一つ目鴉と自己像幻視(3)
文字数 1,798文字
「いえ、私の分は結構です。ご馳走になる謂れもございませんし……」
藤沢さんの後から入って来た男は、何か妙な遠慮をしている。
「どうしたんですか? 藤沢さんが連れて来たんなら、あなたもお客さんじゃないですか? 遠慮せずにお座りくださいよ」
それでも、男は両手を前に出して、未だ遠慮を続けていた。
「私は先生のお宅を訪ねようとしたのですが、先生の家の周りには変な記者が屯していて近づけなかったのです。それを、丁度通り掛かった藤沢さんが、私に声を掛けて下さったので、こうして家に入れて貰えたのです」
「僕の家に? 何の用で?」
彼は恐らく記者ではない。
記者が「変な記者が屯して」などとは言わないだろう。仮に、それが嘘だとしても、藤沢さんが連れて来たのだ。少なくとも、単なるゴシップ記者であろう筈がない。
ほら、藤沢さんも台所から戻ってきて、彼にお菓子を勧めてるじゃないか……。
「気にすること何かありませんよ。私の荷物を持って下さったのですから、何もしてない訳では在りませんし……」
成程、それで彼が遠慮しない様に、藤沢さんは態々バームクーヘンの紙袋を彼に持たせて、貸しを作らせたのか……。
「でも、私は不思議探偵の橿原先生に、お話を伺いたいと思っていただけなんです」
ま、そんなことだろうとは思った。
これは霊感でもないし、推理と云う程の事でもない。
医師の僕に用があるのなら、烏丸眼科を訪ねるだろうし、他の用事なら電話でアポを取るだろう。僕に用がある人でアポを取らない人は、僕の電話番号を知らない初対面の人だけだ。
そして、初対面の人間で、僕の家にまで来るほど僕に会いたいと思っているのは、ゴシップ記者と不思議探偵のクライアントだ。ゴシップ記者でないとすれば、もう、不思議探偵のクライアントしかないじゃないか……。
「先生のサイトが封鎖されてしまったので、連絡のしようが無くて、突然お邪魔してしまいました……」
本来であれば、不思議探偵の仕事で僕の家に押し掛けるのは反則だ。僕は有無を言わせず追い返しても良いと思っている。だが、彼は藤沢さん……、いや、耀子先輩が連れて来た人だ。何か特別な事情があるに違いない。
「分かりました。そう言うことなら、ダイニングではなく、リビングの方でお話を聴きましょう……」
そして僕は、甘樫さんの奥さんに、こうお願いをした。
「と云う訳で、僕たち3人はリビングの方で紅茶を頂きます。お茶が入ったら、済みませんが、そちらにお願いします。甘樫さんたち3人は、ここでバームクーヘンを召し上がって頂けますか?」
「ハイハイ」
本来、甘樫さんたちは家の管理者で、僕の召使いではない。だから、これは酷く失礼なお願いだった。だが、管理者夫妻は、人の良い笑顔で僕の頼みに応えてくれた。うん、後で何かお礼をしなくちゃいけないな。
さて……、今回のクライアントは、松野染ノ助君と云う歌舞伎役者さんらしい。
僕は梨園に関して詳しくはないので、彼が何者かを知らないが、歌舞伎役者は世襲であることが多いだろうから、著名な役者さんのご子息に違いない。
「私はご存じの通り、松野染五郎の息子なのですが……」
いや、申し訳ないが、僕は染五郎って人も良く知らない……。
「名役者である父と違って、才能に恵まれなかったと言いますか……、はっきり言って、大根なのでございます。父の七光りもありましたので幾度か舞台に立たせて頂いたのですが、全く芽が出る気配もなく、父からは『テメエ見たいな華のない奴は、役者には向きやしねえ。役者なんか、さっさと辞めちまうんだな』と言われる始末です」
「台詞を上手く覚えられないんですか?」
「いえ、そう言うのは得意なんで、台本通り一字一句間違えたことはございません。私にも何が悪いんだか……」
「はぁ……」
「そこで父に、『どこが悪いんですか?』って訊いたら、『それが分かんねぇようじゃ、いつ迄やっても良くはならねぇ。人には向き不向きってぇもんがある。テメエは役者なんか諦めて、何か別のことを探すんだな』って、けんもほろろ、相手にすらして貰えませんでした……」
「申し訳ないが、僕はその相談には乗れそうもありませんね。演技指導どころか、子供のお遊戯すら見たことがないんですから……」
「いえ、そんなことで、不思議探偵の橿原先生に相談なんかしませんよ。私が相談したいのは、ドッペルゲンガーについてなんです」
藤沢さんの後から入って来た男は、何か妙な遠慮をしている。
「どうしたんですか? 藤沢さんが連れて来たんなら、あなたもお客さんじゃないですか? 遠慮せずにお座りくださいよ」
それでも、男は両手を前に出して、未だ遠慮を続けていた。
「私は先生のお宅を訪ねようとしたのですが、先生の家の周りには変な記者が屯していて近づけなかったのです。それを、丁度通り掛かった藤沢さんが、私に声を掛けて下さったので、こうして家に入れて貰えたのです」
「僕の家に? 何の用で?」
彼は恐らく記者ではない。
記者が「変な記者が屯して」などとは言わないだろう。仮に、それが嘘だとしても、藤沢さんが連れて来たのだ。少なくとも、単なるゴシップ記者であろう筈がない。
ほら、藤沢さんも台所から戻ってきて、彼にお菓子を勧めてるじゃないか……。
「気にすること何かありませんよ。私の荷物を持って下さったのですから、何もしてない訳では在りませんし……」
成程、それで彼が遠慮しない様に、藤沢さんは態々バームクーヘンの紙袋を彼に持たせて、貸しを作らせたのか……。
「でも、私は不思議探偵の橿原先生に、お話を伺いたいと思っていただけなんです」
ま、そんなことだろうとは思った。
これは霊感でもないし、推理と云う程の事でもない。
医師の僕に用があるのなら、烏丸眼科を訪ねるだろうし、他の用事なら電話でアポを取るだろう。僕に用がある人でアポを取らない人は、僕の電話番号を知らない初対面の人だけだ。
そして、初対面の人間で、僕の家にまで来るほど僕に会いたいと思っているのは、ゴシップ記者と不思議探偵のクライアントだ。ゴシップ記者でないとすれば、もう、不思議探偵のクライアントしかないじゃないか……。
「先生のサイトが封鎖されてしまったので、連絡のしようが無くて、突然お邪魔してしまいました……」
本来であれば、不思議探偵の仕事で僕の家に押し掛けるのは反則だ。僕は有無を言わせず追い返しても良いと思っている。だが、彼は藤沢さん……、いや、耀子先輩が連れて来た人だ。何か特別な事情があるに違いない。
「分かりました。そう言うことなら、ダイニングではなく、リビングの方でお話を聴きましょう……」
そして僕は、甘樫さんの奥さんに、こうお願いをした。
「と云う訳で、僕たち3人はリビングの方で紅茶を頂きます。お茶が入ったら、済みませんが、そちらにお願いします。甘樫さんたち3人は、ここでバームクーヘンを召し上がって頂けますか?」
「ハイハイ」
本来、甘樫さんたちは家の管理者で、僕の召使いではない。だから、これは酷く失礼なお願いだった。だが、管理者夫妻は、人の良い笑顔で僕の頼みに応えてくれた。うん、後で何かお礼をしなくちゃいけないな。
さて……、今回のクライアントは、松野染ノ助君と云う歌舞伎役者さんらしい。
僕は梨園に関して詳しくはないので、彼が何者かを知らないが、歌舞伎役者は世襲であることが多いだろうから、著名な役者さんのご子息に違いない。
「私はご存じの通り、松野染五郎の息子なのですが……」
いや、申し訳ないが、僕は染五郎って人も良く知らない……。
「名役者である父と違って、才能に恵まれなかったと言いますか……、はっきり言って、大根なのでございます。父の七光りもありましたので幾度か舞台に立たせて頂いたのですが、全く芽が出る気配もなく、父からは『テメエ見たいな華のない奴は、役者には向きやしねえ。役者なんか、さっさと辞めちまうんだな』と言われる始末です」
「台詞を上手く覚えられないんですか?」
「いえ、そう言うのは得意なんで、台本通り一字一句間違えたことはございません。私にも何が悪いんだか……」
「はぁ……」
「そこで父に、『どこが悪いんですか?』って訊いたら、『それが分かんねぇようじゃ、いつ迄やっても良くはならねぇ。人には向き不向きってぇもんがある。テメエは役者なんか諦めて、何か別のことを探すんだな』って、けんもほろろ、相手にすらして貰えませんでした……」
「申し訳ないが、僕はその相談には乗れそうもありませんね。演技指導どころか、子供のお遊戯すら見たことがないんですから……」
「いえ、そんなことで、不思議探偵の橿原先生に相談なんかしませんよ。私が相談したいのは、ドッペルゲンガーについてなんです」