まひる 31

文字数 1,559文字

 気づくとビルの屋上に腰を下ろして雨にそぼ濡れていた。

あたしの横にはキノッピが同じように腰をおろしていて、あたしの顔を見つめていた。

「どうやってここに?」

しばらく考えた様子だったが、

「気づいたらここにいました」

キノッピも気を失っていて分からないようだった。

キノッピが先に立ち上がりあたしの手を取って立たせてくれた。

その手はあたし以上に冷たかったけれどキノッピの優しさが伝わってきて心の芯がほんわかと暖かくなった。

そのままあたしの手を引いて非常階段へ向かうキノッピの背中を見て思う。

これまでのキノッピの気持ちは、応援したいとか、力になりたいとか、遠くから伝わるものだった。

いつもあたしのことを特別に思ってくれていた。

それはあたしがゲードルで、キノッピがそのファンで、決して一線を越えないというキノッピの生真面目さから来る感情だったろう。

でも、いまのキノッピは全然違った。

何がそうさせたのかはわからないけれど、あたしのすぐ側で寄り添ってくれている。

特別な存在ではない、ただのあたしのことを見て、それでも味方になってくれている。

そんな感じがした。

「キノッピ」

「はい?」

キノッピが振り返った。

頬が赤くて少年のように見えた。

「これまで、ありがとう」

「急にどうしたんですか?」

キノッピは驚いたように目をしばたいている。

「ううん、なんとなく」

今言っておかなければ次がないような気がしたのだった。



 非常階段はヤオマン・イン・札幌の裏の、暗くてじめついた路地に通じていた。

通りに出てHONDA Z360まで急いで駆ける。

空は明るくなっていて通りには通勤客もちらほら行き来していた。

キノッピにキーを渡して助手席に乗り込む。

「苫小牧まで一気にいきます」

とキノッピが車を発進させた。

 あたしは、段ボールの仕切りの窓から手を差し入れてコトハに合図を送る。

……。

反応がない。

いつもなら差し入れた手をくすぐるように触れてくれるのに。

「待って、停めて」

急停止したため後ろからクラクションを鳴らされて路肩に待避した。

あたしは、段ボールを引き剥がして後部座席を確認した。

コトハはいなかった。

その代わりシートの上に白い紙が残されていた。

「コトハは連れて行きます」

見慣れた文字でそう書かれてあった。

とても綺麗な文字。止めはねがはっきりとして、その人の性格をよく表していた。

「アヤネ……」

キノッピが言いたいことがありそうにあたしを見ていた。

 アヤネがいなくなったときのことをキノッピが話してくれた。

アヤネは攻め寄せる蛭人間を機敏な動きで一蹴したという。

キノッピはそのことをアヤネのゲードルスキルを賞賛しながら話した。

 あたしはあの飛行機事故で死を目前にしたアヤネとコトハに確死を入れた。

ヴァンパイアのあたしが殺したから、二人は屍人になったはずだった。

それをしたのは、屍人にして辻沢に連れ帰れば二人は生き直せると思ったからだった。

そうでなければコトハもアヤネもオホーツクの水底で毛ガニの餌になっていたのだ。

しかし、キノッピが話したアヤネの活躍は屍人の振る舞いではなかった。

屍人は理性を失い、動物的本能だけで行動をする。

決して、人と意思を通じさせることはない。

コトハがそう見えるのも、あたしに対して動物的な反応をしているだけだ。

キノッピを守り、別れを匂わせたアヤネの行動は明らかにそれとは違う気がした。

鈴鹿アヤネとは何者なのか?

飛行機事故で確死を入れたと思ったのは幻覚だったのか?

「コトコトを探しに行きましょう」

キノッピが言った。

「でも、どこへ」

アヤネの行き先など想像もつかなかった。

「償いの部屋へ」

「それはどこ?」

「僕がいた部屋です。あそこには首魁がいた形跡がありました」

キノッピはフロントガラスから、今逃げてきたばかりのヤオマン・イン・札幌を見上げたのだった。
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