カウンセリング(2)

文字数 2,199文字

 僕は青年に尋ねた。
「では、視力矯正は?」
「それは結構です」
 確かに彼は、眼鏡を架けておらず、視力矯正の必要が無い人間にも見える。だが、視力矯正を望む人間が、必ずしも眼鏡を架けているとは限らないだろう。そう、コンタクトレンズをしている患者さんも少なくはないのだ。決して、僕が迂闊だった訳ではない!

 まぁ正直、僕は不思議探偵の仕事が嫌いではない。嫌いどころか、態々ネットでクライアントを求めているのだから、本業よりも好きと言っても過言ではないだろう。
 だが、不思議探偵はあくまで僕の副業であって、本業は眼科医の方だ。不思議探偵をするにあたり、僕は本業を疎かにしないと云う制約を自分に課している。だから、これだけは彼に言って置かねばなるまい。
「済みませんが、ここにいる僕は眼科医です。あちらの仕事の依頼は、ネットからする様にしてください」
「済みません……」
 だが、僕は直ぐ折れる……。
「仕方ありませんね……。では、もう直ぐ終りますから、暫くお待ちください。近くのファミレスでも行って、そこであなたのお話を伺いましょう」
「あの~、人に聞かれたくないので、ファミレスではちょっと……」
 困り果てた青年をフォローしたのは、僕の不思議探偵家業に、最近、少々批判的になってきた看護師の藤沢さんであった。
「先生、もう最後の患者さんですし、カウンセリングルームなら他人(ひと)にも話を聞かれる事がないでしょう? このまま、ここで患者さんのお話をお聞きになられても、宜しいのではありませんか?」
 まぁ、藤沢さんも、そう言ってくれていることだし……。
 結局、僕は、烏丸院長には申し訳ないのだが、病院のカウンセリングルームで不思議探偵の仕事をさせて貰うことにした。
「では、お聞きしましょう……」
 だが、青年は胡散臭そうに藤沢さんを眺めているだけで、直ぐには話し出そうとはしなかった。恐らく、第三者には出来るだけ話を聞かれたくないのだろう。
 それに気付いた藤沢さんが「では、通常のカウンセリング同様に、私は席を外しますので、用がありましたらチャイムでお呼びくださいね」と言って、カウンセリングルームを後にしようとする。
「あ、婦長は居てください」
 僕は藤沢さんにそう言ってから、青年にもその断りを入れた。
「婦長は実は僕と同じ大学で、一緒に『ミステリー愛好会』と云うサークルにいたんですよ。何と言っても、藤沢さんには『耀公主』って云う二つ名もある位ですからね……」
 婦長は恥ずかしそうに笑い乍ら、仕方ないですねぇとばかりに、カウンセリングルームを出るのを(とど)まった。
「でも、橿原先生、私はもう婦長ではありませんからね……」
 そうだった……。だが……。
 勤務中、いつも彼女のことを藤沢さんと呼んでいたのだが、不思議探偵の仕事でも「藤沢さん」と呼ぶのは流石に他人行儀だ。なので、ここは昔通りに「耀子先輩」と呼ばせて貰うことにしよう。
 耀子先輩……。
 彼女は僕より二つ年上。孫がいても不思議じゃない年なのだが、見た目は三十過ぎの小柄で品良く美しい女性に過ぎない。(もと)い。

が、美しい女性だ。
 彼女の息子の修平も、僕に似て随分と立派になった。ま、僕に似たんじゃ、あまり立派とは言えないか……。

 しかし、残念ながら、青年は僕の説明に納得しかねる様で、まだ依頼内容を話そうとはしなかった。
「申し訳ないのですが、先生以外の方には話をしたくないのですが……」
「構いませんよ……。私は特殊能力の持主ですから、話など聞かなくても、あなたの考えていることくらい分かってしまいます」
「そんな、馬鹿な……」
 青年の言葉にカチンときたのか、耀子先輩は何も言わず、そのまま部屋の奥にいってしまった。そして、何をするのかと僕が眺めていると、耀子先輩は冷蔵庫から透明な液体が入った丸いシャーレを取り出し、それを持って戻って来たのである。
「このシャーレの中は、薄い円筒形の金属が水に浸かっているだけです。私はここに、もうひとつ金属の円盤を持っています。この円盤を、私の念力でこのシャーレの金属の上に空中浮遊させて御覧にいれますわ……」
 耀子先輩はそう言うと、シャーレを私と青年が対面しているテーブルに上に置く。シャーレの中の水は随分と冷たいようで、湯気の様な霧が水面から低く溢れ出ていた。
 そして、先輩は慎重に黒い鋳物の様な円盤を、そっとシャーレの少し上に浮かばせて置いて見せた。
 だが、青年は、そんなこと何でもないとばかりに鼻で笑う。
「何が超能力ですか? 馬鹿にしないでください。そんなの超電導の実験で、僕だって何度も見ていますよ」
「じゃあ、あそこにある先生のお茶を、このシャーレに注いだら、どうなります?」
「そんなこと、出来る訳がないじゃないですか……」
 耀子先輩は恐ろしい事を言う。超電導を起す止めには超低温にしなければならない。そうであれば、シャーレの中は水でなく液体窒素だ。そんな中に水を入れたら、水は氷り、液体窒素は爆発する様に沸騰を始めてしまう。だが、僕が止める間も無く、耀子先輩は僕の机にあった冷めたお茶を、シャーレに注ぎ込んでいる。僕は思わず、身体を捻り両手で顔を隠した。
 だが、何も起こらなかった……。
 青年も僕と同じように顔を庇いながら、呆然とシャーレの上で浮遊している金属円盤を眺めている。
「分かりました? 私が超能力の持主だってことが……」
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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