沈む蓬莱島と共に(4)

文字数 2,403文字

 8時にはなっていなかったが、耀子先輩が来た時点で、パーティーは時間前に始まった。加藤部長と染ノ助君は既に僕の家に着いていたし、食事の準備も終っていたからだ。
 一つ目鴉は、耀子先輩が心配かけたと、散々僕に文句を言っていた癖に、耀子先輩が現れた途端、嬉しそうに笑って(鴉の笑い顔はよく分からないが、多分笑っていたんだと思う)、先輩の帰還を歓んでいた。
 耀子先輩も流石に悪かったと思ったのか、皆で楽しめる菓子を、上野広小路のうさぎやで買って来ている。
「皆さんに心配かけて申し訳ありません。あの後、漂流していた私は、運良く自衛隊の船に助けられたんです……」
 耀子先輩は、そう言って部長や甘樫さん夫妻を誤魔化したのだったが、染ノ助君と一つ目鴉は全く信じていない様子だった。
 特に染ノ助君は、不思議な世界が本当にあると信じ込んでしまった様で、酔った勢いでこんなことまで言い出している。
「私は決めました。私は橿原先生の家に住み込み、不思議探偵の見習いをさせて貰おうと思ってます」
「ははは。構いませんよ。部屋は余っているし、どうせ1人分食費が増えたって、大して変わりはしませんからね……」
 僕は染ノ助君の言葉を冗談だと思って、そう答えた。それはそうだろう。仮にも歌舞伎役者だった人間が、何が悲しくて、しがない眼医者の家に住み込まなきゃならないんだ。
 後で本気だと知った時は、正直、目が点になった。「お父さんが許さないでしょう」と言ったのだが、なんと「父は『それも良いんじゃないか? 芸の肥やしになる』って、歓んでました』と答えている。
 この人たちは何を考えているんだ?
 僕はそう思うのだが、酔っていたとは言え、オーケーだと一度言ってしまったので、彼の住み込みを拒否することは、もう出来そうにはなかった。

 サプライズと言えば、もう1つ……。耀子先輩が持って来た物があって、そいつには僕も肝を冷やさずにはいられなかった。
「橿原先生、これ、先生の家で育てて下さらないかしら?」
 先輩が皆に披露した水栽培の鉢を見て、甘樫さん夫妻を除く全員が凍りついた。それは間違いなく海妖樹の幼木だったのである。そう、根が蚯蚓の様に動くなんて木は、海妖樹以外には考えられない。
「耀子先輩! なんて物を持って来るんですか!!」
「大丈夫ですよ。人喰い草って訳じゃないですし、花を咲かせるには、あと千年は必要じゃないかと思いますわ」
「そう言うことじゃなくて……」
「人間の都合で海妖樹を滅ぼすの、嫌がっていたのは先生じゃないですか? それに、海妖樹は高い知性があるから、逃げ出したり勝手をしたら生きていけないこと認識してますよ。ですから、こうやって水栽培になることも妥協してるんです」
 無茶を言うんじゃない!
「あら、この樹、助けてくれるって聞いて、涙まで流して感謝してたのに……。あ~あ、一度助けるって言って置いて、態と喜ばせてから殺すなんて、橿原先生って、ほんと、何て残酷なのかしら……」
 おい、そんな言い方、卑劣だぞ! 大体、樹は涙を流さんだろう……。
 染ノ助君が笑いだした。
「先生、育ててみましょうよ。不思議探偵の家に置いておくには、丁度良いオブジェじゃないですか?」
 全く、冗談じゃない……。
 とは言ったのだが、結局、この海妖樹の水栽培は僕の家で育てることになってしまう。
 何人もの人間を殺した張本人(樹)の苗木なんだぞ。本当、勘弁して欲しいな……。

 結局、その賑やかな会は深夜まで続き、加藤部長と染ノ助君は、甘樫さんが呼んでくれたタクシーで帰っていった。
 本来、夜は寝ている筈の一つ目鴉、朝が早い甘樫夫妻も眠りに着いて、僕と耀子先輩がふたりきりになれたのは、有明の月が中天高く輝く時刻になっていた。

 僕と耀子先輩は、夜風が気持ち良かろうとベランダに出た。輝かくばかりの月が僕たちを包み込む。
「耀子先輩、月が綺麗ですね……」
「私もよ……」
 時々、耀子先輩は訳の分からない事を言う。ま、それが良い所でもあるのだが……。
「本当に、心配したんですからね……。もう、ああ云うのは止めてくださいよ」
「ご免ね、幸四郎……」
「どうして、耀子先輩は、あんな、人を心配さすことばかりするんですか?」
 それには、先輩も答え難そうだった。確かに良い質問ではないな……。
「私、不安になるの……。私は誰からも必要とされてない。誰からも愛されてないって。
 それで、私のことを誰かが心配してくれると、少しだけ安心できるのよ……。
 でも、私、耀公主の力を貰ってから、誰からも心配されなくなったわ……。それは、私が強くなったからだとは、理性では理解してるのよ。でも、矢張り不安になるの……。
 でね、つい、態と心配させるようなことをしちゃうの。幸四郎には辛い思いをさせて、本当に悪かったって思っているわ……」
 確かに耀子先輩が死ぬところなんか、誰も想像ができないだろう……。それは僕もだ。
 でも、矢張り僕は心配になりますよ。
 耀子先輩の場合、本当に死ぬんじゃなくて、死んだ振りをして、どこか、僕の行けない別の世界に行ってしまうんじゃないか。そんな不安が僕にはあるんです。
「大丈夫。私は去ったりしない……。
 私の兄が行方不明になった時、血の繋がりなんか無かったのに、養父母は物凄く嘆き悲しんだわ……。だから、私は皆に、そんな思いだけはさせたくはないの……」
 そうして下さい……。
 耀子先輩がいなくなったら、みんな悲しみますよ。他の誰も悲しまなかったとしても、僕は絶対に悲しみます。ですから、僕にそんな思いだけはさせないでください。
 お願いします……。

「月ってエッチよね。昼も夜も現れて、ずっと私たちを覗いているのよ!」
「え?!」
「でも良いわ。今晩は少し月に見せつけて遣りましょうか? 焼餅を焼く程に……」
 耀子先輩はそう言って、僕にキスをしてきた。うん。今夜は良い眠りにつけそうだ。
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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