まひる 16
文字数 2,235文字
ヴァンパイアが招じ入れられないと家の中に入れないという設定は、とてもエレガントだと思う。
例えば、あたしの大好きなヴァンパイア映画『僕のエリ 200歳の少女』。
エリが仲良くなった少年の家の玄関で、
「無理に押し入ったらどうなるの?」
と言われて無理に入り、額から赤い血を滴らせながらその苦悶の姿を見せるシーンは、ヴァンパイア映画で最も美しいシーンだと思う。
家の内と外との区分は神の加護を前提にしている。教会が結界になっているのと同じ原理だ。
でも辻沢のヴァンパイアは違う。
家の内と外に特別な差はない。
ということで雪の中に蹲るような洋館の、見上げるほどの玄関扉を蹴り倒して中に侵入した。
鼻に付くのは埃と黴なにやら饐えた匂い。そして匂いの底の松脂臭。
エカチェリーナさんがハンディーライト灯す。
そこは寒色の絨毯が敷かれた大広間になっていて、蹴破った扉のせいで埃がせわしなく舞っていた。
真ん中に古びたソファーとテーブルがぽつんと置かれている。
三方の壁一面が本棚だ。だが本は一冊も並んでいない。
「上の階だと思います」
正面の大階段をLEDで指し示す。
ギシギシと鳴る木製の大階段を昇りきり、暗い廊下を明るい先を目指して進む。
突きあたって右に折れ、窓辺を左に見ながら、いくつものドアが並んだ廊下を進む。
窓の外は裏庭だ。
雪に埋もれた植え込みが幾何学模様に配置されていた。
一番奥の漆黒のドアの前でエカチェリーナさんが立ち止まった。
「ここにいます」
あたしはエカチェリーナさんの後ろを歩きながら、その心の声を聞いていた。
「兄さん。きっとあたしが仇を討ちます」
心の中でそう言っていた。このドアの中にエカチェリーナさんの兄の仇がいる。
エカチェリーナさんがドアのノブに手を掛けようとした。
あたしはその肩に手を置き、
「あたしが開けましょう」
と言った。
あたしにはエカチェリーナさんがこのドアを開けることが辛いと分かったからだ。
それが「兄さん」に関係していることは明らかだった。
そして、その苦痛の正体はこの部屋の主の仕打ちにあった。
「いえ、あたしが開けなければならないんです」
「乗り越えたいから?」
エカチェリーナさんは驚いたようにあたしの顔を見た。
「お兄さまのことは、あなたのせいじゃないと思います」
とあたしが言うと、エカチェリーナさんは黙って握ったノブを手放したのだった。
ドアの向こうの部屋は、サロンルームだった。
ラグジュアリーな家具が置かれ、大きな窓のカーテンは閉まっていて落ち着いた雰囲気が漂っていた。
そこの背もたれ椅子に深々と座る学生服を着た顔面蒼白の若い男。
その男は自動拳銃をこめかみに突き立ててこちらを見ている。
「桜子。兄さんはもうだめだ」
と言ったかと思うと、銃声一発。頭がはじけて椅子ごとのけぞった。
「桜子?」
背後のエカチェリーナさんが、
「あたしのことです」
なるほど、これが苦痛の原因かと思った。
兄になりすましたヴァンパイアの茶番に付き合う苦痛。
「おい。悪ふざけはやろ」
あたしの言葉に反応して、椅子の死体がむっくりと起き上がり、
「なんだ。桜子でなかったのか」
と言った。
エカチェリーナさんがあたしの背後から、
「あたしはここにいる」
と言ったので、学生服はエカチェリーナさんの方に目を移し、
「後ろにいたのか。おいで桜子。僕のかわいい妹」
とこちらに手を広げて立ち上がった。
「言うな、化け物! 兄は死んだのだ」
あたしの後からエカチェリーナさんが躍り出て抜刀、学生服の鼻先を切り上げた。
学生服は一瞬で背もたれ椅子の背後に飛んでそれを避けた。
学生服は鼻の頭をなでながら、
「おいおい。兄さんになんとことするんだ」
「お前は兄じゃない。正体を現せ!」
とエカチェリーナさんが椅子を飛び越えて横に一閃、真空を切る。
今度は首を切り落したかと思ったが、それも瞬時に避けて無傷。
学生服の動きは速いが、それ以上の見切りがすごかった。
斬撃の一瞬まで動かず、遊戯のように紙一重でよける。
己の見切りに絶対の自信があるようだった。
しかし見切った後の動きが凡庸だ。
あたしはそこに勝機を見た。
一閃二閃と畳みかけるエカチェリーナさんの斬撃。
それに対する学生服の動きに焦点を合わせそのパタンを読む。
あたしは白鞘の柄を握り、その一点を待つ。
エカチェリーナさんの攻撃を学生服は戯れるがごとくに避けて行く。
二人の輪舞を見ているかのような時間が過ぎる。
「兄を返せ!」
とエカチェリーナさんが叫んだ。
下段から袈裟に切り上げる。
この斬撃を見切った学生服は必ず横に飛ぶ。
何度も繰り返されたパタン。
この時だ。
エカチェリーナさんの切り上げに、学生服があたしの目前に胴体を晒した。
そこに抜刀。
高倉健さん直伝? の長ドスが、金ボタンを切り裂き胸を穿いて左の肩まで切りあがる。
動きが止まり、胸を押さえたまま膝をついてこちらをねめつける。
床にぼとぼとと音を立てて赤黒い液体が滴り落ちる。
「貴様」
と言うなり学生服はおぞましいげな本性を現すと、その場で飛び上がって天井を突き破った。
次いで、空気が一気に外に抜け室温が低下したかと思うと、その怪物は天井から姿を消していた。
「逃げられた!」
エカチェリーナさんが叫ぶ。
「外へ」
洋館の外に出てキノッピの元へ行くと、いない。
「あそこに!」
エカチェリーナさんが空を指さしている。
見上げると怪鳥がキノッピを攫って羽ばたいていた。
「すぐ追いましょう」
あたしとエカチェリーナさんは車のエンジンをかけ、飛び去る怪鳥を追ったのだった。
例えば、あたしの大好きなヴァンパイア映画『僕のエリ 200歳の少女』。
エリが仲良くなった少年の家の玄関で、
「無理に押し入ったらどうなるの?」
と言われて無理に入り、額から赤い血を滴らせながらその苦悶の姿を見せるシーンは、ヴァンパイア映画で最も美しいシーンだと思う。
家の内と外との区分は神の加護を前提にしている。教会が結界になっているのと同じ原理だ。
でも辻沢のヴァンパイアは違う。
家の内と外に特別な差はない。
ということで雪の中に蹲るような洋館の、見上げるほどの玄関扉を蹴り倒して中に侵入した。
鼻に付くのは埃と黴なにやら饐えた匂い。そして匂いの底の松脂臭。
エカチェリーナさんがハンディーライト灯す。
そこは寒色の絨毯が敷かれた大広間になっていて、蹴破った扉のせいで埃がせわしなく舞っていた。
真ん中に古びたソファーとテーブルがぽつんと置かれている。
三方の壁一面が本棚だ。だが本は一冊も並んでいない。
「上の階だと思います」
正面の大階段をLEDで指し示す。
ギシギシと鳴る木製の大階段を昇りきり、暗い廊下を明るい先を目指して進む。
突きあたって右に折れ、窓辺を左に見ながら、いくつものドアが並んだ廊下を進む。
窓の外は裏庭だ。
雪に埋もれた植え込みが幾何学模様に配置されていた。
一番奥の漆黒のドアの前でエカチェリーナさんが立ち止まった。
「ここにいます」
あたしはエカチェリーナさんの後ろを歩きながら、その心の声を聞いていた。
「兄さん。きっとあたしが仇を討ちます」
心の中でそう言っていた。このドアの中にエカチェリーナさんの兄の仇がいる。
エカチェリーナさんがドアのノブに手を掛けようとした。
あたしはその肩に手を置き、
「あたしが開けましょう」
と言った。
あたしにはエカチェリーナさんがこのドアを開けることが辛いと分かったからだ。
それが「兄さん」に関係していることは明らかだった。
そして、その苦痛の正体はこの部屋の主の仕打ちにあった。
「いえ、あたしが開けなければならないんです」
「乗り越えたいから?」
エカチェリーナさんは驚いたようにあたしの顔を見た。
「お兄さまのことは、あなたのせいじゃないと思います」
とあたしが言うと、エカチェリーナさんは黙って握ったノブを手放したのだった。
ドアの向こうの部屋は、サロンルームだった。
ラグジュアリーな家具が置かれ、大きな窓のカーテンは閉まっていて落ち着いた雰囲気が漂っていた。
そこの背もたれ椅子に深々と座る学生服を着た顔面蒼白の若い男。
その男は自動拳銃をこめかみに突き立ててこちらを見ている。
「桜子。兄さんはもうだめだ」
と言ったかと思うと、銃声一発。頭がはじけて椅子ごとのけぞった。
「桜子?」
背後のエカチェリーナさんが、
「あたしのことです」
なるほど、これが苦痛の原因かと思った。
兄になりすましたヴァンパイアの茶番に付き合う苦痛。
「おい。悪ふざけはやろ」
あたしの言葉に反応して、椅子の死体がむっくりと起き上がり、
「なんだ。桜子でなかったのか」
と言った。
エカチェリーナさんがあたしの背後から、
「あたしはここにいる」
と言ったので、学生服はエカチェリーナさんの方に目を移し、
「後ろにいたのか。おいで桜子。僕のかわいい妹」
とこちらに手を広げて立ち上がった。
「言うな、化け物! 兄は死んだのだ」
あたしの後からエカチェリーナさんが躍り出て抜刀、学生服の鼻先を切り上げた。
学生服は一瞬で背もたれ椅子の背後に飛んでそれを避けた。
学生服は鼻の頭をなでながら、
「おいおい。兄さんになんとことするんだ」
「お前は兄じゃない。正体を現せ!」
とエカチェリーナさんが椅子を飛び越えて横に一閃、真空を切る。
今度は首を切り落したかと思ったが、それも瞬時に避けて無傷。
学生服の動きは速いが、それ以上の見切りがすごかった。
斬撃の一瞬まで動かず、遊戯のように紙一重でよける。
己の見切りに絶対の自信があるようだった。
しかし見切った後の動きが凡庸だ。
あたしはそこに勝機を見た。
一閃二閃と畳みかけるエカチェリーナさんの斬撃。
それに対する学生服の動きに焦点を合わせそのパタンを読む。
あたしは白鞘の柄を握り、その一点を待つ。
エカチェリーナさんの攻撃を学生服は戯れるがごとくに避けて行く。
二人の輪舞を見ているかのような時間が過ぎる。
「兄を返せ!」
とエカチェリーナさんが叫んだ。
下段から袈裟に切り上げる。
この斬撃を見切った学生服は必ず横に飛ぶ。
何度も繰り返されたパタン。
この時だ。
エカチェリーナさんの切り上げに、学生服があたしの目前に胴体を晒した。
そこに抜刀。
高倉健さん直伝? の長ドスが、金ボタンを切り裂き胸を穿いて左の肩まで切りあがる。
動きが止まり、胸を押さえたまま膝をついてこちらをねめつける。
床にぼとぼとと音を立てて赤黒い液体が滴り落ちる。
「貴様」
と言うなり学生服はおぞましいげな本性を現すと、その場で飛び上がって天井を突き破った。
次いで、空気が一気に外に抜け室温が低下したかと思うと、その怪物は天井から姿を消していた。
「逃げられた!」
エカチェリーナさんが叫ぶ。
「外へ」
洋館の外に出てキノッピの元へ行くと、いない。
「あそこに!」
エカチェリーナさんが空を指さしている。
見上げると怪鳥がキノッピを攫って羽ばたいていた。
「すぐ追いましょう」
あたしとエカチェリーナさんは車のエンジンをかけ、飛び去る怪鳥を追ったのだった。