キノッピ 8

文字数 1,755文字

 司祭に全てを了承してもらえたのはよかったが、まひるたちへの態度は気に入らなかった。

まひるを何だと思っている?

世界最強のゲーム女子、ゲードル界のスーパースターだぞ!

ゲームするのがサブカル女子だけだったのは大昔。

今や、ゲードルは女の子のなりたい職業No.1だ。

夜野まひるは全国の少女たちの憧れなんだ。

ロシアにだって名前は響き渡っているはず。

……さすがに知ってるだろ?

「ヒョードルニ、ヘヤマデアンナイサセマス。ヒョードル」

と司祭が出口に向かって呼びかけると、

「はい。こちらに」

と声がした。

廊下に出ると、

「ヒョードルです。どうぞ」

ヒョードルにしては日本人の、ゴマ塩頭で小柄なおじさんが待っていた。

 そのヒョードルの案内で2階に上がる。

黒くつるつるで使い込まれた廊下を戻り、玄関脇のギシギシいう階段を上る。

「こちらです」

 通されたのは玄関の直ぐ上の部屋のようだった。

部屋は赤い絨毯が敷かれ本棚が壁一面に巡らされた書斎で、

奥の扉の向こうに巨大なベッドが設えられた寝室があった。

いや、いくら4人で寝られそうな広さでもそれはまずい。

僕は書斎のスツールで寝よう。

それにしても推しと同部屋に寝泊まりするなんて、なんて天国なんだ。

などと考えていると、入り口に立っていたヒョードルが、

「こちらは司祭様からです」

と小さな段ボール箱を差し出すので受け取った。

中を見ると救急セットと牛乳瓶数本が入っている。

するとヒョードルが僕の腕に触れ、

「それはあちらの女性に」

とまひるに渡すように促すので、急いで手渡した。

 まひるは段ボール箱の中を見て、

「どうしてこれを?」

と怪訝そうな顔でヒョードルを見返した。

「さるお方からの預かり物です」

すかさずまひるが問い返す。

「それは女性の方ですね?」

ヒョードルは驚いた様子で、

「そうです」

次いでまひるが、

「ここにいらっしゃった?」

ヒョードルがはっとした顔をして、

「確かにここに滞在はされていました。でもどうしてそれを?」

と言った。

「今でも残り香がします。山椒の芽の爽やかな香りが。もしやまだいらっしゃるのでは?」

たしかにこの部屋に入った時、懐かしい辻沢の香り、夏の夕立の後に漂う山椒の香りがした。

ところが、ヒョードルは急に顔をこわばらせ、

「いいえ。いらっしゃったのは10日ほど前です。今はここには司祭様と私しかおりません」

と言ったのだった。

「そうですか」

そう言うと、まひるは段ボール箱の中から牛乳瓶を取りフタを親指で押し開けたかと思うと、一気に飲み干してしまった。

プッハー!

とか言いそうな勢いだった。

「あなたはこちらです」

ヒョードルに案内されたのは、まひるたちの隣の、一間に小机とベッドだけがあるゲストルームだった。

こうして推しと同泊、あわよくば同衾するという幻想はもろくも崩れ去る。

そりゃあそうだよね。

 しばらく後、ヒョードルがドアの外から、

「お風呂が空きました」

と言ってきた。

 支度して出ると、階段をアンセラフィムの3人が部屋に戻って来たところだった。

三人ともキャラパジャマ姿で頭にタオルを巻き、すっかり温まった様子だ。

先に3人が入ったということは、僕はこれから推しがつかったお風呂に入るということだ。

よからぬ妄想をしながら風呂場に行くと、がっかりだった。

脱衣所はもとより洗い場はきれいに掃除され、お湯も全部替えられていた。

 風呂から出ると、僕にもキャラパジャマを用意してもらっていた。

サイズがきつめなのは、教会学校の中学生達が使うものだからだそうだ。

 食事は部屋に運ばれてきた。

だから僕は一人で食べた。

 ピロシキとかボルシチとかマトリョーシカとか、ロシアっぽい料理がでるのかと思ったけれど違った。

焼きホッケに味噌汁とご飯だった。

焼きホッケは身がほくほくでおいしかった。

 あ、マトリョーシカは食べ物じゃないか。

でも、用もないのに食卓に乗ってるイメージ強い。

 食事を終えて窓の外を見てみた。

雪が勢いを増していた。

HONDA Z 360が雪に埋もれかけている。

そういえば大雪警戒警報が出ていたのだった。

今夜はかなり積もるかもしれない。

 顔を洗いベッドに横になる。

久しぶりの安息だと思ったが、地獄で天使に出会ったのは、ほんの半日前のことだった。

でも、ずいぶんと遠くに来てしまった。

そんな気がして目を閉じた。
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