沢口編 2

文字数 1,878文字

「そうか……そんなことが、あったのか」
 悲劇の顛末を知った沢口は、喉から声を絞り出すと、いまにも涙を零しそうにしている恵人の顔から瞳を逸らし、泣き崩れている恵吾を沈痛な眼で見つめた。
「ぼ、僕は……お、お姉ちゃんの、仇を撃ちたいです。生きていたときは、子供の僕にはなにもできなかったけど、僕も沢口さんみたいな力を手にしたら、姉ちゃんを殺した悪い奴らをやっつけられる。そうでしょう? 沢口さん」
「それはどうかな。おまえの気持ちは、わかるが、、復讐するのは、諦めろ」
「どうしてですか? どうして諦めなければならないんですか? 僕はいやです。絶対に諦めません」
「復讐してどうする? そんなことしても、お姉さんは生き返らないぞ」
「お姉ちゃんのアパートに、弟と泊まったとき、見たんです。お姉ちゃんが、泣いているのを。お姉ちゃん僕に気付いて、僕たちのために、頑張るからって、、そ、そんな、そんなお姉ちゃんを、僕は、僕は、お姉ちゃんの仇を、必ず取ります」
 沢口は言葉を返さず、恵人の顔をじっと見つめた。
「恵人、そこにいろ」
 言いつけると、床に伏して泣いている恵吾の側に、ふわりと降り立った。
たった一人ぼっちになってしまった子どもの哀れな姿を眼にして、ひどく胸が痛んだ。堪らず眼を逸らし、古ぼけた粗末な勉強机に置いてある写真を見つめた。写真の中の3人は、仲良く微笑んではいるものの、子供ながらも、両親を失いこれからどうやって生きていけばいいのか、という不安を隠せない表情をその純真な瞳の中から垣間見た。姉の綾香は、それを強く訴えていた。
 沢口は悲しい眼で綾香の顔をしばらく見つめた後、恵吾の背に近づくと体を慰め労わるように思い切り抱きしめた。
 すると、家族全員を失った悲傷な心と助けを乞う悲痛な声が伝わってきた。
 恵吾も恵人と同じように、いじめられていた。
 このままでは、恵人と同じように、自殺するかもしれない。それを防がねば。そう腹を決めて恵吾の体から離れると、驚いた眼で見つめている恵人の正面に浮いた。
「恵人、おまえの弟は、おまえと同じように、自殺するかもしれないぞ」
「えっ?」
「恵吾はな。おまえと同じように、学校でいじめられている。いじめられて帰ってもな、おまえがいたから、恵吾は必死に耐えていた。その弟の心をおまえは奪い取ってしまった。おまえが、弟を追い詰めた。わかるか恵人。おまえが恵吾に、自殺したいという気持ちを持たせてしまったのだ」
 その衝撃の言葉を耳にした恵人は、直ぐに恵吾に眼を向けた。そして、見る見るうちに震えだし、いまにも声を上げて泣き出しそうな顔になった。
「いいか、おまえの気持ちがわからないでもない。だが、おまえは一人じゃない。大事な弟がいる。おまえを頼りにしていた弟がいる。それなのに、おまえは恵吾に重い十字架を負わせてしまった。懸命に生きていこうとした心を、恵吾から奪い取った。おまえは取り返しのつかないことをしちまったんだよ」
 恵吾を見つめたまま聞いていた恵人は、話の途中から堰を切ったように傷だらけの顔をくしゃくしゃにして、涙をぼろぼろと流し出した。その有様は、そのまま浮いていられず床に落ちて、泣き崩れてしまいそうだった。
「泣いても弟は救われない。いいか恵人。おまえの弟が大事だと思ったら、天国に連れて行かれるまで、これから弟を守り続けていけ。それが、おまえの取るべき責任だ」
 沢口は話を中断し、しゃくりあげている恵吾の姿を沈痛な眼で見つめた。
「だが、いまのおまえの力では弟を守ることはできない。弟の眼には、おまえの姿さえも見えないからな」
 瞳を恵人の顔に戻して続きを語った。その声に、恵人が反応した。恵吾を見つめたまま泣いていた顔を上げて涙目を向けてきた。
「ど、どうすれば? 恵吾を、弟を守ることが、できるんですか?」
 溢れ出た涙を拭うと、縋るように訊いてきた。
「……恵人。仙人のところに、連れて行ってやる。だが、あまり期待はするな」
「僕、弟を守れるなら、何でもやります」
「そうか。そうと決まったら、ここでぐずぐずなんかしていられない。いくぞ」
 その言葉は、恵人だけなく自分自身にも向けていた。
 子供の自殺を眼にするのは、もうまっぴらごめんだ!
 子供の自殺なんて二度と、絶対に眼にしたくない。恵人の自殺は防ぐことばできなかったが、あの子はなんとしてでも救わなければ。
 恵吾に自殺なんか絶対にさせない、という強い決意を抱いて、恵人の手を引きずるようにして空に飛び立った。
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