憎しみは拭えない(3)

文字数 1,956文字

(でもね、彼女はお姫様なのよ。お姫様って、女の子は憧れたりもするけど、その責任は物凄く重いものなの。彼女は特定の者を好き嫌いで差別してはならないし、過去の恨みなど、感情的なことで行動を変えてはいけないものなのよ。そして、屡々(しばしば)寛容さを要求される。一般人以上にね)
 心の中の声は、そう僕に諭すのだった。
(今回、沼藺のことをよく知る私や義妹の風雅ちゃんは、沼藺の気持ちを考え、あの2人を沼藺に会わせまいとした。
 でも、これは、いつか沼藺が乗り越えなければならない壁……。だって、沼藺はこれから空間も時間も、そして善も悪をも超越した、この時空を統べる九尾の狐になるのよ。だから、自分の感情の制御くらい、自分で出来ないと……)
 そうなんですか……?
(って、大刀自が言っていたわ……)
 あ、あ、自分の意見じゃないのか……。

 また、僕の頭の中に白昼夢が展開される。
 死んでいる黒狐は、大きな狐に見つけられ首を噛まれた。そうして、大狐は黒い子狐を餌にしようと考えたのか、子狐を咥えたまま自分の巣穴へとその死体を運んでいった。
 大狐の巣の中……。
 黒い子狐は死んでいなかった……。
 大狐は黒い子狐を餌にしようと考えたのではなく、自分の子供の換わりにしようと考えたのだった。
 大狐は黒い子狐の身体を舐めてやり、自分の親族なのか、若い狐を呼びつけ、子狐に食事を与えるように命じている。
 だが、黒い子狐は飢えている筈なのに、何も食べようとはしなかった……。子狐なりの意地だったのだろう。死んでも狐からの施しは受けない。それが子狐の意思であり、子狐には、そうして飢えに耐えてきたと云う過去の経験があった。
 だが、このままでは、黒い子狐は飢えて死んでしまう……。
 困り果てた大狐は一計を案じた。
 大狐は、人間と馬の夫婦を呼びつけたのだ。そして、その夫婦に子供を育ててくれるよう依頼した……。
 人間の母は子狐を胸に抱くと、愛おしそうに子狐をあやし、馬の父はそれを大事そうに見守っている。不思議なことに、子狐の傷は既に治っており、折れて曲がった骨さえも、真っ直ぐ元通りになっていた。

 良かった……。これで、子狐は幸せになれたのですね。
(そうでもなかったみたいよ……)
 はぁ?
(この子狐ちゃん、婚約者が出来たんだけど、政略結婚の目的で養女にされたと勘違いして周りを困惑させるわ、今度はその婚約者にベタ惚れして周りを呆れさせるやら……)
 いや、それは、これまでから比べたら、大した不幸じゃないでしょう……。
(それに、子狐ちゃんの婚約者ってのが、顔もスタイルも大したことない癖に、そこら中の女の子をタラシこんで、直ぐ唇を奪うって言う、とんでもない奴で……)
 あ、もう良いです……。

 シラヌイちゃんは、僕たちの処まで歩いて来ると、立ち上がった耀子先輩に布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)を返す。耀子先輩はそれを、いつの間にか持っている鞘に納めて鞘ごと消して見せた。う~ん、先輩の手品はもうプロ級だ。
「耀子ちゃん、悪いけど、母の所に行くのも付き合ってくれる? たぶん、生きた彼女と会える、最後の機会だと思うから……」
「仕方ないわね……」
「ご免ね……。私が正気でなくなった時、抑えられるのが、耀子ちゃんしかいないのよ。ま、私が彼女を殺さなかったとしても、大した違いは無いのかも知れないけどね……」
 耀子先輩を見ると、納得したように口の端に笑みを浮かべている。
「橿原先生、乗り掛かった船ですわ。折角ですから、ご一緒しましょうか……」
 周りを見ると、皆立ち上がって、もうどこか行こうとしている。だが、耀子先輩は、皆に少し待つように手で合図を送った。
「橿原先生、これから沼藺のお母さんの家に行くんですけど、ちょっと特別な行き方をするのです。それで……」
 このパタンは幾度となくやっている。もう正直、そこまで秘密にしなくても良いのではないかと思うのだが……。
「また、目隠しすれば良いのですね……」
「先生、済みません。その換わりに、特別濃厚なキスをして差し上げますから……」
 耀子先輩は、本当に済まなそうに僕を見ている……。仕方ない。これは特別なキスで勘弁してやろうじゃないか!
 僕は簡単に先輩の甘言に乗ってしまい、両の目を閉じた……。耀子先輩(恐らく間違いない)は約束通り僕に抱き付き、熱いキスをしてくれる。僕はそれだけで、天にも登る気持ちになってしまうのだ。
 それにしても、キスと云う奴は、されると妙に眠くなるのだ。それに、これは薬の様な幻覚作用があり、常習性もある気がする。好きだからと言って、常用するのは……、危険……な、気が……。
 多分、僕は、耀子先輩に抱きかかえられたまま、目隠しされて運ばれて行くのだろう。
 う~ん、自分で言うのもなんだが、僕は実に賄賂に弱い性格だと思う……。
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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