白瀬夫妻の家へ(3)

文字数 1,940文字

 シラヌイちゃんの2人の兄は、二の句を継げようと心持ち身体を前に傾ける。だが、姫神様は押し留める様に右の掌を前に出し、2人の機先を制した。
「あなた方が、自分たちの母の気持ちを慮って、沼藺に会わせたいと云うのも分からないではありません。ですが、沼藺の方はどうなのですか? あなた方の都合だけで、沼藺の気持ちなどは、どうでも良いとでも、お考えなのでしょうか?」
「それは……」
「きつい言い方になりますが、沼藺にあれだけの仕打ちをしておきながら、今になって許してくれなんて、あまりにも虫が良すぎやしませんか? 私どもがあの娘を引き取った時、あの娘は空腹で死ぬ寸前でした。それなのに、私たちが食事を用意しても、あの娘は猜疑心のこもった眼で回りを警戒し、直ぐに食べはしませんでした。生まれたばかりの子がですよ……。ですから、私はあの娘に食事を用意せず、盗み食い出来る様に、態とご飯とおかずを余らせて、茶箪笥にしまい込んだ程なのです」
 それを聞いて2人の兄は言葉を失くし、がっくりと項垂れてしまった。
「さ、お帰りください。もう、話すことなど何もありません!」
 結論は出た……。これ以上、もうどうしようもない……。2人の兄は片膝を立て、立ち上がろうとする。僕ももうお暇する頃なのかも知れない。
 そう思ったその瞬間、今までずっと黙っていた馬神様が突然口を開く。
「確かに、沼藺の気持ちを考えれば、お2人を沼藺に会わせたいとは思わないが……」
「何を仰有りたいの?!」
 馬神様が別意見を口にしそうだったので、姫神様が不満そうに口を挟んだ。
「沼藺は、行く行くは九尾の狐として霊狐界を統べる者。その立場の者となれば、好き嫌いに関わらず、民の意見を平等に聞く必要が出てくる……」
「それとこれとは話が違います!」
「いや……、違わない。それに、恨みを個人のレベルで持つのは仕方ないが、上の者が恨みを持ったままでいると、何時しか下の者へと受け継がれてしまう。恨みを受けた者が憎む分には、その恨みは説得に由って晴れることもあるだろう。だが、それが受け継がれてしまえば、恨みは実体の無い怨嗟と云う妖怪になる。そうなったら、もう二度と解決することは出来ないのだ。オサキの様に……」
「今は沼藺の家族内の話です。霊狐とオサキ狐との関係とは、全く別次元の話ではないですか?!」
(もも)はどうなのだ? 沼藺の娘の(もも)に、2人の伯父を恨ませたいのか…?」
 あれ? シラヌイちゃんって、子持ちだったっけ? だとしたら、鉄男さんとの再婚って話も特別驚くべきことでもないのかな?
 僕の心の中の疑問は、耀子先輩が僕に耳打ちして答えてくれる。
(もも)は養女なの。政木の大刀自から母親として育てる様に言いつかったのよ……」
 成程、そういうことか……。
「この前の神社の写真は、(もも)のお宮参りだったのよ。少し大きくなっちゃったんだけど、色々とあってね……」
 僕と耀子先輩がそんな話をしている間、姫神様は黙って考え込んでいた。そして、母親としての気持ちを抑え、苦渋の決断を下す。
「あなたの仰有ることも尤もです。ですが、私は矢張り沼藺が可愛い。ですから、私の口から、沼藺の嫌がることを命じたくはありません」
「では、どうすると言うのだ?」
「沼藺と耀子さんに闘って貰います。もし、耀子さんが勝ったら、沼藺はお2人のお話を聞く。そう云う約束でどうでしょう?」
 ん? なんで耀子先輩なんだ? 先輩はシラヌイちゃんとお兄さんたちが会うことには反対していた筈だ。
「不満そうですね……」
 不満そうにしていたのは、下の方のお兄さんだ。彼も納得が行かないのだろう。
「どうして耀公主なのですか? 彼女は私たちの行動に賛成していません。態と負けたら、会わせないのと同じではないですか?」
「ならば、諦めるのですね……」
 これは……、随分と冷たい言い方ではないか? 闘いで決着をつけると云うのは分かるが、せめて、耀子先輩とシラヌイちゃんが闘うと云う理由を説明して貰わねば、僕だって納得出来ない。
「先生……。私しかいないのよ」
 耀子先輩が僕に説明するのを制して、姫神様が皆に理由の説明をする。
「本来でしたら、当事者のお2人と沼藺で決めるのが筋ですけど、これはお2人と沼藺を会わせるかどうかを決める闘いです。ですから、お2人に闘って頂く訳には参りません。それでは、その時点で会わせることになってしまいますから……。
 となると、お2人の代理として、橿原先生に闘って頂かなければなりません……」
 僕とシラヌイちゃん?
「そうなると、助太刀に耀子さんが加わることになりますから、事実上、沼藺と耀子さんの闘いになってしまいます。ならば、最初から、この2人が闘えば良い……。皆様も、そう思いはしませんか?」
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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