キノッピ 2(2/2)

文字数 1,580文字

 長い長い一日だった。嫌なこともいつかは必ず終わる。そう思い詰めて窒息しそうな時間をやり過ごした。壬生の退屈な話を聞かされるのも、同じ空間に居続けるのももう限界だった。やっと、やっと次で今日最後の中継所だ。
 しまいの仕事はT集配所での積み込みだ。ここで積み込んで営業所に戻ればとりあえずこの地獄を脱出できる。
 T集配所は中村所長と受付の西田さんが二人で切り盛りしている。
 中村所長はつい最近まで集配をしていて、やっと力仕事から開放された50代のベテランさん。町の病院で看護士をしている娘さんと、札幌の大学を今年卒業する息子さんがいるやもめだ。奥さんは3年前に出ていったらしい。
 西田さんは四捨五入すると30才のパートさん(「あくまでも30才だから、四捨五入すると」)。18才で結婚して、子供はできないまま、去年旦那さんと別れてバツイチとなった。今は元旦那の親友でバツ2の高校の同級生と付き合ってるらしい。
 なんでそんなに詳しいかといえば、ここが田舎だからだ。田舎はどこもこういう情報が聞くつもりもないのに耳に入ってくる。他人との距離感がどうも余所とは違うらしいのだ。
 前に定食屋でテレビにドリカムが出ていたのを見てたら、店員のおばちゃんが、
「この子、帯広の子よね」
と知り合いのように言ったので聞くと、全然そうじゃなかった。帯広なんてここから200キロは離れているけれど、道民はみな身内の感覚らしい。
「木下君、慣れたかい?」
 中村所長が声をかけてくれる。荷の積み下ろしは本来こっちの仕事だけど、中村所長は
「寒いし、人手が多いほうがいいだろ」
 といつも手伝ってくれる。ほんとうにありがたい。壬生は運転手は運転に集中すべきという勝手なルールを作って、決して荷の積み下ろしをしない。だから4トントラックを集配所のトラックヤードに後ろ付けしたら、知らぬ顔で事務所に入って西田さんにちょっかいを出している。西田さんは大人だから露骨に嫌な顔はしないけれど、迷惑がっているのは明らかだ。それでも壬生はあの女はおれに気があるとか言い出すんだ。ズレ過ぎてて笑えない。
 荷を積み終わり、出荷票にサインをもらいに受付に行くと、
「ほれ、喉渇いたろ」
 と壬生がスポーツドリンクのペットボトルを差し出した。鼻先に突き出されたそれはすでに蓋が開いてあって、一見してのみかけであることが知れた。壬生を見ると唇がよだれで湿っている。その口でここを舐ったかと思うと、気持ち悪くて手が出ない。
「飲めよ。冬だからって熱中症はあるんだぞ。ねえ、所長さん」
 と部屋の端の方で伝票を確認している中村所長に同意を求める。
「あゝ」
 と、もとから壬生を好んでないらしい中村所長が気のない返事をすると、
「な」
 と言って、さらに僕の口元に押し付けようとする。そんなこと今までされたことないし嫌な感じもしたが、このまま拒否っていたら押さえつけられて飲まされかねない。しかたなく、壬生の手からこの世界で一番飲みたくないボトルをもぎ取って、口をつけずに少しだけ舌のうえに落とした。
「バーカ、そんなじゃ、喉が潤うわけねーべって」
 といって、ボトルの底を鷲掴みにすると、僕の顎を押さえ中身を口の中にぶちまけた。僕はその半分を受付の床に吐き出し、もう半分を思いっきり飲み込んでしまった。水泳の息継ぎに失敗したときのような嫌な味が鼻を抜けて上がってきた。むせかえって息ができずにいると、
「大丈夫? 木下さん」
 西田さんは心配顔で一旦はハンカチを差し出したけれど、鼻水だのよだれだのをこびりつかせた僕の顔を見て、それをゆっくりと引っ込めた。
「何むせてんだよ。もったいねーな。俺が飲ませてやるって。ほれ貸せや」
 と言って、壬生がペットボトルを奪い取ろうとするのには、渾身の力で抵抗した。そのときは本気で殺してやろうかと思ったほどだった。
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