シラヌイちゃんの決断(1)

文字数 2,095文字

 僕(それと恐らく全員)の目が、何とか見える迄に回復した時、画面の中は新たな展開を見せていた。
 なんと、黒い大狐の前で男性がひとり、その傷付いた獣を護る様に、片膝をついて盾になっている。そして、彼の出したモノか、彼の目の前に、黒い球体が不気味な姿で浮かんでいた。
「要君……」
 大狐のシラヌイちゃんが弱々しげに呟く。

「テツ、沼藺の盾となって、又も私の邪魔をする気か!!」
 どっかで聞いたような台詞だ……。
 画面に映っていたのは、耀子先輩のお兄さん……。そう、鉄男さんだ。それにしても、彼は一体何をしたんだ……?
 僕の疑問に、今度は後ろに立っている正信老人が説明してくれた。
「恐らく、ブラックホールを作り、耀子ちゃんの光線砲を全部それで吸収したんだ……」
「ブ、ブラックホール?!」
「と言っても、実体は針の先程も無い筈だよ。あの黒いのは殆ど完全黒体のガスだね。あれで余分なものが吸い込ませたり、本体が地面に落ちたりするのを防いでいるんだろう。そして、光線砲を受けてエネルギーを帯びたガス粒子だけが、ブラックホール本体に落とし込まれる。
 ま、それでも、ブラックホールの質量を極端に低下させ、引力を増加させる彼の能力がなければ、地上でブラックホールを作りだすなんて芸当は不可能だと思うけどね……」
 はぁ……。なんか、凄い技らしいが、残念なことに、僕には凄さが良く分からない。

 画面の中では、鉄男さんが耀子先輩に向かって何か言っている。
「耀子、お前の敗けだ……」
 鉄男さんはそう言うと、天を指差して黒い球体に空へ向かうよう命令する。それで、球体はゆっくりと上昇して行った。
「いくら生気貯蔵の最大量を増やす訓練をしてるにしても、あれだけの数の光線砲を一気に撃ったんだ。もう生気は残っちゃいないだろう……。早く敗けを認め、生気の補充でもするんだな……」
 そう言えば、先輩は心なしか元気がない。大ヤスデの変身も解けてしまい、もう元の姿に戻っている。
「五月蝿いぞ、テツ! この勝負には、沼藺の未来が掛かっているんだ。勝手に乱入なんかするんじゃない!」
 鉄男さんは大狐の方に顔を向けて、シラヌイちゃんに回復する様に促した。
「沼藺、金丹を持ってるだろう? 早く飲んで、その傷を治せ……」
 それを聞いた耀子先輩は、よろけながら鉄男さんに殴り掛かる。だが、そんな状態では僕にだって避けることが出来そうだ。
 鉄男さんは左手を前に出して押し留める。もうそれだけで耀子先輩は、風に飛ばされた様に、後ろへと吹き飛ばされてしまった。
「もう止せ、耀子……。沼藺の気持ちも考えろ。確かに許し合うのが正しいことなのかも知れないが、そう簡単に受けた心の傷が癒されるってもんじゃないだろう……?」
「そんなことは分かっている! 馬神様は、『上に立つものは、感情に左右されずに裁きをしなければならない』と言っておられた。だが、これは抑々(そもそも)公事ではない。あくまで沼藺の家族間に生じた私事だ。そんなもの、妖狐の棟梁だろうが、庶民の家庭だろうが何も変わりはない。もし、沼藺がどうしても嫌だと言うなら、仮に私が勝ったとしても、あの2人と沼藺を会わせる気など、私には毛頭なかった!」
「なら、それで良いじゃないか……」
「だがな、テツ……。それを、お前にだけは言われたくないぞ!!」
「ん?!」
「表には出さないが、私はお前を八つ裂きにしたいほど恨んでいる。今でもだ……」
 突然の話に、大狐のシラヌイちゃんも驚いて顔を上げた。
「私たちが大悪魔だった頃は、騙し、殺し合うのが日常だった……。騙される奴が馬鹿で、殺される方が弱いのだ。当たり前のことだし、それを酷いと思う奴なんて何処にもいなかった……。だがな、人間になった時、そんな価値観は捨てたのだ」
「何が言いたい……?」
「大悪魔を殺すのは良い。だが私たちは、私たちを信頼してくれる人間を悲しませてはならないのだ……。パパやママは、私たちを普通の人間とは違うと知りながら、愛し、育ててくれていた。そんな2人の信頼を、テツ、お前は踏みにじったのだ。お前は2人に何も言わずに家を飛び出した……。パパやママが許しても、私は決してお前を許さない!」
「それは……、済まないと思っている……」
「私がお前を受け入れている振りをしているのは、パパたちが悲しむからだ。だが私は、2人を裏切ったお前を許すことなど、絶対に出来ない!」

 耀子先輩の意外な告白であった。
 悪口を言い合っても、凄く仲の良い兄妹に見えていたのに、耀子先輩の心の中では、そんな感情が渦を巻いていたのだ。
 だが、それも1面に過ぎないのだろう。耀子先輩の心の中には、鉄男さんへの溢れるばかりの愛情が詰まっている。
 それは耀子先輩に限ったことじゃない。人は、そんな複雑な感情を持ちながら、人間同士、コミュニケーションを取り合って生きているものなのだ。

 耀子先輩は、鉄男さんに近付いて行って、力無いパンチを彼の顎に見舞う。鉄男さんも今度はそれを避けなかった。
 そして、先輩は闘いの終わりを宣言する。
「私は帰る。確かにテツの言う通り、もう、流石に私の生気も底をついた……」
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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