カウンセリング(1)

文字数 2,168文字

 僕は橿原幸四郎。これでも眼科外科手術の世界では少しは名の知られた眼科医だ。
 今日も一件のレーシック手術と、五件の視力矯正希望者カウンセリングを終えて、これで本日の予定も、あと一件のカウンセリングを残すだけとなった。これが終れば、本日の僕の診療は終了になる。
 実は……、まぁ、大きな声では言えないのだが、僕は他にも少し奇妙な副業を持っている。その名も不思議探偵……。
 不思議探偵とは……。そうだな……。
 世の中には、不可思議な出来事が数多くある。その真偽を確かめ、クライアントに真実を報告する。これが僕の遣っている不思議探偵の仕事だ。
 不思議探偵への依頼手順はこうだ。
 クライアントは、僕のネットアカウントに依頼内容を記入する。それに僕が対応できる日付や見積りを返し、交渉が纏まれば面接の上、契約にこぎつけることになる。
 だが、実際、不思議な出来事の多くは、クライアントの見間違えであったり、第三者がクライアントに錯覚を起させるよう、故意に捏造された欺瞞なのだ。
 しかし、恐怖に怯えたクライアントに、そのことを納得させるのは意外と難しい。ひとつひとつ証拠を揃え、実際のクライアントの見たものを再現させて見せなければ、大概のクライアントは納得しないものなのだ。
 そうは言っても、僕の本業は眼科医。水曜と木曜は眼科医としての仕事をちゃんと(こな)さなくてはならない。
 さ、無料カウンセリングもあと一人……。それを終えたら、僕は不思議探偵への通知の有無を確認しようかと思う。

「どうぞ……」
 看護師が患者さんをカウンセリングルームに招き入れる。この看護師は、僕の長年の相棒で藤沢耀子さんと云う。以前ここで婦長をやっていたのだが、今は木曜日の午後だけ、僕の手伝いと新人の教育をする為、スポット的に勤務をしてくれている。
 さて……、今日最後の患者さんは、神経質そうな短髪の青年で、綿シャツにデニムのズボンと云った、ラフな服装の男だ。
 烏丸眼科のカウンセリングルームは、ティールームの様な明るいゆったりした個室で、カウンセリングはティーテーブルに腰かけて、医師とクライアントの対面で行われる。
 患者さんは、僕の待つテーブルへとやってくると、藤沢さんに勧められるまま、ティーテーブルの椅子へと腰掛けた。
 え~と、彼は初診の患者さん……。
 僕はカウンセリングに先だって、ここの治療方針の説明を行う。医師がこれを行うのが、ここ烏丸眼科クリニック定番の工程(ルーティーン)となっているのだ。
「今回のカウンセリングは無料です。知りたいことがありましたら、ご自由にお尋ねくださいね。尚、レーシックの手術代は、片目でおよそ30万円程度掛かり、保険適応が利きません。それから、今日の他に術前に数日のカウンセリングと適応検査、術後には経過確認を当院では、翌日、一月後、三か月後に行っています。ですから、手術自体は半日で済む簡単なものですが、通院は半年程度掛かることを、予めご了承ください」
 そして、眼球図を取り出して、簡単に手術内容の説明をする。
「ご存知かも知れませんが、レーシック手術と云うのは、エキシマレーザーで角膜を削る手術になります。
 物を見る時の屈折全てを、水晶体で行っていると思われている方も多いのですが、実際の屈折は、角膜、房水、水晶体、ガラス体と云う各部分が共同で行っており、水晶体が厚みを変えることで、網膜に写る焦点の微調整を行います。
 レーシック手術とは、水晶体の補正範囲に合うように、角膜をレーザーで削り、歪みを無くし、屈折を適切に調整する手術だと考えてください。
 この技術は特別目新しいものではなく、実は古くから行われていたものなのですが、昔は失敗する事例も数多くありました。その原因は削る深さ、即ち組織の判別にあり、今ではマイクロの単位で計測し、安全な組織以外が削られることはありません。また感染症に関し、当院では万全の処置を行っておりますので、その点もご安心頂いて結構です。
 因みに、レーシック手術は、白内障のある方や、近視の進行が予想される若い方にはお勧めしていません。
 このほか、事前に適応検査を行い、手術すべきでないと判断された場合、当院では施術をお断りしています。そういった可能性もあることをご理解いただきたいと思います。
 尚、レーシックの他にも、ICLと云う視力矯正手術もございます。これは角膜の下にコンタクトレンズを入れる様なもので、多少費用が高くなりますが……」
 僕がそこまで説明をした時、看護師の藤沢さんが僕に助言をする。
「先生、患者さんは、先生のお話には全く興味が無い様ですよ。先ず、患者さんのお話をお聞きになってみてはいかがですか?」
 この藤沢元婦長とは長い付き合いでもあるし、同じ医科大学出身で、彼女の方が二年先輩でもあったのだ。おまけに、このクリニックも彼女が先に務めていて、僕の就職を手助けしてくれたのも実は彼女だった……。
 そう云うこともあり、僕は彼女に頭が上がらないし、彼女の方は平気で医師である僕にダメ出しをしてくる。
 ま、そこが良いのだが……。
「何がお聞きになりたいのですか?」
「橿原先生に、僕に身の回りで起こった不思議現象について、是非、出張調査をお願いしたいのです……」
 青年は俯きながら、ここに来た理由を、そう僕に伝えた。
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登場人物紹介

藤沢(旧姓要)耀子


都電荒川線、庚申塚停留所付近にある烏丸眼科クリニックに勤める謎多き看護師。

橿原幸四郎


烏丸眼科クリニックに勤める眼科医。医療系大学在学時、看護学部で二年先輩の要耀子とミステリー愛好会と云うサークルに在籍していた。その想い出を懐かしみ、今でも不思議探偵なるサイトを開き、怪奇現象の調査をしている。

一つ目鴉


額に目の模様のある鴉。人間の言葉を解す。

甘樫夫妻


橿原邸に住み込みで家を管理する老夫妻。

松野染ノ助


歌舞伎役者。名優、松野染五郎の息子。

加藤亨


耀子と幸四郎が在席した医療系大学の教授で、同大学病院の外科部長。実はミステリー愛好会の創設者にして、唯一無二の部長だった。

白瀬沼藺


藤沢耀子の高校時代の友人。通称シラヌイ。

シラヌイちゃんのお兄さんたち


狐や狼を思わせる容貌を持った兄弟。シラヌイちゃんを母親に会わせようと画策する。

橘風雅(犬里風花)


シラヌイちゃんの義理の妹。姉を慕う元気な少女(?)。

白瀬夫妻


シラヌイちゃんの両親。オシラサマと呼ばれている。また、それぞれ馬神様、姫神様とも呼ばれている。

紺野正信(狐正信)


藤沢耀子と白瀬沼藺の高校生時代を知る老人。自称、狐忠信の子孫。

政木の大刀自


シラヌイちゃんの身内の老女。

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