須佐皇と奇し姫(1)

文字数 3,174文字

 僕が、青年と耀子先輩の婚礼の儀が行われる倉の部屋に入って来たのを見咎め、青年の母は、憤怒に燃えた目で僕を睨みつけた。
「何者です! 誰の許可で、この神聖な部屋に入って来たのです?!」
「僕が招き入れました……」
 母親の後ろから、青年が無表情な声でそれに答える。
「あなたたちは分かっているのですか? これは、あなただけの問題ではないのです。日本を護る大切な儀式なのですよ!!」
「その大切な儀式だと云う理由を、スサオウ君だけでなく、僕や耀子先輩にも教えて欲しいものですね……」
 そうだ。この謎を探ることこそが、僕と耀子先輩がこの村を訪れた目的なのだ。
「うぬぬぬ……、何の権利があって……」
 これには、青年の隣に座っていた、白無垢姿の耀子先輩が答える。
「橿原先生は、私の務める眼科クリニックの医師で、怪しい噂を解き明かす不思議探偵でもあります。そして、私の大切な愛人でもあるのです。そんな彼に、私が嫁ぐと云うのを納得して貰わない訳には参りませんわ!!」
 いや、最後の肩書きは少し余分だろ?
 だが、そのふざけた言い回しは、青年の母親に明確な敵愾心を植え付けた様だった。
「分かりました……。あなたも、息子と伴に、この倉で暮らさねばならぬ大切な意味を理解するが良いでしょう……」
 そして僕にも言葉を向ける。
「そして、あなたの恋人は、最後には納得ずくで息子の嫁となり、例えあなたが見ていようとも、息子と交合い、やがて、男子を設けることになるのです……。あなたは、指を咥えてそれを眺めているしかないのです」
 そして、それを知った僕は、口封じに殺してやると云った所か……。

 青年の母は、この奇怪な倉生活の意味を語り始めた。そして、それは、太古の歴史に遡る壮大な物語であったのだ。
「世界には怪物と美女の生け贄、そして、それを救う英雄と云った伝説が数多く存在します。海の怪物からアンドロメダを救い出したペルセウス神話然り。竜を倒し、王の娘を助け出した聖ゲオルギウス然り。
 それは怪物と云うものが、頻繁にこの時空を訪れ、略奪や殺戮など人間世界を幾度となく蹂躙していたことを物語っているのです。
 今でこそ、怪物どもは人類の兵力を恐れ、滅多に厄災として訪れることはなくなりましたが、それでも、その様な危険が全て取り除かれたと云う訳ではありません」
 確か……、耀子先輩の友人に月宮盈と云う女性がいて、自分の正体は耀公主と云う魔人で、その様な厄災が起こらない様、世界を護っているなんて冗談を言っていたが……。
「太古の昔、そんな厄災が日本にも訪れました。八魔多と云う八匹の魔物が、まだ狩猟民程度の文化しか持たない古代日本人に牙を剥いて襲い掛って来たのです。
 八魔多は、古代日本人に酒と女を要求しました。酒は呑む為、女は弄び食料にする為です。当然、古代人に抵抗する術などはありません。彼らは、酒と共に、八人の女を八魔多に提供することにしました……」
 青年は、そんな神話には我慢できなくなったらしく、自分の母親に不満を述べる。
「僕は、そんな話を聞きたいんじゃない! 僕たちが、何でこの倉で暮さなきゃいけないのか? それを知りたいんじゃないか!」
「黙ってお聞きなさい。まだ何も伝えていないではありませんか……」
「……」
 青年が口ごもると、彼の母親は改めて話の続きを語りだした。
「でも、時空より越えて来るのは、必ずしも略奪者とは限りません。その中には、故在って時空を渡り歩いている放浪者もおりました。そして、それら放浪者が、時として人類の用心棒となることもあったのです。そうした彼らのことを、いつしか人は、英雄と呼ぶようになったのです……」
「そう言えば、私の兄の鉄男も、そんな子供騙しの英雄譚に憧れていたわね……」
 耀子先輩は興味なさげに呟く。だが、青年の母は、耀子先輩を無視して話を続けた。
「古代日本に現れた魔神、名前を須佐皇と言いますが、彼は、彼の魔力の糧を差し出し、彼を祀り崇めさえすれば、八魔多を退治してやろうと古代人に言ってきました……。勿論、古代日本人は、喜んでその提案を受け入れました。
 須佐皇は、八魔多を七人までは倒したのですが、その分、七人の生け贄を助け損ないました。そして、最後の八魔多を倒さんとした時、今度こそはと最後の娘を助けようとして、逆に、その八魔多を取り逃がしてしまったのです。
 この為、逃げ延びた八魔多は、今も日本の地に隠れ住み、復讐の時が来るのを待っているのです」
「それで?!」
「須佐皇は、最後の八魔多が地上に復活しない様に彼を封印しました。でも、その封印には、須佐皇の血がどうしても必要だったのです。そんなこともあり、須佐皇は報酬として、助かった娘を娶って妻とし、この地に住みつきました……」
「お母さん! それが、どうして僕たちのことと関係するのです?!」
 青年の母は興奮する自分の息子に向け、仕方ないとばかりに溜息を吐いた。
「まだ分からないのですか……? 最後の八魔多を封印しているのが、この地、この倉の村なのです。そして、封印に必要なのが、須佐皇の血……」
「え?」
「そうです。あなたが須佐皇の子孫。封印を続ける為の唯一の血族なのです」
 何と云うことなのだ。この家系は古代の魔物を封じる為に倉で暮らし続け、今尚、その仕来たりを大切に護ろうとしていたのだ。
「須佐皇は古代人、即ちこの村民の先祖に言いました。『我は、此の奇し姫と夫婦となり、必ずや我が血筋を残す。この血筋は決して此の地から離してはならない。其方らは我が子孫の面倒を見、その成長を見守るのだ。さもなくば、八魔多の封印が解け、魔神は倭の地に蘇ってしまうであろう……』と」
「そ、そんな……」
「須佐皇の血筋からは、女子は三歳までしか生きられません。あなたも、自分の姉が亡くなったと云う話を聞いているでしょう? あれも全て運命だったのです」
「姉さんが……」
「それだけではありません……。須佐皇は破壊と混沌、暴風の魔神でもあるのです。彼は男子の子孫を残すと、その三年後には真の魔神へと変貌すると言われています。それは、須佐皇の子孫であるあなたも変わりがないことなのです。ですから、お父様やお祖父様と同じように、あなたは男子誕生の三年後、須佐皇の血筋を残したら、自らの命を断たなければなりません」
「でも、僕は簡単には死ねない身体……」
「大丈夫です……。先祖代々の墓所に入れば、そこには輝く水晶玉があります。それを額に宛がえば、意識は薄れ、動く事も考えることも出来なくなります。それで、あなたは苦痛を感じることもなく、静かに死を迎えることが出来るのです……」
「そ、そんな……」
「心配要りませんよ……。あなただけを逝かせたりはしません。この者との結婚を見届たならば、私が先にあの世に参ります。そこで、あなたが来るのを、母は楽しみに待ちましょう……」
 耀子先輩が、馬鹿々々しいとばかりに鼻をならし、被った綿帽子を床に投げ捨てる。
「感動的な場面みたいだけどさ、私は嫌よ。左団扇で何不自由なく暮せるって言うから来たのにさ、倉に閉じ込められて、旅行にも行けないって言うじゃない。おまけに子供の結婚と同時に死ぬですって? そんなの私、絶対お断りよ!」
「ここから逃れることは出来ません」
「今、出来なくても、絶対いつか逃げ出してやるからね! 黙って死ぬまで押し込められたままの訳ないじゃない!!」
 青年の母親は、耀子先輩の台詞に動揺することもなく、口に手を当てて笑い出した。
「それが出来るかしら? 須佐皇の血族と交合ったら、あなたの魂に奇し姫の魂が宿ります。そうなれば、あなたは奇し姫となって、須佐皇の生まれ変わりと暮すことに、もう何の不満を感じなくなるのです……」
「成程ね……、それが、この茶番劇の絡繰りって訳なのね……」
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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