沈む蓬莱島と共に(2)

文字数 1,705文字

 耀子先輩が消えたのを見たのだろう。一つ目鴉がマストから僕の目の前に降りてきた。
「おい! 公主様はどこに行ったんだ?!」
「あれは、耀子先輩の本体ではなくて、過去の思い出の1つだったらしいんだ……」
「じゃ、公主様はどこだ?」
「ここにいなければ、まだ蓬莱島だな……」
「馬鹿言うな! 蓬莱島は沈んで無いんだぞ。そこにいる訳ないだろう!!」
「知るか!!」
 そうだ……。先輩は僕が島に残らない様に、思い出を出したんだ。もっと早く気付くべきだった。いや、僕は知っていたんじゃないのか? なのに、先輩を置いて島から逃げ出したんじゃ……。
「おい。助けに戻るぞ!!」
「無駄だよ……。彼女は砂地に引き摺り込まれ、あれから地上に出て来ていない。少なくとも、もう15分は経っている。魚でない以上、空気中の酸素を取り込まなければ、先輩だって生きては行けない……」
「公主様を見捨てる心算か?!」
「そうするしかないだろう! 助けに行こうにも、蓬莱島はもう無いんだ!!」
 だが、先輩は「戻る」と言った。僕たちは、それを信じるしか……。
「僕には手術を待っている患者さんがいる。これ以上、患者さんに迷惑を掛ける訳には行かない。お前だって、甘樫さん夫妻が待っているだろう?」
「おい!!」
 染ノ助君が異変を察知したのか、こっちに来る……。彼にも、耀子先輩が消えたことを説明しなければならないな……。

 僕たちは、巡視船から再びゴムボートに乗せられ幌泊マリーナへ送られた。
 耀子先輩がいなくなったことについて、巡視船の乗員が訝るだろうと思っていたのだが、最初から耀子先輩などいなかったかの様に、誰も何も言わなかった。幾ら何でも、耀子先輩の存在を記憶してないと云うことはないと思う。僕たちは、狸にでも化かされた気分だ。
 だが、少なくとも、巡視船上で僕たちの監視を務めていた女性自衛官は、何度も耀子先輩と話をしていたのだ。彼女の記憶から先輩が消えているとは考えづらい。
 その女性自衛官は、僕たちがヤリスを降りた場所までついて来た。
「あの……」
「あなた方が借りた車は、私どもの方で返却して置きました」
「じゃぁ、僕たちはどうすれば……?」
「花深港までは、私どもの用意した車でお送りします」
 女性自衛官は、少し笑みを浮かべながら、僕たちにそう説明する。
 僕は耀子先輩のことについて、この女性自衛官に尋ねてみることにした。根拠は無いのだが、彼女なら何かを知っているのではないかと思ったのだ。
「あの……。僕たちには……」
「もう1人の女性の方ですか?」
 矢張り、この自衛官は何かを知っている!
 僕はそう思ったのだが、続く彼女の答えは僕の期待した物ではなかった。
「他の方にも訊かれたのですが、あなた方、何か錯覚をされていませんか? あなた方は最初から2人と1羽で、蓬莱島に行ったのも2人と1羽、帰って来られたのも2人と1羽です」
 それを聞いた、染ノ助君と一つ目鴉の顔が引き攣ってくる。
「お前は、公主様など最初からいなかったと言うのか?!」
 一つ目鴉が思わず大声を発したので、染ノ助君は慌てて周りを見回した。
「フフフ。皆さんは、悪い夢でも見ていたんじゃないですか……?」
 女性自衛官は何事も無いようにそう答える。だが、その彼女の顔には、目の周りだけ墨を塗った様に、黒い隈が出来ていたのであった。

 僕は時間が余ったら、ホテルの宿泊を延長して、世文島観光を楽しもうなどと考えていた。海驢島(あしか島)も見にいきたかったし、自生する高山植物も見に行きたかった。折角の北海道なので、バフンウニ丼やホッケのちゃんちゃん焼きなども食べたかった。
 実際、1日で済んではいる。だが、今の僕はそんな気分にはなれなかったし、染ノ助君や一つ目鴉を誘っても、彼らもそんな話に乗って来たりはしないだろう。
 僕と染ノ助君は、泊まったホテルで簡単に食事を済ますと、花深港からフェリーに乗って稚内へと戻り、追い立てられる様に北海道を後にした。
 染ノ助君は稚内空港から飛行機で、僕は電車を乗り継いで……。
 稚内は、鴉が飛んでで帰るには遠すぎる。僕は鳥籠を買って、文句を言う一つ目鴉をその中へと押し込んだ……。
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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