憎しみは拭えない(1)

文字数 1,549文字

 シラヌイちゃんは、奥に座る僕たちに向かって自分の左手を差し出し、その掌を上向きに開いた。
「藤沢さん、少しだけ私に、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)を貸してくださいません?」
「いいわよ……」
 そう言って立ち上がった耀子先輩の右手には、どこから取り出したのか、逆反りの抜き身の刀が握られている。先輩は、その刀を鞘に収める時の様に、8の字に振って逆手に持ちかえると、シラヌイちゃんに近づいて行き、刀の柄の先の部分を、彼女の開いた掌に預けた。
 ちょ、ちょっと待ってください! それ、本当に斬れる刀なんですか?!
 もしそうなら、僕たち、保険どころか、シラヌイちゃんの暴走を後押ししてることになるじゃないですか?!

 部外者として控えていた筈なのに、我を忘れた僕は、思わずシラヌイちゃんに向かってこう叫んでいた。
「シラヌイちゃん、いくら何でもあんまりだ! その人は、シラヌイちゃんの実のお兄さんなんでしょう? それを……」
「幸四郎……。会わせたのは私たち……。会わせた以上、斯うした未来は、当然予想すべきことなのよ」
 シラヌイちゃんに刀を渡し、戻ってきた耀子先輩は、僕の隣に座ると僕の発した抗議に反論した。でも、なんで……。

「橿原先生、確かに私宅で斬首沙汰と云うのも、少々無粋でございますわね……」
 シラヌイちゃんは、僕に返事を返した。
「謀叛は晒し首がご定法ですが、藤沢さんと橿原先生が、見なかったことにすると仰有るなら、不問に付しても構いません」
 シラヌイちゃんは、ちょっと脅かしただけだったんだ……。正直、僕は心臓が停まるかと思った。
「但し、この会談をこれ迄とすることが条件です。まだ何か言いたいと云うのであれば、ご定法通り、その者たちの首、一刀にて落とすことと致しましょう……」
 だが、2人は微動だにしない。
「これが最後です。早々に諦めて下がらねば、その頸、斬り落とします……」
「構いません。それで母に会って下さるのであれば……」
「その様な約束をした覚えはありません!」
 シラヌイちゃんは立ち上がると、軽く腰を落とし、片膝を前に、巻藁でも薙ぐかの如く刀を横に一閃する。すると、顔を起こした上の兄の頸は、椿の花の様にポロリと下へと落ちていった。
 残った兄は、それを見て、思わず口に溜まった唾を飲み込む。だが、その恐怖にも、上の兄は逃げ出さずに、座ったまま、ただシラヌイちゃんを見つめていた。あれ? 斬られたのは、下の兄さんの方だったかな?
「逃げるなら今の内です。敢えて追いはしません。逃げて、そのまま、もう二度と顔を見せないでください」
 シラヌイちゃんは淡々と脅しの言葉を口にする。そして、残った兄が逃げないのを確認すると、2人目の兄の頸も言葉と同じ様に、淡々と、力むこともなく、刀を横に薙いで跳ね落とした。

 そこには、跪いたままの頸の無いふたつの死体と、転がり落ちた2つの生首があるだけだ。いや、あるだけだった筈だ。あれ?
「沼藺、貴女の負けじゃないかしら? 勝負に負けたんだから、少しは考えあげてもいいんじゃない?」
 耀子先輩は、そう旧友に声を掛ける。
 そう、2人の兄の頸は落とされていなかった。恐らく、シラヌイちゃんは、2人の兄に催眠術を掛けて、もうひとりの兄が殺された様な幻覚を見せていたのだろう。僕は第三者の位置に居たので、どちらのお兄さんが殺されたのか分からない様な、半端な幻覚を見せられてしまったのに違いない。
 シラヌイちゃんは、暫くそのまま動かずに黙っていたのだが、意を決したのかやっと言葉を口する。
「分かりました……。あの人にあってみましょう。でも、兄たちとは違い、あの人の場合は、本当に殺してしまうかも知れない……」

 でも、どうして直接虐めていた2人の兄より、手を出していない筈の母親の方が憎いんだろうか……?
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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