まひる 4

文字数 1,978文字

 外で作業をしていた若い男が
「少しここで待っていてもらえますか?」
 と、庫内をのぞき込んで言った。先ほどまでの作業服の上に厚めの防寒着を着ていた。奥で伏せていたコトハが小さくうなり声を上げる。あたしがそれを制して、
「どうする気?」
 と尋ねると、
「換えの車取ってきます。このトラックじゃこの先進めそうにないので」
 と言った。
 血痕は拭けばなんとかなるがフロントガラスが壊れていては極寒の中を走るのは無理ゲーだ。補修するにもここにあるのは段ボールぐらい。そんな風体のトラックを走らせていたら警察に止められかねない。今それは一番まずい。
「寒いからドア閉めときますね」
 と若い男が言ったのを、
「かまわないから開けておいて」
 と断ると、
「でも」
 と奥の二人に目をやって心配そうな顔をした。普段ならその気遣いを二人のために喜んだろうけど、今の二人にはその必要はなかった。屍人の彼女たちに感覚などはないのだから。
「大丈夫」
 と言うと、
「30分で戻ります」
 若い男は一礼してその場を立ち去ろうとした。あたしはその背中に向かって、
「名前を教えて」
 と声を掛ける。若い男はその場に停まってしばし押し黙っていたが、おずおずとした口調で、
「チブクロNo.41023のキノッピです。よいおにいさんって覚えてください」
 と言うと、つんのめりながら雪の中に走り去った。名前を聞いたのに若い男はハンドルネームで答えたのだった。
 キノッピは本当に戻って来るだろうか。途中で気が変わって駐在所に飛び込んだりしないだろうか。あたしは不安が募って庫内にじっとしていられなくなった。
 庫外に出ると、あたしが引き出した荷物も男の死体も無くなっていた。キノッピが全部片付けたようだった。荷物の一部は運転席に押し込んであったが、男の姿はどこにも見当たらなかった。
 最初に歩いてきた農道のところまで森を出てみた。すでにブリザードは治まって遠くまで銀世界が広がっているのが見渡せた。手前に伸びる黒い帯は幹線道路だ。先ほどあたしたちが歩いてきた右方向は遙か先まで何も見えなくなっていたが、左方向に街があって夕暮れの中、明かりが点り始めていた。
 キノッピはあそこまで歩いて行ったのだろう。辻沢のよしみとRIBのファンということで甘えてしまったけれど、普通に生活する彼にしてみれば迷惑な頼みだったはずだ。もしキノッピが戻って来なかったとしても、それはしかたがないことと思うことにしよう。そのときはまたコトハとアヤネと3人で歩いて行けばいいのだ。食餌の問題は残るけど……。
 トラックの広場まで戻ると人影があった。この寒さの中リクルートスーツを着ていた。咄嗟に体勢を低くして近くのシラカバの影に隠れたけれど、相手は端からあたしを待っていたようだった。
「ヨルノマヒルサンデスネ。オマチシテイマシタ」
 片言の日本語でそう語りかけてきたのは、彫りの深い顔立ちの男だった。金髪ロンゲの隙間からグリーンの瞳を向け、青白い顔に薄ら笑いを貼り付けている。
「シンパイナイ。ワタクシハアナタノミカタデス」
 そう言われて安心など出来るはずがなかった。それはその男から松ヤニの匂いが漂ってきていたから。
 オホーツク上空、墜落する機内は漏れ出た燃料やメンバーが流した血の匂いが充満していた。その中でも空気の底に粘り着いていたのが松ヤニの匂いだった。
 あたしはシラカバの幹に隠れながら男の視線を惑わし間合いを詰めた。
 男があたしの位置を見失ったよう。走る。木立の境でジャンプし男の脳天めがけて手刀を叩き込む。男はあたしの初手をかわすと、
「ランボウナコトハヤメテクダサイ」
 言葉が終わらぬうちに蹴りを入れて来た。冷気を切り裂く猛攻。それをあたしは胸の先で受け流し、リクス男の空いた脇腹に拳を突き上げる。あばらが折れる音。悶絶して蹲った頭部に攻撃を入れようとして間違えた。動きが止まる。その一瞬にリクス男が頭突きを繰り出してきた。金色の塊があたしの顎を粉砕せんとした時、男の動きが不自然に止まった。間髪入れず凝固した金髪頭を渾身の力で蹴り上げた。リスク男の首は主の体を離れ、サッカーボールのように曇天の空に舞い上がっていった。大量の赤黒い血を吹き出しながら男の体が雪崩を打つ。その腰にコトハが纏わり付いていた。男の動きを止めてくれたのだった。
 鈍い音を立てて男の首が雪上に落ちてきた後、体と一緒に紫の炎を上げて燃えだした。そして見る間に焼尽し、あたりに松ヤニの匂いを残して消えた。
 VR格ゲーの経験が役に立った。でも間違えてコンボ技を出しそうになったのには焦った。拳を横に2回、縦に1回振ってもリアルでは何も起きないから。
「何があったんですか?」
 背後から声がした。身構えて振り向くと、丸っこい軽自動車の窓からキノッピが顔を出してこちらを見ていた。
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