旧知との再会(1)

文字数 1,559文字

 あれから半月……。根拠のない噂も何とか収まり、僕も数日前から烏丸眼科クリニックへの復帰を果たすことが出来た。
 これには、これ迄に担当した患者さんが、ネットで「先生に休まれたら、治療が捗らなくて困る」と言うようなコメントしてくれたのが復帰への大きな助けとなっている。

 さて、今日は眼科手術が2件重なっている。午前は白内障の治療で、これはフェムトセカンドレーザー装置を使ったものなので、比較的ミスをし難いものだが、もう1件は硝子体除去手術なので、僕にも気が抜けない中々難しい手術(オペ)なのだ。
 勿論、白内障の手術だって決して油断してはならないものだ。機械が細かい操作をしてくれるとは言っても、細かい判断などは担当医師が行うもので、その責任は全て医師にある。仮に手術を失敗した場合、最悪のケースでは患者さんの目を失明させてしまうことだって無い訳ではない。充分な検査を事前にしているとは言え、矢張り、気を抜く訳にはいかないものなのだ。
 そして、午後に予定されている硝子体手術の方は、眼球内に器具を入れて硝子体を取り除くものだが、硝子体は網膜と癒着していることもあるので、それを丁寧に切り離さなければならない。
 また、硝子体除去後、黄班上膜や増殖膜の除去なども合わせて行う必要があり、手術は何時間にも及ぶことも多いのだ。この為、その間の緊張は大変なもので、リスクを考え、烏丸眼科クリニックでは、他の手術と硝子体手術を同日にスケジューリングすることは、まず無い程だ。
 今回は患者さんの都合で、かなり特別のケースと言っても過言ではないだろう。そして、烏丸院長が僕の腕を信用してくれているからだと僕は考えている。
 図々しいと思うだろう?
 確かに僕には、正直言って自信過剰な処がある。これは患者さんを安心させる為のパフォーマンスも含まれているが、自己暗示と云った側面もあった。
 僕はミスしない。僕はミスしない……。
 手術前、僕はこれを何度も繰り返す。
 それに、今回も僕には藤沢看護師と云う強い味方がいる。彼女は僕にとって幸運の女神でもあるのだ。
 学生時代、僕がミスをしそうだった時も、彼女が偶然に注意してくれて事無きを得たし、眼球破裂などの難しい手術の時を行った時も、僕は天啓に導かれ、奇跡的に手術を成功させることが出来た。
 彼女がいてくれると、軽率な僕であっても、何かしら、どんな難しい手術も何とか出来るような自信が湧いてくるのだ。

 硝子体除去の手術終了は、午後の4時を回っていた。今回、網膜剥離も起こしていたので、患者さんの目にガスを注入して網膜を押さえつけている。この為、患者さんには俯せの姿勢のまま安静にして貰っていた。
 そう。さんざ「疲れる」などと僕は文句を言っていたのだが、一番大変なのは矢張り患者さんだ。そう言う意味では、今回の患者さんも良く頑張ってくれたと思う。
 そして、看護師のメンバーも良く頑張ってくれた。特に藤沢さんの有形無形のフォローには、僕は幾ら感謝してもし足りない程だ。
「先生、ご苦労様」
「藤沢さんもお疲れ様でした」
 僕は手術が問題なく終わった為か、ここで調子に乗って、藤沢さんにあるお願いをしてしまう。我ながら、相当ハイになっていたとしか思えない。
「どうです? 今晩、仕事が上がったら、一緒に食事でも?」
「ありがたいのですけど、今夜あたり、例の松野さんから、先生に連絡があるのではないでしょうか?」
 ふむ、確かに、そろそろ彼からの連絡が来ても不思議ではない。事実、確認してみると、染ノ助君から会いたいとの連絡が入っている。彼は「今晩9時に伺いたい」とのことだったので、僕はそれに「お待ちしています」と返しておいた。
「では、お食事は先生のお宅でさせて頂くことにして、私も、先生のお宅にお邪魔させて頂きますわ……」
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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