まひる 18

文字数 2,065文字

 あたしが勧めたスコーンにヒョードルさんお手製イチゴジャムを付けながら、

「まひるさん。もう行ってしまうんですか?」

とエカチェリーナさんが言った。

日課になったエカチェリーナさんとのアフタヌーンティー。

紅茶のお供を交互に作ることになっていて、今日はあたしの番だった。

「警察も捜査の手を緩めたみたいですし」

ニュースではもう、ヤオマン車両行方不明事件について報じることもなくなっていた。

発生から1ヶ月半が経って進展なしということで視聴者の関心も他へ移っていってしまったのだろう。

警察は結局、車が貯水池に沈んでいるのも失踪した二人のドライバーも見付けることができなかったのだ。

「ずっとここにいて下さってもいいんですよ」

と、前から言ってくれていることを繰り返した。

「そうしたいのですけれど、あたしは二人を連れて帰らねばならないので」

居心地がよすぎて長居したけれど、ずっとコトハとアヤネのことが気がかりだった。

 二人の食餌はなんとかなった。キノッピごめんね。先に謝っておこう。

屍人は血が足りなくなると、それこそハリウッド映画に出てくるようなゾンビ顔になってしまう。

目が血走って口が裂け銀色の牙が突き出てって、あれ。

ところが一口キノッピの血を飲ませると、みるみる二人が穏やかになった。

さすが辻沢の血は争えない。

言葉の使い方、間違ってるだろうか?

「おいしい! あーこれでもう、夜野まひるのお手製が食べられなくなるかと思うと……」

と言って、スコーンをまるごと口に入れた。

ふごふご。

口の中の水分全部持って行かれちゃてるし。

エカチェリーナさんの気持ちはよく分かった。

エカチェリーナさんは感謝しているのだ。

あたしにというのではなく、この巡り合わせに。

お兄さんの復讐を遂げた以上にその呪縛から解放されたことにだ。

そしてエカチェリーナさんは新しい道を歩み始めたようだった。

今は斜里のロシア正教会を転出して、ヒョードルさんと夫婦で遠軽ロシア正教会のヴァンパイアスレイヤーとなった。

さらに今年の夏、拳銃の再訓練を受けにロシアに渡るそうだ。

お兄さんの後を継ぐつもりなのだ。

「トカレフ二丁拳銃、カッコよすぎ」

と、毎日ポージングの練習をしている。

 ドアをノックする音がした。

返事をするとセルゲイが書斎のドアから顔を出した。

このセルゲイ、今は斜里と遠軽のロシア正教会と兼任スレイヤーになっている。

道東スレイヤー組合の青年支部長にも昇進したらしい。

ちなみに道東にスレイヤーは、エカチェリーナさん、ヒョードルさん、セルゲイの3人しかいない。

スレイヤー候補の登用も急務で、あの入植者支援ボランティアも今やその隠れ蓑にしているという。

「姉があいつを始末してから、雑魚いのが五月蠅くなった」

ヴァンパイア・スレイヤー大繁盛という。

ヒョードルさんは本国からの資金提供も以前よりはましになったと喜んでいた。

よいのか悪いのか。

「買い出しに行きますが、何かありますか?」

セルゲイが言った。

買い出しは変わらずセルゲイの役目だ。

キノッピには、

「自分が行きます」

と言われるけれど、もしキノッピが警察に掴まりでもしたらあたしたちは本当にここに釘付けになってしまう。

雪が大地を覆い尽くしていた以前ならば、吹雪の中を3人で歩いて逃走することも出来た。

しかし春になって野外にも人目が多くなってしまった今となっては、もう無理だ。

二人の食餌のこともある。車の運転も頼みたい。

キノッピはあたしたちアンセラフィムの生命線なのだ。

申し訳ないけれど外出は控えてもらうしかないのだった。

 アフタヌーンティーをお開きにして、寝室でコトハとアヤネの横で寛いでいると、司祭から呼び出しがあった。

 あいつを始末してあたしたちが教会に帰り着いた時、司祭は玄関まで迎えに出ていて、

「ワタクシノナハイゴーリ。エンガルロシアセイキョウカイノシサイデス」

と自己紹介。握手まで求めてきた。

「コレデカタノニガオリマシタ。シャッキンアリガトウ」

借金が帳消しになったことがよほどうれしかったらしい。

 それ以来、敬意を示して司祭と呼んでいる。

それで何の用かと思えば、

「アノウツクシイヒトガクルマデイテクダサイ」

聖職者の執着とは?

「来ないと思いますけど」

例の飲み物はまだ余裕があるし、来るとしても次の移動先だ。

「ソレハザンネンデス」

本気で落ち込んでるようだった。

「ナニカヒツヨウナモノガアッタライッテクダサイ。カミノゴカゴヲ」

と最後は聖職者らしいことを口にして食堂を出て行った。

 古くさい木造建築の匂いがする廊下を歩いて車庫に向かう。

キノッピがヒョードルさんと例の軽自動車の整備をしているのを見に行くのだ。

車庫の内扉を開くと、薄暗い中にドアとボンネットを開けはなった深緑の車体があった。

土と油の匂いが鼻を突き、車庫に知り尽くした曲が響いている。

「青春血祭り」(青血)、RIBの夏曲だ。

夏にはまだ遠いけれど、雪も解けもう春だ。

梅が桃が桜がツツジが一斉に咲き出す5月も近い。

あたしたち4人が、北海道の緑の大地に向かって思いっきり飛び出す時期が迫っていた。

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