幽霊医者の依頼(4)

文字数 1,687文字

 染ノ助君は渋っているようであった。
「海図にも乗っていない場所に、あなたの方向指示だけで船を出せって言うのですか? そんな、無茶苦茶な……」
 彼はそう言うと、今度は僕に同意を求めてきた。
「先生はこんなの、信じられるってんですかい? いくらなんでも……」
「僕は耀子先輩を信じるだけですよ。彼女は人間離れした不思議な力を持っているんです。だからこそ、あの華佗って幽霊も先輩を頼るのだし、僕も不思議探偵なんてことを続けていられるんです」
 勿論、耀子先輩がいなくても、僕は不思議探偵を始めていただろう。だが、彼女がいなかったら、僕は簡単に物の怪に憑りつかれ、殺されていたのではなかろうか?
「松野さんが、私を信用出来ないと言うのであれば、それはそれで仕方ありませんわ。蓬莱島には私たちだけで行きますから、気に為さらないで下さいね」
 ここまで連れて来ておいて、それは無いだろう……と僕は思うのだが、耀子先輩にしてみれば、これでも最大限の譲歩に違いない。
 それにしても……、そうなると、僕たちは誰の船で蓬莱島に渡るんだ?
「分かりました……」
「ご免なさいね。もっと早く説明するべきだったわよね……」
「いえ。私もご一緒しますよ。文字通り乗りかかった船です。泥舟だろうと何だろうと、それに私も乗っかろうじゃありませんか!」
 少し間を置いて、耀子先輩が染ノ助君に礼を言う。
「松野さん、ありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ……。なんか、私、ワクワしてるんですよ。行き先も、どうなるかも分からない旅。将に冒険って感じがしやぁしませんか? 子供の頃に戻った感じってんですかねぇ。初舞台の時みたいですよ!」
 そんなことを話していると、男風呂の方に別のグループが入ってきた。今、脱衣してる所なので、ここいらで話は終いにした方が良いだろう。
「耀子先輩、終わりにしましょう。他のお客さんがこっちに入って来ます」
「分かったわ。じゃあ、また明日。でも、橿原先生、夜這いに来ちゃ駄目よ。明日は忙しいんだから……」
 行きませんよ。その心算なら別の部屋にして貰った時点で抗議してますって……。オートロックなんだから、それで締め出されでもしたら、情けないじゃないですか?
「あら? それ、見てみたいわ!」
 冗談じゃない! 勘弁してください!
 僕はそう言いかけたが、別のグループの最初の人が入ってきたので、声には出さなかった。ま、声に出さなくとも先輩には伝わっているだろう。彼女には、読心術と云うものがあるのだから……。

 翌朝、僕らは予定通り朝食を済まして、ロビーに集合した。
 耀子先輩は黒のパンツスーツを着こなし、相変わらず凛々しく美しい。染ノ助君も役者の息子だけあって、中々決まっている。
 レンタカーはと云うと、耀子先輩が稚内駅前で借りたヤリスで、出発の準備が既に出来て駐車場で待っている。
 何も躊躇することはないのだ。僕らは借りた車に乗り込んで、北端にある幌泊マリーナへと主発した。

 アツモリロードと名付けられた車道二車線の道路は、島の東岸のエッジをトレースするように進んで行く。残念ながら天気はそれ程良くはなく、灰色の空から凍り付く様な冷たい風が吹き付けていた。
 2つ目の小さな漁港を過ぎた時、それまで黙っていた耀子先輩が、運転席から僕たちに言葉をかける。
「この次の漁港の辺りで海から離れるわ。そして湖が見えてくる。そこまで来れば、目的地は目と鼻の先よ」
 助手席の僕は、なんか妙に短い旅程に驚きを隠せない。距離的には20キロ程度なのだろうが、信号待ちがないので少々物足りないくらいだ。
 後部座席では、染ノ助君が一つ目鴉の食事に付き合っている。 染ノ助君はホテルで朝食が摂れたのだが、一つ目鴉はそう言う訳にはいかない。そう言う訳で、奴はここで腹ごしらえをしておく心算らしい。
 ここまでは何の問題もなく、全てが順調であった。この後、染ノ助君の知り合いに挨拶して船を借りるだけだ……。
 僕はトラブルは、海に出てから起こるものだと高を括っていた。だが、僕たちはクルーズ船で海に出ることは、残念ながら叶わなかったのである。
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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