第2章 重い十字架 沢口の編1

文字数 1,137文字

 恵人が肩の荷を下ろすように重い口を開いて、自分の身の上を話してくれた。
 東海地方を襲った南海トラフ超巨大地震が引き起こした大津波で、恵人の家族と近しい親戚は全滅した。
 両親を亡くし、被災孤児となった恵人と恵吾は、当時15歳の姉の綾香に連れられて避難所に頼る日々を過ごしているときに、取材にきていた上杉と名乗るフリーライターの紹介で、東京の児童養護施設に引き取られた。だが3人にとって、施設の生活は幸せなものではなかった。
「3人で暮らせるように、お姉ちゃん頑張るから」と言って綾香が施設を飛び出し、高校に行かずに働いた。だが、不幸が重なった。恵吾が大病を患い、綾香は高額の治療費を稼ぐためクラブでも働くようになった。
 そこに、綾香の美貌に目を付けた悪魔が近づいた。大金が直ぐに手に入る、とクラブにきた客に言葉巧みに唆されて、AVの地獄に呑みこまれてしまった。
 初めの頃は一人だけの相手だったが、出演回数が増えていくと内容はどんどん過激なものになった。〝表現の自由〟を騙り、綾香の体を凌辱し続けた。侮男たちによるレイプ紛いのAVが増え、そしてある企画で、異臭が漂う粗末な段ボールの小屋で九人のホームレスの老人たちとセックスさせられた。
 虫歯と歯垢だらけの口臭のひどい口で、舌と乳房を吸われ膣を貪られたあげくに、ごくあたりまえのように老人たちの精液が、少女の性器に溢れた。
 そこで、悲劇が起きた。アレルギーのある綾香は、低用量ピルを使っていたが、運悪く、妊娠してしまった。
 父親は9人の老人の誰かに間違いなかった。
 綾香は自分の悲運を呪い、何日も泣き続けた。それからずいぶん悩んだ末に、芽生えた命に罪はない、と生むことを決め、妊娠したまま次のAVに出演したときだった。緊縛し拷問にかけて犯すという残忍な凌辱の連続に悲鳴を上げ続けた綾香の体は限界だった。子宮が破裂して病院に搬送されたが手遅れだった。綾香は治療室のベッドで、短い命を閉じた。
 沢口の脳裏に、命の炎が消えゆく最後の一瞬まで、亡くなった両親の代わりに、自分の人生を捨てて小さな弟たちを守ろうとした姉の姿が、体を犠牲にして守ろうとした綾香の哀れな姿が、瞼に浮かんだ。彼女の慟哭と悲痛な叫びが、全身に突き刺さった。
 AV男たちの性悪は、性犯罪者たちとなんら変わらない。AVの撮影と称して政府公認で、堂々とやりたい放題のことができるのか、そうでないかの違いだけだ。
 卑劣なAVを容認しているこの国の政治家、法曹界、表現の自由を嘯く偽善者たちへの激しい怒りが全身に沸騰して絶叫したかった。
 こみ上げる憤怒の心を、荒ぶる心を、息を飲んで落ち着かせると、瞳を落としている恵人の顔を、悲しい眼で見つめた。
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