青年の村(4)

文字数 1,760文字

 赤く乾いた土の庭を進んで行くと、かなり大きめの平屋の家に到達する。造りは瓦葺き、玄関はアルミで出来た普通のサッシで、古民家を想像していた僕には少し意外に感じられた。
 僕は耀子先輩に促され、サッシの直ぐ脇にあるドアフォンのチャイムボタンを押した。すると、暫くして、ドアフォンから若い女の声で返事が返ってくる。
「どちら様でしょうか?」
「こちらは克哉さんのお宅でしょうか? 私たち克哉さんの友人で、橿原と申します」
 相手が克哉さん本人でなくとも、この女性から彼に僕の名字が伝わりさえすれば、橿原と云う僕の姓で、僕たちがどうしてこの村に来たかを察してくれるだろう。だが、相手の女性は、僕の想定外の返事を返してきた。
「兄の克哉は、昨日から母の実家の方に行って、今日明日は帰って来よりません……」
 すると今度は、突然、後ろから来た中年男性が話し掛けてくる。
「あんたら、息子の友だちかぁ? それにしても、こちらは随分と別嬪さんだなぁ」
「はぁ、うちの娘です……」
 僕は耀子先輩との打ち合わせ通り、親子を装った。先輩もそれに乗り、その設定で挨拶をする。
「娘の耀子です……」
 男性は、耀子先輩を品定めする様に眺めてから、改めて僕たちに話し掛けてきた。
「田舎の村だで、ここまで来るだけでも大変だったろう?」
「ええ。山歩きの途中、父が急に『克哉さんに会いに行こう』なんて言い出して、散々道に迷わされてしまいましたわ……」
「ま、折角来られたんだ。中にでも入って、茶でも飲んでいかんかな? 疲れているだろうし、喉も渇いておるだろう?」
「ええ……。実は少し……。あの……、出来れば、おトイレをお借りしたいのですが……」
 耀子先輩はそう言って、恥ずかしそうにうつ向いた。先輩が本当にトイレに行きたがっていたかは分からない。だが、そう云う状況を作り出したことで、克哉青年の留守宅に上がり込む絶好の口実が出来たことは確かだ。
 克哉さんの父と名乗る男性は、一瞬驚いてから、嬉しそうな顔で玄関のサッシを開け僕たちを招きいれた。彼も親切心か、あるいは話し相手欲しさだったのか、僕たちを呼び込みたいと考えていたらしい。
「お父さん!」
 ドアフォンの声の女性が玄関先で待っていたらしく、少し非難を含んだ声で中年男性に声を掛けた。少しふっくらとした丸顔の可愛らしい女性だ。恐らく、彼女が青年の配偶者候補のひとり、克哉さんの妹の恵美子さんに違いない。
「そんなとこに立っておらんで、こちらのお嬢さんに便所を案内して差上げなさい」
 中年男性は、娘らしい女性にそう指示を与えた。これならば、彼女も反対出来ないだろうとの満足そうな表情である。女性も不満そうだが彼の指示に従った。

 耀子先輩がトイレを借りている間、僕はこの父娘と三人、茶の間で彼女の帰りを待たされていた。娘の方は、あまり話したいとは思っていない様子だったが、父親の方は饒舌だった。
「ほう、先生は眼医者さんでしたか……。私たち、こんな過疎村に住んでいると眼医者にも中々行けませんでね、眼鏡作るだけでも一苦労なんですよ……」
「はぁ……」
 僕は下手に尻尾を出さない様に、言葉に気を付け、余分な台詞は極力控えた。
 そうしていると、耀子先輩が戻ってくる。
「ありがとうございます……。お陰さまで、助かりました」
「お嬢さんも、お茶をどうぞ……」
 耀子先輩はお辞儀をして席につくと、直ぐ様、男性にひとつの要望を伝えた。
「あの……、携帯が圏外で繋がりませんの。電話をお借り出来ますか? 帰るのにタクシーを呼びたいと思いますので……」
 男性は可笑しいと言った表情で、耀子先輩に答える。
「電話なんて繋がっておらんよ。電気だって通っておらん。全て、自家発電でまかなっちょる。ま、言うなれば、ここは見捨てられた村だな」
「では、バス停は……?」
 男性は首を横に振る。
「困りました……。では、旅館とか、泊まれる施設は近くにありませんか?」
「そんなもの、ありはせん……」
 耀子先輩は、いかにも困ったと云った表情で眉間に皺を寄せた。
「どうじゃろう……、今晩はうちに泊まって、明日にでも歩いて帰ると言うのは……。多分、トンネルを抜けて少し行けば、そのうち電話も繋がる場所に出るじゃろう」
「宜しいんですか? そうさせて頂くと、私たち、とても助かります」
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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