
 方向転換し、敵を追って東へ突き進んできた一理は意味深な笑みを浮かべた。激しく躍動する一団の中に、なにやら異質な気配を放つ者がいる。獣のように荒々しく、雷神のように猛々しい何者かが、追って来いと挑発している。
「いたいた!」
見なくても分かる。殺気をまき散らしながら駆けているこの人物こそが、お目当ての隊長に違いない。
「さっさと追って来いってか?望むところだ!」
狼のような目を輝かせて、木の天辺から飛び降りた。
(楽しませてくれよな、槍兵隊長さん!)
心の中で叫びながら音も立てずに着地すると、一理は動かす足を更に加速させた。

 飛躍を繰り返す度に回転していく景色が赤く染まった。視線を僅かばかりに持ち上げると、沈みゆく太陽が黒々とした雲に無数の光線を放っている。沈む前に見せる最後の足掻きが最も美しいとは、この世は不思議で、実に皮肉だ。沈みたくないと抗う太陽を雲が容赦なく覆い隠し、辺りは一気に闇に包まれた。
「くそ、振ってきやがった」 
大粒の雨が雑音と共に落ちてきた。思わず舌打ちをして、頬を伝う雨雫を手の甲で拭う。と同時に、巴慧とカイリの顔が浮かんだ。急がなければ、雨に泥濘(ぬかる)んだ道では下山が困難になる。
「さっさと片づけるぞ」
そう呟くと、一秒と待たずして、「了解」という善の声が返って来た。
 一段と速度を上げて山中を駆けていたが、ふと、その足が止まった。衣の隙間から侵入してくる生温い風の中に、なにか嫌なものを感じる。そろりと漂ってきた霧がいつの間にか濃霧に変わり、山全体を深い闇に落としている。
 槍兵隊はすぐ近くにいる。勢いそのままに突撃するかに見えたが、一理は動きを止めたまま慎重に辺りを窺った。
 やはり、そうだ。槍兵隊とは異なる気配を感じる。静かすぎる息遣いが湿気と共に耳へ伝わり、ぞわぞわという経験したことのない感覚が肌へ侵入してきた。
(なんだってんだ、いったい)
はっきりとした違和感を覚えるが、それがなんなのかさっぱり分からない。だが、動こうとすると背筋が強張り、本能が「動くな」と訴えかけてくる。
 木の幹に身体を密着させて動きを注視していると、風が止み、不自然な静けさが訪れた。と同時に、一理の鼻がぴくりと動いた。微かな異臭が鼻腔を伝う。だが、それが脳に到達する前に高く跳んだ。

しまった!

空中で素早く身を翻し、逆方向へ跳ぼうとしたその時、背後で激しい爆発音が起こった。暴風が背中を打ち、木っ端みじんに砕け散った木の破片が肌を切りつける。
「うああっ!」
一理は身を庇うより先に手で耳を覆った。爆風に飛ばされる体を立て直してから、なんとか大樹の枝に掴まる。だが、幹の裏側へ身体を滑り込ませる直前に、再び爆発音が立て続けに起こった。

耳に激痛が走る。
 
だが、攻撃は止むことなく、瞬く間に四方八方へ広がっていった。
(くそっ!)
一理は素早く木の最頂部へ登って行った。
「なんだってんだ!」
鼓膜が破れそうだ。痛みに顔を顰めながら状況を視認すると、一理の目が大きく見開かれた。
「どういうことだ?どうなってんだ!」
これだけの爆発だ。すでに、この一帯は炎に包まれていなければおかしい。だが見渡す限り、火の手はおろか、煙すら上がっていない。
(爆竹か?)
そう思ったが、すぐにその考えを否定した。これは、そういった類のものではない。爆竹よりも遥かにその威力は凄まじい。
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