まひる 3

文字数 1,935文字

 ひとまず飢えをしのげたが、この惨状をそのままにしてゆくわけにはいかなかった。血まみれの運転席のトラック。外には遺体が一つ。この極寒の天候が目隠しになってくれるといっても、晴れて車が放置してあればいぶかしがらない人はいない。そうすれば事件として明るみに出て、あたしたちの足取りが敵方に知られてしまう。
 今、アヤネとコトハを連れて敵に対峙するのは得策ではない。とにかく辻沢まで戻って体勢を立て直さねば戦えない。そう思う。
「あなた、辻沢の人だよね」
自分たちの姿にあからさまな驚嘆を見せる若い男に問うた。
「そうですが、なんでそれを?」
この若い男の体に流れるその血がなによりの証拠だが、それは今は伏せておくとして、
「あたしも辻沢だから」

 辻沢で生まれ中学生まで過ごした。REGIN♡IN♡BLOODに加入したのが中学3年の春、拠点を東京に移してからもう10年近くが経った。出身地のことは基本秘密だからプロフにも書かれていない。だから、こうして人に言うのは初めてのことだった。
 若い男がうんうんと深く納得するように頷いている。
「どうしたの?」
若い男は感慨深げな目をして、
「噂は本当だって。そしてこのことを知ってるチブクロは僕だけだと思うと」
チブクロ。血の袋と書くRIBのファンの愛称だ。この若い男はあたしたちのファンらしい。
「あたしたちのこと知ってるの?」
そう聞くと若い男は喰い気味に、あたしが誰で、アヤネとコトハとはどんな関係で、今世間ではあたし達のことをどのように言っているか、そのほかRIBにまつわる知識を披瀝した。
 それはそれで助かったのだけどかえって不安が増してしまった。何故なら、この若い男があたしたちに会ったことをいつまで黙っていられるか分からないから。出来れば永遠に。おそらくきっと無理だろう。ここまでの喜びようだ。一緒にいる間はまだしも、分かれて日が経てば自ずと誰かにしゃべりたくなるに違いない。となれば、この若い男もアヤネとコトハのようにして辻沢に連れ帰ることになるかもしれない。
 
 ロシアの極東都市ハバロフスクで行われたスレイヤーV・バトルロイヤルのワールドシリーズ第5戦に参加したあと、帯広で行われるRIBのライブに行くためその夜にハバロフスク空港を発った。
 RIB所有の自家用ジェット機が機器トラブルとかで出発間際に旧式のプロペラ機に変更された。あたしたちメンバーはギリギリまで戦ったゲーム疲れもあって離陸して直ぐに寝てしまったらしかった。
 目を覚ましたのは胸に激痛が走ったから。見ると上から下まで黒い装束の人間があたしの胸にナイフを突き立てていた。咄嗟にそいつのことをねじ伏せ頭を踏み潰した勢いで周囲を見ると、前方の外扉が開け放たれていて、そこから同じような格好をした者達が脱出しようとしていた。
 外が明るいので窓を覗くとエンジンが火を噴き、機体はすでに急降下を始めていた。
 横の席のアヤネとコトハのふたりは座席に座ったままぐったりと頭を垂れていて、二人とも胸のあたりが血で真っ赤に染まっていた。
 急ぎ操縦席に行って中を見たらもぬけの殻だ。そのまま操縦桿を握ってなんとか飛行機の姿勢を戻そうとしたけれど時既に遅く、真夜中のオホーツク海に不時着した。
 足掻いた甲斐もあって、なんとか客席の形状は残ったけれど、メンバーは既に脈が無く、アヤネとコトハだけは息はあったけれども出血が酷く事切れる寸前だった。海水が浸水してくるなか、このまま冷たい水底に彼女たちを沈めるよりはと、あたしは二人の首筋に牙を立て確死を入れた。
 ヴァンパイアのあたしが確死を入れれば人間は屍人となる。屍人、死して血を求めて彷徨う者。自分が誰かも分からずに未来永劫この濁世にとどまる存在。
 あたしは肉親以上に妹だった二人をこの手にかけた。あの時からあたしは二人の命の責を負ったのだ。
 そうしたのも一縷の望みがあったからだ。少なくとも辻沢に連れて帰れるようになった。辻沢でなら二人をなんとかできるかもしれないのだ。辻沢ヴァンパイアの始祖にして母、全てを知る宮木野がいるからだ。
 沈みつつある機内で二人に救命胴衣を着せ、冷たいオホーツクの海に泳ぎ出た。長い間、波にもまれながら揺蕩い続け、流氷のごとくサロマ湖畔に接岸した。
 暖かそうな人里の灯りを避け人目に付かぬよう用心して雪原や寒林の中をここまでやって来た。それは、アヤネとコトハの姿を見られたくなかったのと、あたしを狙った敵が誰か分からぬうちはあたしが生きていることを知られてはいけないと思ったからだった。
 そう、狙われたのはあたしだ。ゲードルグループRIBのはずがない。アヤネもコトハも他のメンバーも、あたしの巻き添えで死んだのだった。
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