まひる 20
文字数 2,260文字
「ここの蕎麦屋、美味しそうですよ。寄ってみません?」
これで3回目だ。もうすぐお昼だというのは分かる。
「あたしたちはいいから、キノッピだけでどうぞ」
毎回同じように返事をするが、蕎麦屋がある度に店の前まで低速走行しながら聞いて来る。
キノッピが言うには、今いる幌加内はソバの生産日本一の場所で、蕎麦が新鮮でおいしいらしいのだが……。
ヴァンパイアは蕎麦は食べない。
いや、あたしは食べても問題ないのだが、後ろのコトハとアヤネが食べたら鼻から蕎麦を吹き出しながら悶絶するだろう。
屍人だから死にはしないが。
「まず、その養蜂家の方の拠点に行きましょう」
そう言うと、蕎麦屋の幟を名残惜しそうにねめつけながら通常走行に戻るのだった。
なぜ幌加内なのか。
キノッピに運転を任せる以上ルートに文句は言わない。
それは、ブリザード吹きすさぶあの雪原で決めたことだ。
キノッピは初めて会ったあたしたちのために仕事を飛ばして生活を放棄してくれた。
その恩に報いる気持ちもある。
でも、今回のことは少し違う。
公衆電話から戻ったキノッピはこう思っていた。
「まひるを危険な目に遭わせてはいけない」
その気持ちはとてもありがたいし、これまでもそうして自分を犠牲にしてくれてきた。
さらにキノッピはこのように考えていた。
「僕はもっとまひるのソバにいたい」
このまま旭川を素通りすれば苫小牧まですぐで、あたしたちと一緒にいる時間も短くなってしまう。どうすればもっとまひるのソバにいられるか。
それが本意のようだった。
あたしたちを危険な目にあわせず、しかもこの旭川に留まる方法を考えに考えて絞り出したのが中学時代の友達という、極めてはかなげな絆だったのだ。
「その方との関係は今どうなってるの?」
あたし自身、中学のころの知り合いなど連絡したこともないから。
するとキノッピは少し言いよどみながら、
「仲良いいです。しょっちゅうネットの対戦ゲームとかやって」
嘘だった。
もう何年もメールさえしてないなと思っていた。
でも、あたしが不安なのは疎遠か親密かではない。
心配なのは、その養蜂家が辻沢の人間だということだった。
もしその人が反ヴァンパイア勢力側の人間だったら。
確かに、ロシアヴァンパイアの襲撃はやかっかいだが、
あたしにとってそれ以上に辻っ子はしんどい存在なのだ。
姉のヒナタとあたしが辻っ子に襲われヒナタが殺された後のことだ。
ヒナタの仇を殲滅して家に帰ってすぐに辻沢のオトナに呼び出された。
辻沢の屋敷町にある邸宅に行くと、日中なのにカーテンの閉まった広間に通された。
コの字に置かれたテーブルとその真ん中にパイプ椅子。
そこに座って待っていると、6人のオトナが入ってきて挨拶をした。
六辻家。辻沢を裏で牛耳る宮木野流旧家の面々だった。
つまりヴァンパイアの血筋。
あたしは母からその存在を知らされていたが、実際に面会するのは初めてだった。
母曰く。
「うちは傍流の傍流だから関わりは薄いけど従わないという選択肢はないのよ」
そういう存在だった。
居並んだオトナの一人が言った。
真っ白いスーツを着込んだ、冷たく冴えた月のような女性だった。
「辻沢には宮木野遺訓というのがあるのを知っていますか?」
知らなかった。
「人為は須らく黙従すべし」
つまり、人がすることには黙って従え。それが命に係わる事であってもだそうだ。
「あなたがしたことは遺訓に反しています」
そう言われてあたしは腹が立った。
ヒナタが殺され、あたしも死ねばよかったと?
「そうです」
平然と言われた。
「それが宮木野の遺志です」
有無を言わさぬ圧があった。
あたしは椅子を蹴ってその部屋から立ち去りたかったが、冴えた月の目がそれをさせなかった。
その後、他の人が長々と訓戒を述べた。
そして冴えた月が最後に、
「今回のことは免責にします」
と言ったので、へっ? っとなった。
最悪20年は穴埋めにされるかもと母に言われて出て来たからだ。
穴埋めというのは死なないヴァンパイアの刑罰で、その体を拘束して地中に埋め、放置するというものだ。
スマフォもなくて20年は辛いなと思っていた。
冴えた月以外退室して、あたしと二人になった。
冴えた月はテーブルのところからあたしに近づいて来た。
そしてあたしの側に立つと両手を広げた。
「宮木野の娘よ。あなたの悲しみを共に」
あたしのことを抱きしめると、
「辛かったでしょう。でも心配しないでくださいね。あたしがいる限り辻沢はあなたの味方です」
その冴えた月が六辻家筆頭の辻王 、調家 当主、調由香里さんだった。
由香里さんにはその後も色々なことで支援を受けて来た。
今回の逃避行もおそらくは援助してくれている。
それゆえにだ。
もしも辻っ子がこちらに危害を加えて来た時の対処に困る。
遺訓の存在のせいで、あたしからは手が出せないのだ。
調由香里さんのメンツをつぶしたくはない。
でも、むざむざと殺されるわけにもいかない。
何よりも、コトハとアヤネを辻沢に連れ帰って、宮木野に生き返らせる方法を聞き出さねばならないのだ。
車は幹線をそれて山道を走っている。
両側にまっすぐ伸びた樺の木が並ぶ細い道を走って行く。
樺の木を透かして畑の風景が流れている。
ぱっと視界が開けた。
「これ全部ソバ畑ですよ、きっと」
キノッピが感嘆の声を上げる。
霞んで見える青い山並みまでなだらかな丘陵地が続いていた。
その真新しい土を命の芽吹きが覆い尽くしていた。
それを見て、あたしは考えるのを一旦やめにした。
「なんとかなるよね」
そう口に出してみた。
「なんとかなりますよ」
キノッピはそう答えてくれたのだった。
これで3回目だ。もうすぐお昼だというのは分かる。
「あたしたちはいいから、キノッピだけでどうぞ」
毎回同じように返事をするが、蕎麦屋がある度に店の前まで低速走行しながら聞いて来る。
キノッピが言うには、今いる幌加内はソバの生産日本一の場所で、蕎麦が新鮮でおいしいらしいのだが……。
ヴァンパイアは蕎麦は食べない。
いや、あたしは食べても問題ないのだが、後ろのコトハとアヤネが食べたら鼻から蕎麦を吹き出しながら悶絶するだろう。
屍人だから死にはしないが。
「まず、その養蜂家の方の拠点に行きましょう」
そう言うと、蕎麦屋の幟を名残惜しそうにねめつけながら通常走行に戻るのだった。
なぜ幌加内なのか。
キノッピに運転を任せる以上ルートに文句は言わない。
それは、ブリザード吹きすさぶあの雪原で決めたことだ。
キノッピは初めて会ったあたしたちのために仕事を飛ばして生活を放棄してくれた。
その恩に報いる気持ちもある。
でも、今回のことは少し違う。
公衆電話から戻ったキノッピはこう思っていた。
「まひるを危険な目に遭わせてはいけない」
その気持ちはとてもありがたいし、これまでもそうして自分を犠牲にしてくれてきた。
さらにキノッピはこのように考えていた。
「僕はもっとまひるのソバにいたい」
このまま旭川を素通りすれば苫小牧まですぐで、あたしたちと一緒にいる時間も短くなってしまう。どうすればもっとまひるのソバにいられるか。
それが本意のようだった。
あたしたちを危険な目にあわせず、しかもこの旭川に留まる方法を考えに考えて絞り出したのが中学時代の友達という、極めてはかなげな絆だったのだ。
「その方との関係は今どうなってるの?」
あたし自身、中学のころの知り合いなど連絡したこともないから。
するとキノッピは少し言いよどみながら、
「仲良いいです。しょっちゅうネットの対戦ゲームとかやって」
嘘だった。
もう何年もメールさえしてないなと思っていた。
でも、あたしが不安なのは疎遠か親密かではない。
心配なのは、その養蜂家が辻沢の人間だということだった。
もしその人が反ヴァンパイア勢力側の人間だったら。
確かに、ロシアヴァンパイアの襲撃はやかっかいだが、
あたしにとってそれ以上に辻っ子はしんどい存在なのだ。
姉のヒナタとあたしが辻っ子に襲われヒナタが殺された後のことだ。
ヒナタの仇を殲滅して家に帰ってすぐに辻沢のオトナに呼び出された。
辻沢の屋敷町にある邸宅に行くと、日中なのにカーテンの閉まった広間に通された。
コの字に置かれたテーブルとその真ん中にパイプ椅子。
そこに座って待っていると、6人のオトナが入ってきて挨拶をした。
六辻家。辻沢を裏で牛耳る宮木野流旧家の面々だった。
つまりヴァンパイアの血筋。
あたしは母からその存在を知らされていたが、実際に面会するのは初めてだった。
母曰く。
「うちは傍流の傍流だから関わりは薄いけど従わないという選択肢はないのよ」
そういう存在だった。
居並んだオトナの一人が言った。
真っ白いスーツを着込んだ、冷たく冴えた月のような女性だった。
「辻沢には宮木野遺訓というのがあるのを知っていますか?」
知らなかった。
「人為は須らく黙従すべし」
つまり、人がすることには黙って従え。それが命に係わる事であってもだそうだ。
「あなたがしたことは遺訓に反しています」
そう言われてあたしは腹が立った。
ヒナタが殺され、あたしも死ねばよかったと?
「そうです」
平然と言われた。
「それが宮木野の遺志です」
有無を言わさぬ圧があった。
あたしは椅子を蹴ってその部屋から立ち去りたかったが、冴えた月の目がそれをさせなかった。
その後、他の人が長々と訓戒を述べた。
そして冴えた月が最後に、
「今回のことは免責にします」
と言ったので、へっ? っとなった。
最悪20年は穴埋めにされるかもと母に言われて出て来たからだ。
穴埋めというのは死なないヴァンパイアの刑罰で、その体を拘束して地中に埋め、放置するというものだ。
スマフォもなくて20年は辛いなと思っていた。
冴えた月以外退室して、あたしと二人になった。
冴えた月はテーブルのところからあたしに近づいて来た。
そしてあたしの側に立つと両手を広げた。
「宮木野の娘よ。あなたの悲しみを共に」
あたしのことを抱きしめると、
「辛かったでしょう。でも心配しないでくださいね。あたしがいる限り辻沢はあなたの味方です」
その冴えた月が六辻家筆頭の
由香里さんにはその後も色々なことで支援を受けて来た。
今回の逃避行もおそらくは援助してくれている。
それゆえにだ。
もしも辻っ子がこちらに危害を加えて来た時の対処に困る。
遺訓の存在のせいで、あたしからは手が出せないのだ。
調由香里さんのメンツをつぶしたくはない。
でも、むざむざと殺されるわけにもいかない。
何よりも、コトハとアヤネを辻沢に連れ帰って、宮木野に生き返らせる方法を聞き出さねばならないのだ。
車は幹線をそれて山道を走っている。
両側にまっすぐ伸びた樺の木が並ぶ細い道を走って行く。
樺の木を透かして畑の風景が流れている。
ぱっと視界が開けた。
「これ全部ソバ畑ですよ、きっと」
キノッピが感嘆の声を上げる。
霞んで見える青い山並みまでなだらかな丘陵地が続いていた。
その真新しい土を命の芽吹きが覆い尽くしていた。
それを見て、あたしは考えるのを一旦やめにした。
「なんとかなるよね」
そう口に出してみた。
「なんとかなりますよ」
キノッピはそう答えてくれたのだった。