青年の村(1)
文字数 1,756文字
僕と耀子先輩は、土日に青年の村を訪れることを約束し、帰りの交通費を渡して彼を一旦村に帰した。
今回の件について、僕は耀子先輩に色々と尋ねたいことがあったのだが、耀子先輩は病院の後片付けに忙しかったらしく、二人きりで話す機会を少しも作ってはくれなかった。
ただ、青年が帰る直前、土曜日の待ち合わせ場所と時刻だけは、予め決めてあったので、その点に関してだけは僕も心配せずに済んでいる。
土曜日の朝、その待ち合わせ場所で待っていると、僕は見覚えのある二十歳 前後の若い女性に声を掛けられた。
「橿原先生、お待たせ……」
「って、君は?」
「先生、止めてくださいよ。まだボケるには早いですよ」
彼女はそう言って、僕ににっこりと微笑む。僕は確かに彼女を良く知っている。だが、彼女のこの姿を見たのは、かれこれ三十年も昔の話だ。
「ま、まさか、藤沢婦長……」
そう、それは将に、僕が初めてあった、女子大生の頃の藤沢看護師……、耀子先輩の姿に他ならなかった。
「当たり前じゃないですか。誰だと思ったんですか、先生?」
僕はそう言われても、目を見張らずにいられない。いや、目も見張っても、娘さんか姪ごさんが耀子先輩に化けたのではないかとの疑いを拭いきれなかった。それ程にこの特殊メークは完璧を極めている。
「今回は、若い女性に化けて行った方が良いと思うんです。あの青年の配偶者候補として、村に潜入しなければなりませんからね」
そうなのかも知れないが、流石にこの様な若い女性と旅行するなんて、烏丸眼科の口さがない看護師たちにでも見られたら、病院でどんな噂が立つか分かったものではない。
「元の姿の私の方が、余程スキャンダラスだと思いますけどね……」
それは、そうだが……。あっ!!
僕は、耀子先輩に心を読まれてしまった様だ。彼女は最近、読心術まで取得したようで、何を考えても、直ぐにバレてしまう。
まぁ、耀子先輩になら、僕は別段何も隠すことなど無いが……。
耀子先輩は、僕が彼女に対し、どんなに卑猥な想像をしていたとしても、嫌がったり軽蔑したりすることがない。寧ろ、態と品のない冗談で返してくれたりもする。
本来、勤務中、同僚の看護師を性的な対象として見るなんて、医師にあるまじき行いだ。だが、そんな僕を耀子先輩は非難することもなく、いつも許してくれるのだ。僕は、それで、自己嫌悪になどならず、どれ程救われたことか……。
「橿原先生、馬鹿な想像なんかしていないで、少し急ぎましょう。直ぐに新幹線の発車時刻になってしまいますよ……」
そうだった。これからの旅程は意外と長い。ここでのんびりしている暇はないのだ。
僕は急いで駅の窓口に向かい、二人分の特急券と往復切符を購入した。
それにしても何年ぶりだろう? こうして耀子先輩と二人きりで旅行するなんて……。
二人掛けの指定席に並んで座る。真ん中の肘掛けを上げれば、僕と耀子先輩を隔てるものは何も無くなる。彼女の腰が触れ、彼女の髪の香りが僕の鼻を擽る。
もし、僕と耀子先輩が結婚していたら、こんな風に、二人でフルムーン旅行などもしていたのだろうか?
あの頃の僕は、耀子先輩がとても好きだった……。それなのに、皆の前ではいつも啀 み合う振りをしていたのだ。それは、僕と仲良くしている所を見られるのを、耀子先輩が酷く嫌がっていたからなのだ。
それでも、サークル活動のフィールド調査で二人きりになった時などは、彼女はとても優しかったし、幾度かキスもしたことがある。だから、僕は、フィールド調査に行くことが、とても好きだったのだ……。
今、僕の隣には、昔と同じ姿の耀子さんがいる……。でも僕は、かなりくたびれた初老の男だ。出来れば、耀子先輩にも、いつも通りの姿で隣にいて欲しかった……。
お互い、長い年月を過ごした証しとして。
「橿原先生……」
「昔の様に、幸四郎って呼んでください」
「じゃあ幸四郎……」
「なんですか?」
「一緒に寝ない?」
「いいですよ……」
窓側の耀子先輩は、僕の手を握りしめた。
「この姿でいると少し疲れるの……。新幹線の中だけでも、こうしていてくれると嬉しいわ……」
心地よい疲れを感じ、僕は暫しの眠りにつく。その甘い感覚は、遥か昔に交わした耀子先輩とのキスに近いように、僕には感じられたのだった。
今回の件について、僕は耀子先輩に色々と尋ねたいことがあったのだが、耀子先輩は病院の後片付けに忙しかったらしく、二人きりで話す機会を少しも作ってはくれなかった。
ただ、青年が帰る直前、土曜日の待ち合わせ場所と時刻だけは、予め決めてあったので、その点に関してだけは僕も心配せずに済んでいる。
土曜日の朝、その待ち合わせ場所で待っていると、僕は見覚えのある
「橿原先生、お待たせ……」
「って、君は?」
「先生、止めてくださいよ。まだボケるには早いですよ」
彼女はそう言って、僕ににっこりと微笑む。僕は確かに彼女を良く知っている。だが、彼女のこの姿を見たのは、かれこれ三十年も昔の話だ。
「ま、まさか、藤沢婦長……」
そう、それは将に、僕が初めてあった、女子大生の頃の藤沢看護師……、耀子先輩の姿に他ならなかった。
「当たり前じゃないですか。誰だと思ったんですか、先生?」
僕はそう言われても、目を見張らずにいられない。いや、目も見張っても、娘さんか姪ごさんが耀子先輩に化けたのではないかとの疑いを拭いきれなかった。それ程にこの特殊メークは完璧を極めている。
「今回は、若い女性に化けて行った方が良いと思うんです。あの青年の配偶者候補として、村に潜入しなければなりませんからね」
そうなのかも知れないが、流石にこの様な若い女性と旅行するなんて、烏丸眼科の口さがない看護師たちにでも見られたら、病院でどんな噂が立つか分かったものではない。
「元の姿の私の方が、余程スキャンダラスだと思いますけどね……」
それは、そうだが……。あっ!!
僕は、耀子先輩に心を読まれてしまった様だ。彼女は最近、読心術まで取得したようで、何を考えても、直ぐにバレてしまう。
まぁ、耀子先輩になら、僕は別段何も隠すことなど無いが……。
耀子先輩は、僕が彼女に対し、どんなに卑猥な想像をしていたとしても、嫌がったり軽蔑したりすることがない。寧ろ、態と品のない冗談で返してくれたりもする。
本来、勤務中、同僚の看護師を性的な対象として見るなんて、医師にあるまじき行いだ。だが、そんな僕を耀子先輩は非難することもなく、いつも許してくれるのだ。僕は、それで、自己嫌悪になどならず、どれ程救われたことか……。
「橿原先生、馬鹿な想像なんかしていないで、少し急ぎましょう。直ぐに新幹線の発車時刻になってしまいますよ……」
そうだった。これからの旅程は意外と長い。ここでのんびりしている暇はないのだ。
僕は急いで駅の窓口に向かい、二人分の特急券と往復切符を購入した。
それにしても何年ぶりだろう? こうして耀子先輩と二人きりで旅行するなんて……。
二人掛けの指定席に並んで座る。真ん中の肘掛けを上げれば、僕と耀子先輩を隔てるものは何も無くなる。彼女の腰が触れ、彼女の髪の香りが僕の鼻を擽る。
もし、僕と耀子先輩が結婚していたら、こんな風に、二人でフルムーン旅行などもしていたのだろうか?
あの頃の僕は、耀子先輩がとても好きだった……。それなのに、皆の前ではいつも
それでも、サークル活動のフィールド調査で二人きりになった時などは、彼女はとても優しかったし、幾度かキスもしたことがある。だから、僕は、フィールド調査に行くことが、とても好きだったのだ……。
今、僕の隣には、昔と同じ姿の耀子さんがいる……。でも僕は、かなりくたびれた初老の男だ。出来れば、耀子先輩にも、いつも通りの姿で隣にいて欲しかった……。
お互い、長い年月を過ごした証しとして。
「橿原先生……」
「昔の様に、幸四郎って呼んでください」
「じゃあ幸四郎……」
「なんですか?」
「一緒に寝ない?」
「いいですよ……」
窓側の耀子先輩は、僕の手を握りしめた。
「この姿でいると少し疲れるの……。新幹線の中だけでも、こうしていてくれると嬉しいわ……」
心地よい疲れを感じ、僕は暫しの眠りにつく。その甘い感覚は、遥か昔に交わした耀子先輩とのキスに近いように、僕には感じられたのだった。