将を射んとするならば(1)

文字数 1,666文字

 僕は、彼らが本物だと云うことが分かり、少し彼らに同情の気持ちが働きだしていた。彼らは余命いくばくも無い母の為、母に会ってくれるよう、これ迄会うことすら控えていた妹に、恥を忍んで頼もうとしているのだ。
「耀子先輩、少しは話を聞いてあげては?」
 耀子先輩は、僕の言葉を聞いて僕を睨み付けた。彼女がこんな顔をするのは、僕も始めて見たような気がする。
「橿原先生は黙っていてください!」
「耀子先輩……。これは、シラヌイちゃんがお母さんと和解する、最後のチャンスかも知れないんですよ。友人として、その機会を作ってあげる訳にはいきませんか?」
「先生、貴方は……」
 耀子先輩はそう言い掛けてから、言葉を切って立ち上がった。
「それなら、橿原先生がそうされたら宜しいでしょう! 私は帰ります!」
 耀子先輩はそう言うと、そのまま店を出て、1人で先に帰ってしまった。僕は彼女を追いかけようかとも思ったが、ああなった彼女を翻意させる自信は無い。それに、ここから最寄り駅までは歩けない距離ではない。先輩ならば、夜道を1人で帰ったとしても危険は無いだろうし……。
 そう考えた僕は、彼女を追うのを諦め、2人の話を聞く為、上げた腰を席に降ろした。
「すみません。耀子先輩には、後で僕から話をしてみます」
「すみません」
「それで、僕は何を調べれば良いのでしょう? 白瀬沼藺さんの居所ですか?」
 僕は彼らに依頼内容を尋ねてみた。少なくとも、それなら耀子先輩に尋ねれば分からないこともないだろう。
「いいえ、それなら分かっています。沼藺は、政木屋敷の二の丸に住んでいる筈です」
 右に座った方の兄がそう答えた。彼の方が少し身体が大きい気がするので、彼の方が上の兄さんなのかも知れない。
 それにしても、二の丸ってのが良く分からないが、彼女の居場所まで分かっているんなら、そこに訪ねて行けば良いではないか?
 僕は暫く黙っていた……。僕が悩んでいる間に、ウェイトレスさんがやって来て、水を置いてから「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」と言って去っていった。そのタイミングで左の兄が口を開く。
「政木屋敷には何度も行きました。でも、妹は私たちに会ってはくれませんでした。当然ですよね。私たちは、あいつを虐めた張本人なんですから……」
「では、シラヌイちゃんとは一度も?」
「いいえ、一度だけ会っています。その時あいつは、私たちのことを『記憶の片隅にもない。もう恨みにすら思っていない。だから、会いに来ないでくれ』と言っていました。沼藺は私たちとの過去を、一切、消し去りたかったのだと思います」
 シラヌイちゃんと実親の家との関係は、戸籍上、特別養子縁組と云う形で完全に切れている。そして、彼女は、実の家族との交渉を完全に断つことで、過去の記憶すらも消そうとしていた。もう、戻すことは出来ないのだろうか?
「あなた方は僕たちに……、いいや、耀子先輩に、何を頼みたいのですか?」
「すみません、先生……。私たちは沼藺に、一度だけで良いから母と会ってやって欲しい……。それを、耀公主から妹に伝えて欲しいんです」
「分かりました……。耀子先輩に伝えて置きましょう。ですが……」
 彼らがそう思っていることは、恐らくシラヌイちゃんには既に伝わっているだろう。彼らはシラヌイちゃんの家に行った時、理由を口にしなかった訳がない。外から大声で、あるいはドアフォンか何かで、彼らは母に会ってくれるように頼んでいる筈だ。だから、耀子先輩が、シラヌイちゃんにそれを話したとしても、何も変わることはないだろう……。
「ですが……、シラヌイちゃんに話しても、彼女は頑なにそれを拒むでしょう……」
「それは……」
「どうです? 将を射んとすればと言うじゃないですか? シラヌイちゃんのご両親に会って見ませんか? そして、ご両親から話して頂いてはいかがでしょうか?」
「政木の大刀自は、下賎な私たちなどに会ってはくれませんよ……」
「何言ってるんですか……、仕事先じゃないです、養父母の方ですよ! 白瀬夫妻に会いに行くんです!!」
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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