恵人の編5

文字数 1,404文字

 児童養護施設が、瞳に映ってきた。
 恵吾の姿を思い浮かべると、辛くて胸が詰まりそうだ。沢口に背中を押されるように施設の壁をすり抜けて、恵吾と暮らしていた部屋を恐る恐る覗いた。
 恵吾は、部屋にいた。自分の死を聞かされたようで、涙をぼろぼろと流しながら蹲っていた。悲しみに沈む小さな体は、溶けて消えてしまいそうだった。
 恵人は眼を潤ませた。自分が受けた、いじめの苦しみよりも、恵吾の悲しむ姿を見ているのが何倍も辛かった。胸が張り裂けそうだった。恵吾を残して死んだことを、後悔した。手をついて謝りたかった。
 心の中で、すまない、と謝り続けた。詫びることしかできなかった。
「あの写真に写っているのは、おまえの姉さんか?」
 写真を眼で指さした沢口が、重い口調で訊いてきた。
「は、はい」
 返事をした恵人は、思い出が詰まった写真を潤んだ眼で見つめた。その写真は、自分と恵吾、姉の三人がこの施設に引き取られたとき、近くの公園のベンチに座って仲良く並んで撮ったものだった。大切な父母を亡くし、姉に頼るしかない小さな弟二人。だがその姉も死んでしまった。 そして自分も、もうこの世にはいない。
「両親の写真はどうした?」
「つ、津波で全部、流されました」
「そうか……すると、あの写真は、ここにきてから撮ったものか?」
「はい、そうです」
 消えそうな声で応じた恵人は、辛くて口を閉じていたかった。
「それじゃあ、姉さんは? 最近、死んだのか?」
 恵人は押し黙った。
「どうした? 姉さんの死に、何か、訳がありそうだな」
 恵人は俯いて、口を貝のように閉じた。すると沢口がいきなり右手を伸ばし、左肩を掴んだ。そして掴んだ肩と瞳を介して、相手の心を探るかのような眼をしていた。
「そうか。姉さんは妊娠していて、何か酷い目に遭って死んだのか?」
「えっ? どうして、そんなことがわかるんですか?」
 恵人は零れた涙を手の甲で拭い、ひどく驚いた声で訊ねた。
「ここに戻る途中、俺がなぜ空を弾丸のように飛べるのか、おまえに話聞かせた仙人が、相手の心を読み取れる霊力も与えてくれた。完全にではないがな」
「あの、その仙人に会えたら、僕の霊力も強くできますか?」
「おまえの、霊力を強くする?」
「はい。僕の霊力も強くしてほしいです。その仙人に会わせてください」
「おまえ、自分の霊力を強くして、どうする?」
「……ね、姉さんの……姉さんの、仇を、仇を打ちたいです」
「姉さんの仇?」
「ぼ、僕の姉さんは……姉さんは、A、AV女優でした」
「AV女優?」
「姉さんは、僕たちのお姉ちゃんは、好きで、AV女優になったのではありません」
「俺は、おまえの姉さんが、別に好きでAV女優になったって思ってなんか、いないぞ」
「お、お姉ちゃんは、弟の恵吾の高い病院代を稼ぐために、A、AV女優になったんです。それまでは総菜屋で働いていたけど、恵吾が重い病気にかかってしまって、高い治療代を払えなくて、夜のお店で働くようになって、それでAVにスカウトされて……」
 恵人は声を詰まらせた。
 涙まみれの姉のひどく悲しい姿が瞼に浮かんで、声を奪い直ぐには言葉が続かなかった。
「お、お姉ちゃんは、撮影で、妊娠しました。妊娠したまま、お姉ちゃんは、また次の、撮影にいって……死、死にました。僕が、病院にいったときは、もう、死んでいました」
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