キノッピ 7

文字数 2,012文字

 仕事帰りにブータンで一人焼き肉をしていたときのことだ。

「きみ見かけない人だね」

声を掛けられて横を向くと、男が笑顔でこっちを見ていた。

年は同じくらいだろうか。

白い襟なしワイシャツにオーバーオール。

ハンチングを被っていた。

その男も一人らしく、はす向かいの席は空いていた。

「俺、みのわ。箕輪セルゲイっていうんだ」

セルゲイにしては日本人だった。

名前が珍しいことに、つい親近感がわいて、

「僕、木下レイオン」

と返した。

僕の名前を聞くと大概の人は、「?」を顔に貼り付けて、レイオンってどう書くのと言う。

しかし、箕輪と名乗った男は気にするふうでもなく、

「そっちの席行っていい?」

と聞いてきた。

「構わないけど」

焼き肉屋で相席ってと思ったけど、箕輪セルゲイは自分のトングとお茶碗だけ持って席を移ってきた。

席に座ると僕の飲みかけのジョッキを指さして、

「何飲んでるの?」

「生ビールだけど」

「あ、生ね。えっと中ジョッキで」

と勝手に注文した。

 はじめは焼き肉をたかられるのかと思った。

でも、そうじゃなかった。

「入植者ボランティア」

そんな開拓時代みたいな組織が未だにあるんだと思ったら、

「一人で勝手にやってる」

のだそうだ。

こっちに引っ越して来て心細そうにしている人を見つけては相談にのってるという。

僕、心細そうにしてたんだ。

 箕輪セルゲイはとても話が上手く面白かった。

そして話しやすくもあった。

それでつい、いろいろと聞いて貰った。

例えば、嫌な先輩がいるとか、嫌な先輩がいるとか、嫌な先輩がいるとかだ。

一人で溜め込んでいたことを話せて、ずいぶん気持ちが楽になったのを覚えている。

 結局、焼き肉はたかられなかったし相席してからのお代も几帳面に折半してくれた(最初のビールはおごって貰った)。

で、別れ際に渡されたのが遠軽のロシア正教会の住所が書かれた名刺だった。

「何でも困ったことがあったら頼ってごらん。かならず助けてくれる。隔週で日曜にミサもやってるから一度行ってみたらいいよ」

と言った。

名刺を見せられて宗教の勧誘かと思ってちょっとがっかりした。

こっちへ来て初めて友達になれそうな人に会ったと思ったから。

 名刺には箕輪の名前の上に別の名前が書かれてあった。

「これは?」

「あ、司祭の名前だよ。ロシア人の僧侶なんだ」

その名はまさにラスプーチン!

ではなかった。



 名刺の住所ではここら辺のはずだった。

でも、お茶の水のニコライ堂やモスクワの大聖堂のような建物は見当たらない。

擬宝珠みたいな屋根を探したがスレート屋根の家ばかりなのだ。

「すみません。わからないです」

と、まひるに言うと、

「あれ、そうじゃない?」

と前方を指さした。

見ると、路肩の雪だまりから突き出た電柱に、

「遠軽露西亜正教会こちら→」

という看板が見えた。

 それを頼りに行くと、裏道の角地に

「遠軽露西亜正教会」

という、住宅の2階に張り出す形の看板を見つけた。

その家の屋根は期待を裏切って擬宝珠になっていなかった。

少し不安があったが、HONDA Z360を脇道に停めた。

「ちょっと見てきます」

アンセラフィムの3人を車に残し、僕一人で玄関の前に立つ。

二重扉の玄関の中は電気も消えて寝静まっているようだ。

あたりまえだ。もう1時を過ぎている。

申し訳ないと思ったが、今頼るべきはここしかないので呼び鈴を鳴らす。

3回ほど鳴らした時、玄関の明かりが灯った。

「ドナタデスカ?」

明らかに余所の国の人と分かる発音の応対だった。

「夜分にすみません。僕、箕輪セルゲイさんの知り合いの者です」

「オー、セルゲイ! ヒサシブリ」

と言う声がして玄関の扉が開いた。

そこから青い目に白髭を称えた老人の笑顔が現れた。

しかし僕を見ると一瞬でその笑顔は消えた。

「アナタダレ? タクハイ?」

そういえば僕はまだ会社の制服のままだった。

「いいえ。箕輪セルゲイさんからここに来れば助けてもらえると聞いて」

と言って、名刺を差し出す。

青目白鬚の老人は名刺を裏返して見てから、顔を上げ

「オハイリナサイ。オツレノカタモドウゾ」

と言った。

どうしてこの老人が連れがいることを知っているのかと思った。

しかし、老人が僕の頭越しに目をやっているのに気付いて振り返ると、まひるとコトコト、アヤネちゃんが雪の歩道に立っていた。

 僕はこの時、正直ほっとした。

箕輪セルゲイはここに来れば、お金でも泊まる所でも何でも助けになってくれると言っていたのだ。

これでアンセラフィム・クランに換えの洋服を買ってあげられるかも知れない。

彼女たちが着ているのは「血で血を洗う恋バトル」(血で血)の新曲発表の時に着ていた制服。

本来は、純白のセーラー服で目も覚めるようなスカイブルーのラインが入ったものだ。

でも今のそれは泥だらけで裾はすり切れ、所々シミがつき穴も空いている。

見る影もないのだった。

3人は、これまで僕には想像も付かない苦労をしてきたのだ。

大変だったろう。

今夜はゆっくり休んで欲しいと思った。
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