まひる 19

文字数 1,930文字

 風にまだ雪の匂いが残る春まだ早い日、あたしたちは遠軽のロシア正教会を出発した。

「皆さんお世話になりました」

車庫の内戸の所で見送るエカチェリーナさんたちに挨拶をした。

「寂しくなります。気をつけてね」

とエカチェリーナさんは言って、ハンケチで鼻をかんだ。

もうずっと朝から泣いてばかりのエカチェリーナさんなのだ。

ヒョードルさんがキノッピに歩み寄って、

「これを持って行きなさい」

と言ってトカレフ一丁と弾薬1箱を渡した。

「ヒョードルさんのがなくなってしまいます」

「大丈夫。わたしはこれから家事に徹するから」

ヒョードルさんは教会の家事全般を担っていた。

「家でも全部旦那がするの」

とエカチェリーナさんが言ったことがあった。

地震カミナリ家事オヤジなのだ。

トカレフを手にしたキノッピは感慨深げに、

「ありがとうございます。あなたに教わったことを忘れないで使わせてまらいます」

キノッピはこの1ヶ月半の間、ヒョードルさんについて車の整備や拳銃の扱い方を教わってきた。

いわば、このトカレフはヒョードルさんからキノッピへの修了証のようなものなのだ。

「山で撃った雪だるまのようにはいかないからな」

相手はヴァンパイアなのだ。あいつのように銃が効かないのもいる。

ようは何事に付けても過信するなということだ。

 そしてエカチェリーナさんが鼻をすすりながら、

「これはまひるさんに」

と言って例の長ドスをあたしに渡してくれた。

ただもう白鞘ではない。

暇に任せて二人でスワロフスキで鞘をデコりまくったので、ギッラギラだ。

高倉健さん、ごめんなさい。

別に高倉健さん使用の長ドスでないけど、なんか一応。

「脇道はまだ雪も残ってるとこあるから気をつけて」

とセルゲイが言った。

 キノッピは安全を期して脇道を行くことにした。

「警察もそうですが、どこで奴らが目を光らせているか知れないですし」

旭川紋別自動車道を使わず下の道を通って旭川へ出る予定なのだ。

セルゲイとは意見が違ったようだが、あたしは運転はキノッピに任せているので文句はない。

 車庫の扉が開く。

夜の10時過ぎ、外はすでに暗い。

コトハとアヤネはおとなしく後部座席に収まっている。

キノッピも出会ったとき以上に逞しくなった感じだ。

軽自動車は整備も万全らしくエンジンも調子よさそうだ。

「じゃあ」

キノッピは窓から手を振って、車をスタートさせたた。

 夜陰に紛れてといきたいところだが、月も出ていて普通に夜のドライブといった感じだった。

音楽がかかった。

「あれ?」

キノッピが言った。

「すみません。RIBの入れといたのに」

掛かったのはフォークソングだった。

「変えますね」

とキノッピが言ったのを制して、

「いいよ。アヤネが好きだから」

「本当ですか? 知らなかった」

「プロフには書いてないからね」

メタル系のRIBがフォークはっていうことで初期の頃にオトナから口止めされてたらしい。

「何て曲でしょう?」

この曲は知っていた。

アヤネが「姉さん、コレいい曲ですよ」って聴かせてくれたことがあった。

カセットケースを見て記憶を辿る。

「ほおづえをつく女」

これだ。

タイトル通りアンニュイな感じの曲。

「そっかー、アヤネちゃんはフォークが好きなのかー」

と感慨深げなキノッピだった。

「こんな裏情報が知れるなんて。なんて素敵な旅なんだろう」

ファン心理というのはよくは分からないけれど、普通は知れないことを自分だけが知れたら人はどういう気持ちになるかは分かった。

「言いふらしたい。自慢したい」

あたしはキノッピを横目で見ながら、小さくない不安を感じたのだった。

キノッピはあたしのそんな気もしらないでのんきな様子で、

「どうしてフォークって男性歌手がわたしって言って女の人の気持ちを歌うんでしょうね」

と言った。

「アイドルの曲は女の子がボクって言って男の子の気持ち歌う歌多いし」

全てがそうではないが、傾向としては当たっている。

アイドルの場合はターゲット層が若い男子だからというマーケティングが絡んでいると思う。

ならばフォークのターゲット層の世代とは乙女気質だったということか?

なるほどね。全共闘って、芯からメルヒェンでセンチメンタルだものな。

「僕は女の子が女の子の気持ちを歌うからRIBの曲が好きなんですよね」

あたしたちは単に自分の為の曲を歌ってるだけだけど、うがって言えばターゲット層が同世代の女子だからということになる。

 車は山に入った。

街灯もなくなり道以外は何も見えなくなった。

四人を乗せた軽自動車は、ヘッドライトだけを頼りに細い道をうねうねと進んで行く。

車の中には別のメルヒェンフォークが流れている。

「これ知ってます。南こうせつの『妹』です。母も父も死にってやつ」

そういえばフォークソングは、人がよく死ぬのだった。

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