須佐皇と奇し姫(3)

文字数 2,300文字

 青年の母、いや、奇し姫という魔物は耀子先輩に怒りの声を上げた。
「私たちの秘密を知って、このまま帰れるとでも思っておるのか?!」
「当り前でしょう? 私を拘束することなんて誰にも出来はしない。私は全時空で一番自由な人間なのよ!!」
「人間風情が生意気な!!」
「化け物風情が偉そうに……」
「ふざけるな!!」
「もう飽きたのよ。だって貴方たち、無茶苦茶弱いんだもん。それじゃ、須佐皇が完全体で復活しても、高が知れているわね……」
 そう言うと、耀子先輩は僕を入って来た方に向きを返させ、僕の背中を押して部屋を出させようとする。
「舐めるな! 人間!!」
 そう叫ぶ声が聞こえ、僕が振り返ると、どこから出したのか、日本刀を振り下ろし、返り血に真っ赤に染まった奇し姫と、俯せに倒れ白無垢を真っ赤に染めた耀子先輩の姿があった。耀子先輩は、凄まじい力で斬られたと見えて、背中を大きく切り裂かれ、右の肩口から左の脇腹の途中辺りまで、身体が大きく二つに裂けている。
「ざまあみろ! 人間め!!」
 だが、その文字通り悪鬼の様な奇し姫の怒りの表情は、耀子先輩の変化を見て、ゆっくりと驚愕の表情へと変わっていく。
 耀子先輩のぶらぶらになった腕が自ら千切れ、右の掌にピョッコリと一つの目が出来たのである。そして、手首の辺りには恐ろしい牙の生えた口が生まれた。
「あら? これで私を殺した心算なの?」
 千切れた右手が嘲るようにそう言った。そして、それに呼応するように、左側の手にも目と口が現れてくる。それだけではない。畳を赤く染めている耀子先輩の血だまりにも、これまた幾つもの目と口が生えていた。
「本当、愚かな化け物ね(化け物ね)」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ」
 それだけではない。奇し姫の衣服に飛び散った返り血からは、今度は手が生えて来て彼女の首を締めだした。また、血の滴る刀は血から変化した赤い蛇が絡みつき、奇し姫の手首にその牙を突き立てようとしている。
 そして襖や壁に飛び散った血にも、小さな目と口が生えだし、口々に嘲り笑いを上げていく。
「フフフ(フフフ(フフフ))」

 僕は一応、耀子先輩に注意して置いた。
「耀子先輩……、そんなに沢山の口で喋ったら騒がしいじゃないですか……。全く……。そんな人間離れしたことばかりしているから、他の看護師さんから『婦長は人間じゃない』なんて疑われるんですよ」
 青年は、化け物でも見てる様な顔をしている。だが、耀子先輩はれっきとした人間だ。人間誰しも治癒能力が備わっている。耀子先輩はそれが人一倍強いだけに過ぎない。
 彼女は今、自分の血液を自己分解して、新たに目と口を生成した。これは驚くことではなく、人体は常に細胞の死と再生が繰り返されている。耀子先輩は血液の一部を死なせ、それを原料に目と口を生成させたのだ。
 血から目が生じたことに驚く人もいるだろう。だが、iPS細胞は通常の細胞から作られた幹細胞だ。それが出来る以上、血液から目が生じても決して不思議なことではない。
 また、脳から分離し、神経が繋がっていない手や血液が、彼女の指示に従っているのも不思議に思うかも知れない。だが、これも神経伝達が微小電流であるならば、ラジコンのように遠隔操作が出来る。つまり、何も不思議なことではないのだ。
 一応、補足説明をすると、彼女は身体の中、至る所に微小な副脳と言う器官を忍ばせており、この副脳自身は考えることは出来ないものなのだが、身体が分離した時、いつでも大脳からの指令を遠隔操作できるよう、受信機の役目を担っているのだ。
「仕方ないわね(わね(わね))……」
 全部の口が一斉にそう呟く。エコーが掛かって、呟きでも充分に騒がしい。
 耀子先輩は裂けた身体をくっ付けて、飛び散った血液を出来る限り蛇にして回収した。生えていた目や口は、回収と同時に消失している。恐らくそれが再構築されて再び血液に還元されるのだろう。
 耀子先輩がいかに常人離れしているとは言え、矢張り分解して再構築するよりは、元の手足や血液を再利用した方が治癒が楽なのだ。この為、彼女は腕が捥げた時でも、直ぐには再生せず、繋げられるものなら、それを繋いでから治癒をしている。
 こうして一分もしないうちに、耀子先輩は斬られる前の姿に戻った。勿論、白無垢は、そのまま背中が裂けたままであったが……。
「うぬぬ、仮にとは言え、この子の嫁となる筈であったものを……」
 まぁ、青年の母の怒りも分からないではない。確かに婚約まで行っていながら、この段階で婚約破棄とはあり得ない気もする。
 だが、耀子先輩は涼しい顔だ。
「ご免なさいね。私、本当は夫も子供もいる身なの……。子供なんか、もう三十になろうって歳よ。流石に、二十歳(はたち)前の彼とじゃ、少し釣り合いが取れないわよね!」
 子供とは、修一のことだ。そうか、あいつも、もう三十になるのか……。
 時の経つのは早いものだ。

 耀子先輩が一瞬のうちに特殊メークを解いて、二十代の姿から普段の年齢の顔に戻る。
 そう言えば……、大学生の頃に、耀子先輩は特殊メークをして、僕を騙したことがあった。その時の出来栄えも見事だったが、今回は、本当にあの頃の耀子先輩の姿を完璧に再現している。そして、この一瞬で元に戻す早業……。もう、変身とか擬態とか言っても過言ではない。
「ゲッ! ババア……」
 奇し姫の言葉に、耀子先輩は思わず顔を引攣らせる。
「殺す! 私、絶対、この女を殺す!!」
 いやいや耀子先輩、今さっき、殺さないと言ったばかりでしょうが……。
 僕は、飛び出して行こうとする耀子先輩を、背中から羽交い絞めにして宥め、暴挙を何とか食い止めた。
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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