配偶者選び(1)
文字数 2,081文字
今にも崩れ出しそうな薄暗い曇天の中、克哉さんの父親の車は、直ぐ近くにある一件のお屋敷の敷地に入っていくと、幾つも並んでいる海鼠 壁の倉の、一番手前にある倉の前に停まった。
この村の土地は、付近の山林も含め、全てこの大地主の敷地であり、村長も代々この一族の者から選ばれているらしい。
克哉さんの父親に由ると、あの青年母子が超越した特別な存在で、その管理者、神の信託を預かるシャーマンにあたる立場が村長一家。そして、その村長一家を中心に村が構成され、村はひとつの家。村民全てが家族なのだそうだ。
克哉さんの父親は車を降りると、倉に向かいその扉を開いた。鍵は掛っていない。外側の扉を開くと、内側の扉は蜂の巣状に編まれた針金が施された引き戸があって、それも何事もなく開いた。
僕も車から降り、もう熟睡に近い耀子先輩を後部座席から引摺り出し、克哉さんの父親と二人係りで倉へと運び入れる。
倉の中は灯りもなく、明かり取りの窓からの光しか入らない様であった。倉には幾つもの肘掛け付きの椅子が置かれていて、克哉さんの父親と僕は、耀子先輩を奥の空いた椅子に座らせてから、妹さんを運び込んで同じように隣の椅子に座らせた。
もう既に、幾つかの椅子には白い裳を身に付けた美しい女性が、目を閉じて、死んだ様に眠っている。そう言えば、白い裳の匂いか、あるいは倉に染み着いた匂いだろうが、ひどく甘い香りが辺りに漂っていた。
克哉さんの父親は、倉の扉を元通り閉めると、無言のまま僕を助手席に乗せ、車を走らせ自分の家へと戻った。その時の彼の表情は、僕には何とも表現のしようのないものであった。
耀子先輩たちが倉に運び込まれてから先、僕には何がどうなったか、分かる由もない。
倉に忍び込んで、中を探ろうとも考えたのだが、僕の第六感とも言うべき、もう一人の僕が、僕の心の中で「止めろ」と警告してきたのだ。
その換わりと云うのだろうか、僕が目を閉じて妄想していると、倉の中の状況が瞼の内に浮かんできた。
勿論、それは僕の想像の産物に過ぎないのだ。だから現実であろう筈はない。それでも、何もせずに待っているのは不安だったので、僕は妄想に心を委ねていった……。
倉の中の灯りは明かり取りだけであったが、目が慣れてくると色々な物が見えてくる。そこは、会議室の様な板張りの殺風景な場所で、椅子だけが円を描くように並べられていた。僕のイメージでは、女性が並べて寝かされていると云うものだったが、配偶者選びはこの倉で、女性を椅子に座らせたままで行うらしい。
その後、何度か倉の扉が開き、若い女性が倉の中へと運ばれてくる。その度ごとに倉の中はパッと明るくなり、目を慣らすのに暫く時間が掛った。
耀子先輩たちを運び入れた時の匂いは、どうやら部屋の隅に置かれている香炉から漂ってくるらしい。そこで、何らかの香が焚かれているのだ。
確かに、匂いには、リラックス効果など色々の効果があるものだ。この香の効果は分からないが、香を焚くことで、配偶者選びの雰囲気をより盛り上げようと云うのではないだろうか?
その時、僕の心の中で、誰かがこの香についての説明を加えてくれる。
(この香は催淫効果があるみたいね……)
(え? 何の為に?)
(そのまま、彼が試せる様にかしら?)
確かに、青年が婚前交渉を試みようと思っても、相手が昏睡状態じゃ女性側の身体の準備が出来てないだろう。そう考えれば、あり得ないことではない。だが、これだけの数の女性を試すなんて、余程の絶倫でなければ不可能だ。僕なら絶対御免被りたい。
(あら? 根性ないのね……嫌われるわよ)
僕は妄想で時間を潰しながら、合間を縫って、克哉さん処で朝昼兼用の食事を摂った。
だが、僕も、克哉さんの父親も、二人のことが矢張り気になってしまい、食事もどうでも良い気分だった。そんなこともあり、昨日の残りの猪鍋の具を丼飯に掛け、それで済ましている。
倉で動きがあったのは、昼の一時を過ぎたころであった……。
倉の扉が開かれ、眩しい光の中、誰かが倉に入ってくる。烏丸眼科に来た例の青年だ。
彼は扉を閉めると、内側から閂を掛け南京錠を締める。内側から鍵を掛けられるとは不思議な造りの倉であるが、兎に角、これで外からは誰も入って来れず、中からも鍵がなければ逃げ出せはしない状態になった。
(どうやら、催淫剤は彼の為の様ね……)
(青年の為?)
(彼が獣 の様になれるように……)
それにしても、僕の心の中の声は恐ろしいことを言う。
倉の中の暗がりに、僕は目が慣れてきた。青年も、恐らくもう目が見える様になっている筈だ。
青年は一通り女性の姿を見回すと、一人の女性へと近づいていく。そして、その女性の顔に自分の顔を近づけ、少し首を傾げた。
僕は、青年がその女性にキスをするものかと思ったのだが、彼はそうはしなかった。彼は顔を近づけただけで何もせず、ただ一言呟いたに過ぎない……。
「恵美子……」
彼の声が聞こえた。口の動きから、そう感じたのかも知れない。あるいは、彼ならそう言うだろうと僕が思ったからか……。
この村の土地は、付近の山林も含め、全てこの大地主の敷地であり、村長も代々この一族の者から選ばれているらしい。
克哉さんの父親に由ると、あの青年母子が超越した特別な存在で、その管理者、神の信託を預かるシャーマンにあたる立場が村長一家。そして、その村長一家を中心に村が構成され、村はひとつの家。村民全てが家族なのだそうだ。
克哉さんの父親は車を降りると、倉に向かいその扉を開いた。鍵は掛っていない。外側の扉を開くと、内側の扉は蜂の巣状に編まれた針金が施された引き戸があって、それも何事もなく開いた。
僕も車から降り、もう熟睡に近い耀子先輩を後部座席から引摺り出し、克哉さんの父親と二人係りで倉へと運び入れる。
倉の中は灯りもなく、明かり取りの窓からの光しか入らない様であった。倉には幾つもの肘掛け付きの椅子が置かれていて、克哉さんの父親と僕は、耀子先輩を奥の空いた椅子に座らせてから、妹さんを運び込んで同じように隣の椅子に座らせた。
もう既に、幾つかの椅子には白い裳を身に付けた美しい女性が、目を閉じて、死んだ様に眠っている。そう言えば、白い裳の匂いか、あるいは倉に染み着いた匂いだろうが、ひどく甘い香りが辺りに漂っていた。
克哉さんの父親は、倉の扉を元通り閉めると、無言のまま僕を助手席に乗せ、車を走らせ自分の家へと戻った。その時の彼の表情は、僕には何とも表現のしようのないものであった。
耀子先輩たちが倉に運び込まれてから先、僕には何がどうなったか、分かる由もない。
倉に忍び込んで、中を探ろうとも考えたのだが、僕の第六感とも言うべき、もう一人の僕が、僕の心の中で「止めろ」と警告してきたのだ。
その換わりと云うのだろうか、僕が目を閉じて妄想していると、倉の中の状況が瞼の内に浮かんできた。
勿論、それは僕の想像の産物に過ぎないのだ。だから現実であろう筈はない。それでも、何もせずに待っているのは不安だったので、僕は妄想に心を委ねていった……。
倉の中の灯りは明かり取りだけであったが、目が慣れてくると色々な物が見えてくる。そこは、会議室の様な板張りの殺風景な場所で、椅子だけが円を描くように並べられていた。僕のイメージでは、女性が並べて寝かされていると云うものだったが、配偶者選びはこの倉で、女性を椅子に座らせたままで行うらしい。
その後、何度か倉の扉が開き、若い女性が倉の中へと運ばれてくる。その度ごとに倉の中はパッと明るくなり、目を慣らすのに暫く時間が掛った。
耀子先輩たちを運び入れた時の匂いは、どうやら部屋の隅に置かれている香炉から漂ってくるらしい。そこで、何らかの香が焚かれているのだ。
確かに、匂いには、リラックス効果など色々の効果があるものだ。この香の効果は分からないが、香を焚くことで、配偶者選びの雰囲気をより盛り上げようと云うのではないだろうか?
その時、僕の心の中で、誰かがこの香についての説明を加えてくれる。
(この香は催淫効果があるみたいね……)
(え? 何の為に?)
(そのまま、彼が試せる様にかしら?)
確かに、青年が婚前交渉を試みようと思っても、相手が昏睡状態じゃ女性側の身体の準備が出来てないだろう。そう考えれば、あり得ないことではない。だが、これだけの数の女性を試すなんて、余程の絶倫でなければ不可能だ。僕なら絶対御免被りたい。
(あら? 根性ないのね……嫌われるわよ)
僕は妄想で時間を潰しながら、合間を縫って、克哉さん処で朝昼兼用の食事を摂った。
だが、僕も、克哉さんの父親も、二人のことが矢張り気になってしまい、食事もどうでも良い気分だった。そんなこともあり、昨日の残りの猪鍋の具を丼飯に掛け、それで済ましている。
倉で動きがあったのは、昼の一時を過ぎたころであった……。
倉の扉が開かれ、眩しい光の中、誰かが倉に入ってくる。烏丸眼科に来た例の青年だ。
彼は扉を閉めると、内側から閂を掛け南京錠を締める。内側から鍵を掛けられるとは不思議な造りの倉であるが、兎に角、これで外からは誰も入って来れず、中からも鍵がなければ逃げ出せはしない状態になった。
(どうやら、催淫剤は彼の為の様ね……)
(青年の為?)
(彼が
それにしても、僕の心の中の声は恐ろしいことを言う。
倉の中の暗がりに、僕は目が慣れてきた。青年も、恐らくもう目が見える様になっている筈だ。
青年は一通り女性の姿を見回すと、一人の女性へと近づいていく。そして、その女性の顔に自分の顔を近づけ、少し首を傾げた。
僕は、青年がその女性にキスをするものかと思ったのだが、彼はそうはしなかった。彼は顔を近づけただけで何もせず、ただ一言呟いたに過ぎない……。
「恵美子……」
彼の声が聞こえた。口の動きから、そう感じたのかも知れない。あるいは、彼ならそう言うだろうと僕が思ったからか……。