シラヌイちゃんの決断(4)

文字数 2,030文字

 耀子先輩に連れられて僕たちが通された部屋、そこはシラヌイちゃんの私室なのだろうか、茶室の様な小ぢんまりとした和室で、落ち着いた文机だけが置かれていた。
 そして、その文机の前には、薄桃色の振り袖を身に付けた、前髪プッツン黒髪少女がこちらに背を向けて座っている。
 勿論、それはシラヌイちゃん。
 僕たちが部屋に入ったのを確認すると、こちらを向いてキッと(にら)みつける。
 シラヌイちゃんの2人の兄は、シラヌイちゃんの姿を見た途端、その場に跪いて額を畳に擦りつけた。
 それが、高貴な人への敬意の為か? それとも、罪を償おうとする意志の現れだったのか? 部外者の僕にはちょっと判別が付かない。だが、兄と妹の再会の図にしては、それはあまり普通とは思えない景色であった。
 僕は耀子先輩の視線に促され、入って直ぐの襖の前に腰を下ろして兄妹再会の成り行きを見守る。耀子先輩も僕の隣に正座した。

「霊狐シラヌイ様、ご機嫌麗しく……」
「挨拶はいいです。簡潔に要件だけ申します。私はあなた方の母に会うことは、決してありません」
 上の兄が顔を上げ、シラヌイちゃんにしがみつかんばかりの懇願をする。
「シラヌイ様、後生です。ひと目だけ、ひと目だけでも……」
「お断りします。私のあなた方への恨みは、消そうとしても、消すことが出来ませんでした。ですから、どうしても消せない恨みは、全て忘れることにしたのです。私はあなた方の顔を見ると憎しみを思い出します。以後、二度と顔を見せたりはしないでください」
 僕はこれ程、冷たい表情のシラヌイちゃんを見たのは初めてだった。この姿しか見ていない人には、彼女は酷く冷たい人間だと感じてしまうに違いない。
「シラヌイ様!」
 もうひとりの兄も、顔を上げ、実の妹に涙ながらの懇願をする。だが、シラヌイちゃんの冷たい視線は、二人を見下ろしたまま少しも動こうとはしない。

 この後も、お兄さんたちの説得は延々と続いた。だが、正直言って上手ではない。どちらのお兄さんも、自分たちの母親が危篤で、もう長くない。沼藺に会いたがっている。これらを繰り返すだけだった……。
 母親の病名や、衰弱した状況をいくら話しても、恐らくシラヌイちゃんには何も届きはしないだろう。僕はそう思う。危篤なのだ。重病で弱っているのは当たり前……。
 彼らが先ずすべきことは、シラヌイちゃんに謝罪すること。母親も謝罪したがっていると訴えること。そして、家族としての絆を取り戻すことではないだろうか? そして、その絆を取り戻して、初めて母親の病状を伝えるべきじゃないのか……?
 母親が危篤だから会ってくれ……。それだけでは、血縁関係をネタに、金の無心を願っている様にしか聞こえて来ない。
 耀子先輩は、僕の考えに同意も反論もしなかった。僕らが会話することは、この会談に影響を与える可能性があるからだろう。ならば、僕も感想を口にすることは控えよう。もし、僕らの会話でどちらかの不利益になったら、取り返しがつかないことになる。

「話はこれで良いですか? 約束通り、話は聞きました。これについて私が応えることは、もう何もありません」
 シラヌイちゃんが冷たく言い放った。
「シラヌイ様! 母が、母が、危篤なのです!」
「政木の領内には、何万という狐が住んでいます。その中には病の狐もいれば、大怪我をした狐もいるでしょう。死の床にいる者も少なくはない筈です。悲しいことですが、私はそれら全てを見舞うことは出来ないのです。心中お察しは致しますが、もう、お引き取りください……」
 2人のお兄さんは、それでも引き下がろうとしなかった。だが、そうは言っても、これ程(かたく)なシラヌイちゃんを、どうやって翻意させようと言うのだ……?
 一方のシラヌイちゃんの方は、帰ろうとしない2人に、役人と云った感じで機械的に対処する。
「私の立場ですべきことは、あなた方のお母様の様な方が、少しでも安心して療養できるよう、政木領内の医療の充実をさせて行くことだけです。個別のご家庭の、ご家族への対応に関しましては、地域行政担当の方にお申し出ください……」
「沼藺、いくらなんでも……。お前の、実の母親のことなんだぞ!!」
「名前を呼び捨てとは、少々無礼ではありませんか……? 私は政木家の行政の長です。臣下であるあなた方に、その様に風に呼ばれる謂れなどはございません!」
「沼藺、貴様~!!」
 下のお兄さんが、シラヌイちゃんに飛び掛かろうとしたので、僕は思わず腰を浮かせた。だが、それを制したのは耀子先輩。僕の手を掴んで引き戻す。
「藤沢さん、橿原先生、今のを見ましたね。この者たちは、政木一族である私に、狼藉(ろうぜき)を働こうとしました……」
 耀子先輩がこくんと頷いた。
「本来でしたら、謀叛の罪で、磔・獄門とすらのが政木のご定法ですが、ここは政木領内ではありません。ここは慈悲を持って、この場での斬首で済ませようかと思います……」
 な、何を言っているんだ! シラヌイちゃんは……。
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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