憎しみは拭えない(4)

文字数 1,857文字

 また寝てしまった……。気が付くと、そこはもう既に別の場所だった。
 僕は耀子先輩とのキスは嫌いではない。寧ろ大好きと言っても良いだろう。だが、少し控えた方が良いかも知れないな……。出来ればの話なのだが……。

「あ、耀子先輩、済みません……」
 それにしても情けない……。肩を貸してくれている先輩に、僕はまずお詫びを言った。
「起きました、先生? 私とのキスがそんなに素敵だったかしら?」
「もう、素晴らし過ぎて気を失う程ですよ」
「ま、お上手。だから先生のこと大好きなの! 帰りは、もっと濃厚なキスしてして差しあげますわ!」
 耀子先輩は、僕の冗談にそんな軽口で返す。勿論、キスされることに文句などは無いのだが、多少呆れた顔をしておかないと、僕が彼女に首ったけなのが彼女に伝わってしまう。彼女がいくら読心術の天才だからと言って、このことだけは、気付かれる訳には行かないのだ……。

 気を取り直して前を見ると、そこは既にシラヌイちゃんと、彼女のお母さんらしき人との再会の場面に変わっていた。
 あまり裕福そうでない民家の一室。敷かれた蒲団には、痩せ細った老女が横になって、僕たちの前にいるシラヌイちゃんに手を差し伸べ、何か言いたげに震えている。
 だが、シラヌイちゃんは手を握り返すどころか、老女に近づこうともしなかった。彼女はただ、少し離れた場所に立ったまま、苦しむ老女を無言で眺めているだけだったのだ。
 老女も、手を差し伸べているのが辛かったのか、暫くすると諦めた様に手を床へと落としてしまう……。
 この重苦しい場面は、数分の間続き、シラヌイちゃんが踵を返して部屋を去っていくまで、ずっと変わらなかった……。
 彼女は、無言のまま僕と耀子さんの脇を抜け、2人の兄たちにも挨拶せず静かに部屋を出ていく。兄たちは、そんな妹を無言で見送っていくしかなかった……。
 どこからか、忍び泣く様な声が聞こえてくる。だが、それが何かのか? 僕は敢えて確かめることはしない……。

 僕と耀子先輩も、シラヌイちゃんに続いて部屋を出た。シラヌイちゃんが去った今、もう、この部屋に用はない。
 部屋に出ると、耀子先輩は僕を見つめて立ち止まる。僕はそんな彼女に声を掛けた。
「シラヌイちゃんのお母さんに対する憎しみは、結局、最後まで拭うことが出来なかったんですね……」
「それはどうかしら……。さ、私たちも帰りましょうか……」
 耀子先輩は僕に抱き付いてくる。
 僕はそのまま何も言わず、ただ先輩を抱き締めた。すると、耀子先輩は顔をあげ、無言のまま目を閉じる。
 その表情に誰が抗えると言うのだろう?
 彼女の魔力に捉えられた僕は、重力に引かれ、物が下に落ちるのと同じくらい自然に、彼女に唇を重ねていた。
(先生、済みませんけど、こうしないと許して貰えないみたいですわ……)
 そして……。
 また、寝てしまった……。

 僕は新幹線の座席に座っていた。横を見ると隣で耀子先輩が眠っている。それにしても、なんて素敵な寝顔なんだろう……。
 僕は電車の振動が心地よく、そのまま寝り込んでしまったのに違いない。それで、あんな夢を見たのだろう。
 耀子先輩といると、不思議な事件が向こうから次々と押し寄せてくる。それが強く潜在意識に残っているのか、よく僕は変な夢に魘されるのだ。あれもその類いだろうと思う。
 だが、あれは本当に夢だったのだろうか?
 あれ……? 抑々(そもそも)、何の夢だったかな?
 それにしても僕たちは、何の為に東北新幹線にまで乗って旅に出たのだろう? そんなことも僕は覚えていない。
 特急券を見ると、新幹線で新花巻まで、乗車券で遠野に行こうとしているらしい。僕たちは、遠野で河童見物でもする心算だったのだろうか?
 耀子先輩が薄目を開いた。
 ま、馬鹿にされるだろうが、耀子先輩に聞いてみるより仕方ないだろう……。
「藤沢さん、僕たち、何で新幹線に乗ってるんですか?」
「もう、先生、冗談は止めてください。忘れたんですか?」
「ボケたのかな……。年だし……」
「え、本当に忘れたんですか……? 勘弁してくださいね。この旅行は先生が言い出したんですよ。『遠野のどぶろく祭りに行こう』って……。それでついて来たのに……」
「ははは、そうだったね!」
「もう、先生。そんなこと言った罰です。全部、先生の奢りにして貰いますからね」
 どうせ、最初から、先輩はその心算だったんでしょう? ま、構いませんよ。耀子先輩と旅行できるのなら、フィールドワークだろうが、観光だろうが、僕には何だって天国みたいなもんですからね!
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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