沈む蓬莱島と共に(1)
文字数 2,098文字
僕たちが乗せたゴムボートは、水上スキーの様に水飛沫を上げ、白砂の湾内を沖の方へと滑る様に進んでいた。耀子先輩の5つの右手ファン◯ルは、既に彼女の胸元へと回収されている。
ゾンビ兵のスピードでは、ゴムボートについて行くことなどは不可能だ。唯一ゴムボートにしがみついたゾンビ兵も、一つ目鴉の嘴に突かれ、その手を離さざる得なかった。
だが、そう簡単に僕たちを湾から出しては貰えないようだ。湾の出口、左右に別れていたマングローブが、一気に伸びていって出口を閉ざそうとする。
このままでは、ゴムボートがそこに突っ込んでしまい、下手をすると人間だけがマングローブに引っ掛かり落されてしまう。
マングローブの柵を見た耀子先輩は、諸葛孔明が赤壁で東南の風を祈った様に印を結ぶ。すると次の瞬間、なんと、小型の鯨が何の前触れもなくブリーチングをして、封鎖された湾の出口のマングローブ柵を破壊した。
それで僕たちは、間一髪、蓬莱島の湾から脱出できたのだ。
蓬莱島から離れる過程で、僕たちは物凄い数の魚の群が島から離れるのを目にしている。この何千、何万と云う小さい魚たちが、蓬莱島の島底で枯れた根を啄んでいたのだろう。そして、そうして綻 んだ植木鉢からは、徐々に蓬莱島の土が零れだし、海へと流されて行ったのだ。
島が遠目にも大きく傾くと、今度は海面から幾筋もの光の矢が飛び出して、ゆっくりと弧を描き次々と蓬莱島の森に突き刺さった。恐らく潜水艦が何隻かで、蓬莱島への攻撃を開始したのだと思う。
一方、空からは、戦闘機の様な飛行機が2機飛んで来て、ミサイル爆撃を次々と島へ加えていく。
「私たちの引き上げを合図に、自衛隊機が攻撃する手筈になっていたのよ……」
耀子先輩の説明の終わりを待たず、緑多い蓬莱島は、真っ赤な炎と真っ黒な煙に包まれた。それでも、潜水艦の高射砲と、戦闘機のミサイル攻撃は止まず、爆発音はひっきりなしに聞こえ続けた。
もう見る必要もない……。
僕は暫し目を逸らす。
島はその間に沈んだのだろう。後ろを振り返った時には、もう島の形はどこにも残っておらず、ただ黒い煙だけがその空にあった。
蓬莱島は、こうして海に消えた……。
海妖樹は燃えてしまったのか、あるいは海水に直接浸かったことで枯れてしまうのだろう。それが、どんなに進化した植物であっても、海草でない以上、空気中の酸素を取り込まなければ生きては行けない。
蓬莱島に眠っていた幾万の屍は、燃やされたか、或いはそのまま海の底へと沈んでいった。彼らを操っていた海妖樹の蔓も、こうして海の中で、永遠の眠りに就くに違いない。
無限にも近い時間に感じられたが、脱出は数分しか経っていない……。その短い時間の中で、ひとつの生態系が消えた。そして、それを引き起こしたのは僕たちだ。
僕たちは、ゴムボートから巡視船へと引き上げられ、次々に甲板へと降り立った。染ノ助君、一つ目鴉、耀子先輩、そして僕……。誰一人欠けることは無かった。
そう。僕はそう思いたかった……。
最初こそ僕たちの生還を確かめるように乗組員が全員集まっていたが、巡視船が島から遠ざかって行くと、直ぐに彼らは其々の職務のために僕たちを甲板に残し離れていった。
そして、染ノ助君がトイレに行ったタイミングで、やっと僕は耀子先輩と甲板に2人きりになれたのだ。
「結局、仙人ってのは、あの島にはいなかったんですね……」
「そう。蓬莱島にいた生き物は海妖樹だけ。後は、あれの根鉢にある土と、島に埋まっていた死骸しかない……」
「種子をばら蒔いたのも、海妖樹が自分でコントロールしたんですね?」
「ええ……。今回のことは、全て海妖樹がひとりでやったことだったみたいね。最後の力を振り絞り、我が物顔の人間に意地を通したって処かしら?」
「最後の力?」
「そう。寿命だったの……。もう、花を咲かせる力も、種子を飛ばす力も、海妖樹には残されてはいなかった。根っ子を使った攻撃だって、私に仕掛けるのが、やっとだったみたいね……」
そうか……、それで僕たちには、ゾンビ兵士でしか攻撃して来なかったのか……。
会話が少し途切れたところで、僕は彼女にその話を切り出した。
「で、あなたは、一体、何者なのですか?」
「あら、どうしたの?」
「恍 けないでください。幾ら僕が迂闊でも、来る時の耀子先輩の服装くらい覚えていますよ。耀子先輩は確かに黒のスーツ姿でした。でもボトムはパンツです。今のあなたは、黒のスーツ姿ですが、ボトムがタイトスカートじゃないですか?」
「濡れた服を、あそこで着替えたとは考えないのかしら?」
「いくら耀子先輩でも、敵地の中にいるのに着替えて戻ってくる訳がないでしょう!」
「そっか……。今度ああ云う場面になったら、幸四郎が疑わない様に、着替えをする習慣を付けないといけないわね……」
「あなた、正体は何者なんですか?」
「私は正真正銘、藤沢耀子よ……」
そう言った後、耀子先輩は少しずつ白い霧に変わっていく。
「でも、本体じゃなくて過去の幻なの。ご免なさいね……」
そして、強い海風が吹いた時、それに流され、彼女は幻の様に消えていった。
ゾンビ兵のスピードでは、ゴムボートについて行くことなどは不可能だ。唯一ゴムボートにしがみついたゾンビ兵も、一つ目鴉の嘴に突かれ、その手を離さざる得なかった。
だが、そう簡単に僕たちを湾から出しては貰えないようだ。湾の出口、左右に別れていたマングローブが、一気に伸びていって出口を閉ざそうとする。
このままでは、ゴムボートがそこに突っ込んでしまい、下手をすると人間だけがマングローブに引っ掛かり落されてしまう。
マングローブの柵を見た耀子先輩は、諸葛孔明が赤壁で東南の風を祈った様に印を結ぶ。すると次の瞬間、なんと、小型の鯨が何の前触れもなくブリーチングをして、封鎖された湾の出口のマングローブ柵を破壊した。
それで僕たちは、間一髪、蓬莱島の湾から脱出できたのだ。
蓬莱島から離れる過程で、僕たちは物凄い数の魚の群が島から離れるのを目にしている。この何千、何万と云う小さい魚たちが、蓬莱島の島底で枯れた根を啄んでいたのだろう。そして、そうして
島が遠目にも大きく傾くと、今度は海面から幾筋もの光の矢が飛び出して、ゆっくりと弧を描き次々と蓬莱島の森に突き刺さった。恐らく潜水艦が何隻かで、蓬莱島への攻撃を開始したのだと思う。
一方、空からは、戦闘機の様な飛行機が2機飛んで来て、ミサイル爆撃を次々と島へ加えていく。
「私たちの引き上げを合図に、自衛隊機が攻撃する手筈になっていたのよ……」
耀子先輩の説明の終わりを待たず、緑多い蓬莱島は、真っ赤な炎と真っ黒な煙に包まれた。それでも、潜水艦の高射砲と、戦闘機のミサイル攻撃は止まず、爆発音はひっきりなしに聞こえ続けた。
もう見る必要もない……。
僕は暫し目を逸らす。
島はその間に沈んだのだろう。後ろを振り返った時には、もう島の形はどこにも残っておらず、ただ黒い煙だけがその空にあった。
蓬莱島は、こうして海に消えた……。
海妖樹は燃えてしまったのか、あるいは海水に直接浸かったことで枯れてしまうのだろう。それが、どんなに進化した植物であっても、海草でない以上、空気中の酸素を取り込まなければ生きては行けない。
蓬莱島に眠っていた幾万の屍は、燃やされたか、或いはそのまま海の底へと沈んでいった。彼らを操っていた海妖樹の蔓も、こうして海の中で、永遠の眠りに就くに違いない。
無限にも近い時間に感じられたが、脱出は数分しか経っていない……。その短い時間の中で、ひとつの生態系が消えた。そして、それを引き起こしたのは僕たちだ。
僕たちは、ゴムボートから巡視船へと引き上げられ、次々に甲板へと降り立った。染ノ助君、一つ目鴉、耀子先輩、そして僕……。誰一人欠けることは無かった。
そう。僕はそう思いたかった……。
最初こそ僕たちの生還を確かめるように乗組員が全員集まっていたが、巡視船が島から遠ざかって行くと、直ぐに彼らは其々の職務のために僕たちを甲板に残し離れていった。
そして、染ノ助君がトイレに行ったタイミングで、やっと僕は耀子先輩と甲板に2人きりになれたのだ。
「結局、仙人ってのは、あの島にはいなかったんですね……」
「そう。蓬莱島にいた生き物は海妖樹だけ。後は、あれの根鉢にある土と、島に埋まっていた死骸しかない……」
「種子をばら蒔いたのも、海妖樹が自分でコントロールしたんですね?」
「ええ……。今回のことは、全て海妖樹がひとりでやったことだったみたいね。最後の力を振り絞り、我が物顔の人間に意地を通したって処かしら?」
「最後の力?」
「そう。寿命だったの……。もう、花を咲かせる力も、種子を飛ばす力も、海妖樹には残されてはいなかった。根っ子を使った攻撃だって、私に仕掛けるのが、やっとだったみたいね……」
そうか……、それで僕たちには、ゾンビ兵士でしか攻撃して来なかったのか……。
会話が少し途切れたところで、僕は彼女にその話を切り出した。
「で、あなたは、一体、何者なのですか?」
「あら、どうしたの?」
「
「濡れた服を、あそこで着替えたとは考えないのかしら?」
「いくら耀子先輩でも、敵地の中にいるのに着替えて戻ってくる訳がないでしょう!」
「そっか……。今度ああ云う場面になったら、幸四郎が疑わない様に、着替えをする習慣を付けないといけないわね……」
「あなた、正体は何者なんですか?」
「私は正真正銘、藤沢耀子よ……」
そう言った後、耀子先輩は少しずつ白い霧に変わっていく。
「でも、本体じゃなくて過去の幻なの。ご免なさいね……」
そして、強い海風が吹いた時、それに流され、彼女は幻の様に消えていった。