美肌の湯(2)

文字数 2,518文字

 僕は話題を変えたくもあったので、克哉さんの父親に地学的な別の質問をした。
「ここの温泉は随分と特殊な泉質の様ですね。それに、この近辺に有名な温泉は無いように思えます。なのに、何でここに、こんな素晴らしい温泉が沸いたんでしょうか……。ご存知ありませんか?」
「さあ。科学的なことは儂には分からんが、村に伝わる言い伝えでは……」
「言い伝え?」
「そう。言い伝えでは、この地には八岐大蛇の首のひとつが埋められてな、今でも、その首が口から火を吹いているので、こうして熱い湯が沸くとのことだ。そして、八岐大蛇の血が混じるので、湯に浸かると髪が抜け、冷ましても虫が湧くことがないそうだ。まあ単に、アルカリ性が強すぎて、虫が生きられないだけだろうがなぁ……」
 八岐大蛇ねぇ……。その手の伝説は、出雲だけでなく各地にある。浦島太郎なんかも至る処に生家があるほどだ。
 ま、要するに、本当の所は分からんと言うことか……。

 美肌の湯には、入れ替わり立ち替わり村の男女が湯をつかいに来る。その中には幼い少女、若くて逞しい青年、母親と幼児、老人もいる。流石に適齢期の女性は少ないが、美肌の湯をタンクに詰めて帰る婦人もいた。彼女らは家で美肌の湯を浴びるのだろう。
 耀子先輩は美肌の湯に燥ぎ、湯の中で身体をくねらしていた。そんなことをしていると、転んで、抜け毛の湯に頭から突っ込んじゃいますよ。
 耀子先輩、演技、やり過ぎでしょう。手なんか振っちゃって……。
「父さん、見て、見て! 父さんと一緒にお風呂に入るなんて! こんなだし、私、小学生に戻ったみたい!」
 先輩は伊豆の踊子ですか……? あ~あ、もう、ツルツルになっちゃった。でも、小学生って言うには、胸が少し大き過ぎです。

 こうして、のんびりし過ぎるほど長々と温泉に浸かった僕たちは、ちゃんと上がり湯をしてから、克哉さんの家へと戻っていった。
 帰りの道でも、耀子先輩は、美肌の湯を満喫できたので、これ以上ないほど上機嫌だ。
「もう最高! 脱毛しても、全然お肌がヒリヒリしないんだもん。それに、ツルツル、スベスベ!!」
 はいはい……。お蔭で僕の方も、首から下がツルツルです……。

 克哉さんの家では、猪鍋を囲んで贅沢な夕食をご馳走になった。今回のフィールドワークでは、タクシー代やら何やらで、相当の出費となったのだが、美肌の湯とこの豪勢な夕食で全て帳消しとなった。これだけの温泉宿を予約したら、こんな金額で済む訳がない。
 だが、そんな甘い話がそうそう落ちている訳もなく、僕たちは予想通り、この中年男に一服盛られることとなった。
 耀子先輩は食事が終わると、目線が定まらなくなり、急に恍惚の表情に変わる。僕は驚いた振りをして、耀子先輩を介抱しようと立ち上がろうとした、その時……。
「あんた、不思議探偵の橿原幸四郎って人だろう。克哉の奴と町に行った時、ネットであんたの写真を見たことがある」
 そうか……、彼が本当に克哉さんの父親なら、僕のことを知らないって方が寧ろ不思議だ。この人は僕のことを最初から知っていて、僕たちを泊めたのだ。
「なんでこんなことをするのだ!」
 男は、済まなそうに僕の問いに答える。
「あんたが不思議探偵と云うお人でも、この村の仕来たりを止めさすことは出来ねえ。いや、これは、倭の国の為に止めちゃいけねえ仕来たりなんだ。だから、克哉が何と言おうと、こいつが候補になった以上、それを拒絶しちゃいかんのだ。だから、あいつはこの儀式の間、邪魔できん様に女房の実家に押し込めてある」
 矢張り、そうだったのか……。
「確かに、僕は不思議探偵の橿原幸四郎です。でも、少し勘違いされているようですね。僕たちは、克哉さんに頼まれたのでも、仕来りを邪魔しに来たのでもありません。依頼主はスサオウ君と云う青年です。彼が木曜日に訪ねてきて、不思議探偵の依頼をしてきたのです」
 克哉さんの父親も妹さんも、依頼主が青年だと聞いて驚きの声をあげた。ま、依頼主の話は事実だが、それ以外は全部でまかせだ。
「彼が言うには、今回の婚約者選びには何か途轍もない陰謀が隠されていて、彼や候補者全員の命が危ないとのことらしいのです。そこで、僕たちはスサオウ君と候補者を護るように彼に依頼されたのです」
 父親は「う~ん」と唸ったが、一応、納得してくれたようだった。
「あんたが、もし娘を助けてくれると言うなら、あんたの娘さん、いや、それも嘘だな。あんたが雇った助手さんを、配偶者の候補のひとりにに加えさせてはくれんか? 彼女なら儂の娘より綺麗だ。それだけでも、娘が選ばれる確率は下がるしのう……」
 父親は最後の部分を小さく付け加えた。成程……、それが真の目的か……。
「あと……、これは儂の口からは強制できんのだが……、もし……、もし、娘が不可抗力、例えば、行きずりの旅行者に無理矢理犯され、処女でなくなったりしたら、そんな女をスサオウ様の配偶者候補に差し出すなどは、許されることではないのだ……。不可抗力である以上、罪には問われんのだが、配偶者候補からは、辞退せねばならん……」
「え? そうなんですか?」
 う~ん、それじゃ、子持ちの耀子先輩は駄目じゃないのか? ま、黙っていれば分からないだろうけど……。
「勿論、気持ちの問題だ。気にせん推薦者もおる。だが、儂はそんな状態の娘を、スサオウ様の候補に差し出したくない。それは、クシナダ様も分かって下さるだろう……」
 確かに精神的に傷付いた状態で、見合いも糞もないだろう。そんな儀式、断って当然だ。だが、それって、自分の娘を僕にレイプしろって言っているのか? それは流石に駄目だろう。
「分かりました……。ですが、娘さんの件は辞退します……、あ、別にお嬢さんが魅力的じゃないと云う訳じゃないですよ。僕の彼女が、焼きもち焼きで、そんなことしたら、後が恐いから……」
(あら、そんなことありませんよ。先生が他の女性としても、私、怒りませんよ……)
 僕の心の中で、誰かの声が聞こえる。だが、僕はそれを無視することにした。
「彼女を配偶者の候補にすることは、何も問題ありません。彼女は、最初からその心算でここに来ていますから……」
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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