キノッピ 5

文字数 1,900文字

 とにかく車だ。営業所の駐車場に壬生の車があるはずだ。
 雪が降っていなくても、この道を営業所まで歩くなんて普段はしない。でも、まひるのためと思うとむしろ喜んでした。途中テンションがあがって小走りになり汗ばむほどに体が温まった頃、営業所に着いた。
 駐車場へ行って壬生の車を探した。隠すように端の方に止めてあるのを見つけた。
 リアウインドがぶっといゴム枠になっていて、水中眼鏡をかけてるみたいな軽自動車だ。
「旧車だ。リストアもしてある。初代HONDA Z360。イケてんべ」
 ボディーは深いカーキ色、ホイールはむき出しの黒というところが壬生にしてはいいセンスだったと思う。
 それと壬生がねっとりとメンテしてたから状態は超いいはずだ。問題は乗り心地だけ。この小さな車体からして、まひるはじめアンセラフィムの御三方が乗るとなると問題あるかも知れない。
 助手席はまひるだよな。まさか僕の人生で推しを助手席に乗せてドライブする日が来るなんて思いもしなかった。自然と口元が緩くなる。狭っま。まひるの身長は167cmとゲードルの中でも背が高いほうだからこの天井で大丈夫だろうか。コトコトとアヤネちゃんはバックシートだ。試しに自分で後ろに移動して座ってみた。やっぱせっま。ドアを閉めると一層狭く感じる。僕の座高でかがみたくなるくらいだ。コトコトは小さいからなんとかるかもだけど、アヤネちゃんはまひると同じくらいだから、長旅はきついかもしれない。
 おっと、誰か出てきた。営業所の外階段を下りて来る。ここで見つかったら相当やばい。狭い車内で体を縮こまらせて身を伏せる。
 雪を踏む音が近づいてくる。こうしてじっと隠れていると獣になった気分だ。ドアを閉める音、エンジンを掛ける音、そしてタイヤが氷を踏む音が遠ざかって行った。無事危機脱出。
 次が来ないうちに早く出発しよう。運転席にもどってバックミラーを覗き込んだら、血だらけの自分の顔が映った。こんな顔でうろついてたのか。ここまで来るとき、すれ違ったおじさんが運転席からまじまじとこちらを見てたのはこのせいだった。よくスルーしてくれたと思う。ここらでは人が血だらけで歩いていたら、
「なんぞあったかい?」
 と必ず停まって声を掛ける。厳しい自然が他人の事を放っておかない人情を育んでいるのだ。おじさん、よほど急いでいたか僕の形相に恐れをなしたか。とにかく見られたとなれば色々まずいわけで、まひるのところに早急に戻らねばならなさそうだった。
 エンジンを掛けてと。そうかマニュアル車だからクラッチがあるのか。慎重に発進して、ゆっくりトラックヤード前を横切ったら、食堂の窓から人がこっちを見ていた。まかないの杉本のおばさんだった。僕と気付いたようだったけど、もうどうしようもなかった。どうか、壬生の命令で車を取りに来たと勘違いしてくれますように。……ないか。
 幹線道路に入ってヘッドライトを消す。日は沈んだが雪明かりで前方は見える。農道の入り口で一端停車して往来の車が無いことを確認した上で右折した。
 森にさしかかったとき、奥の方で紫の光が瞬いていた。そのまま車を進めると、光は消えていたがトラックの前でまひるとコトコトとが佇んでいた。声を掛けると、まひるが微笑みながらこちらに近づいてきて、
「カワイイ車ね。気に入ったわ」
 と言ってくれた。

 「じゃあ、これ始末してきます」
とまひるに言ってトラックの運転席に乗り込んだ。まひるは予備の段ボールを抱えていた。何に使うんだろう。
 少し走ってサイドミラーを覗くと、アンセラフィムの3人がHONDA Z360のに乗り込む所だった。
 トラックを目立たない所に運ぶつもりで出たけれど、さしあたって森の奥に移動することしか考えはなかった。
 雪が段々と深くなりこれ以上は無理となった時、道路脇を少し下がった所に雪の平地を見つけた。そこは周囲を木々が覆いフットサル場くらいの広さだった。
 車を降りてそこまで歩いて近づいて見る。やっぱりだ。貯水池らしかった。
 車に戻ってアクセルを思いっきり踏み込んで発進。斜面の勢いで中心まで突き進み、氷が割れて水没。
……となるはずだった。現実はそうはうまくいかない。斜面を下ったところでタイヤを泥に取られて停止してしまった。動かんのよ。
 あせってアクセルを踏めば踏むほどタイヤは空回り。運転席を降りてタイヤの様子を見る。終わりだった。タイヤは半分以上泥に埋まっていた。大人が3人で押してもこれは無理だ。途方にくれいていると、
「乗って。アクセル踏んでて」
と背後で声がした。
 振り返ると、まひるが斜面を下りてくるところだった。
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