一つ目鴉と自己像幻視(2)

文字数 2,376文字

 一つ目鴉と呼んではいるが、奴は本当に一つ目だと云う訳ではない。奴が一つ目に見えるのは、奴の羽色のせいだ。
 鴉には屡々(しばしば)白いアルビノが現れるのだが、奴の場合には、額にだけアーモンド型の白いスポットがあって、ご丁寧にも黒い羽が一枚、瞳の様に垂れ下がっているのである。
 で、本当の目はと言うと、模様の目の目尻と目頭に小さな黒い点が二つあり、それが奴の目なのだ。
 そうなると、奴は一つ目鴉ではなく、三つ目鴉と云うことになるのだが、鴉は鳥の漢字から一画抜いた漢字で書くこともある。それは、鴉が目の無い鳥だと云う意味らしい。ならば、奴の実の目は、見た目無いことになるので、そうだとするならば、一つ目鴉でも決して間違っていることにはならないだろう。
 さて……、奴の実の目は小さいと言ったが、勿論、それは人間と比較してではなく、他の鴉と比較してのことだ。
 鴉はどれも同じ様に見えて、実は顔、体型、鳴き声も千差万別だ。奴の目はお世辞にも大きくなく、そう言う意味では、奴は鴉世界では不細工の部類に含まれるのだろう。
 一般に、鴉は家族単位で行動することが多い。鴉社会では、母親の妹が、甥っ子、姪っ子の世話していると云う話しもあるほどだ。
 だが、一つ目鴉はそんな鴉社会に背を向けて、一匹狼ならぬ一羽鴉として生きていく道を選んでいた。
 その理由(わけ)を、一つ目鴉は「容姿のせいで雌の鴉に相手にされず、同世代の仲間からも虐めにあったからだ」と説明している。
 だが僕は、奴が仲間と行動しない理由は、容姿からだけではないと考えている。
 僕が思うに、一つ目鴉は賢い鴉の中でも、特出した知性を持っていたので、他の鴉とは価値観を共有できなかったと云うのが、真相だったのではなかろうか?
 しかし、奴が賢い一羽鴉であることは、僕や老夫婦にとって色々な面で都合が良い。トイレや食事のマナーもそうだが、他の鴉の様に、仲間を呼び寄せたりしないことが、橿原家の近所付き合いの面からは、非常に助かるのだ。
 それ以上に、一つ目鴉の賢さで有難いものは、奴と日本語でコミュニケーションが取れると云うことであった。
 鴉が日本語を話せる?
 一つ目鴉は異常に賢いし、オウムや九官鳥は人間の言葉を発音できる。ならば、奴が日本語を話せても、別に不思議はないだろう。
 だが……、もしかしたら、彼は物の怪に進化しかけているのかも知れない……。
 今、僕には一つ目鴉が普通の鴉なのか、それとも物の怪なのかの判断が付かない。元々鴉は賢い生き物であるし、人間の様に振る舞ったからと言って、物の怪になったとは言いきれはしないのだ。

「おい、追い払ったぞ」
 一つ目鴉が帰って来た。また、僕に鉄槌を下さんとする自称正義の味方が現れたのだろう。奴はそんな正義の味方を、嘴で突っついて追い払ってくれるのだ。
「ありがとう……」
「礼は言葉でなく、飯で還せ」
 一つ目鴉は窓から入って来るなり、そう言ってテーブルに座り込んだ。人間で言うとしゃがんだと云うような形だろうか?
「分かった……。甘樫さんに、今夜はご馳走にするように頼んでおくよ」
 甘樫さんと云うのは老夫婦の姓だ。
「いや、今晩あたり、公主が来られるのだろう? 彼女が持ってくる土産を、少し俺にも食わせろ」
 そう言えば、甘樫さんが、藤沢さんに買い物を頼んでいたなぁ……。
 甘樫さんは、今、買い物に出られない。
 僕の家の周りには記者が張り込んでいて、甘樫さん夫婦が家から出た途端、質問攻めに遭って買い出しが出来ないらしいのだ。それで、藤沢さんに食料など必要な品を買っておいて貰い、人気の少なくなった夜に運び込んで貰っているのだった。

 そして、深夜と云うには若干早いが、近隣の寝静まった夜。ポルシェタイカン4Sのモーター音が遠く響き、僕の家の車庫に止まる。そして、暫くしてからドアの呼び鈴が鳴った。
 そして、まるで自宅にでも帰ったかの様に、老夫婦の案内も待たず、彼女は当たり前の様に入ってきた。
「あ、橿原先生。先生にお客さんですよ」
 やってきたのは勿論、藤沢耀子先輩。沢山の荷物を抱え、そのままキッチンへ行き、そこで待つ甘樫の奥さんに、半月分の食材をよいしょと手渡す。
 だが、僕が興味を引かれたのは、寧ろ彼女と一緒にやって来た男の方だった。
 男はグレーのハンチングに濃いサングラス、不織布マスクといった、いかにも不審な出で立ちで、白のタートルネックにグレーのジャケットを引っかけている。
「あなたは一体?」
「私は……」
 彼が僕の質問に答える前に、一つ目鴉が藤沢さんに問い掛け、僕たちの話を遮った。
「公主様、ご機嫌麗しゅう……。で、本日のお土産は?」
「何言ってるの? 私は態々、貴方たちの食材の買い出しをしてきてあげたのよ。なんで私が橿原先生や貴方に、お土産を持って来なけりゃならないのよ!」
 藤沢さんは、呆れた様に一つ目鴉に言い放つ。逆にそれを聞いた一つ目鴉の方は、ショックに項垂れて言葉も無くしていた。
 だが、藤沢さんの後から入ってきた男が、笑顔で「嘘ですよ」と鴉に告げ、一つ目鴉は驚いて初対面(だと思うが)の男の方に顔を上げる。
「お土産なら、私が代わりに持っています。藤沢さんは手が塞がっているので、私が持たされたんです……」
 男はそう言うと、紙袋から箱を取り出し、それをテーブルの上に置いた。
「おおお、これはクラブハリエのバームクーヘンじゃないか?! こいつは俺の大好物」
 いやいや、僕だって好物だ。
 管理されている甘樫の奥さんが、それを見て台所から声を掛ける。
「折角ですから、頂きましょう。人数分、切り分けますね」
 僕は一応断っておく。
「お客さん含めて、六名ですからね。自分たちの分を忘れちゃ駄目ですよ!」
 これを言わないと、甘樫夫妻は自分たちの分を直ぐに忘れるのだ。一つ目鴉の分は忘れない癖に……。
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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