3節(1)

文字数 5,648文字

 読者諸君は、欠伸(あくび)をしていた時に、(しゃっくり)(せき)(くしゃみ)がほぼ同時に出た経験があるだろうか。

 おそらく想像を絶する衝撃が、自らの心肺に襲いかかって来るであろう。

 ──この男のように。


「ふわぁぁ~~……っ!? ひぇっげふぇぶうぇっっっっくしょうぉいをいよい!!!?


 解析不能の奇声とともに、(つば)だの何だのを盛大にぶちまけながら、自らの生理現象によってもたらさせれた痛みに悶絶(もんぜつ)するその男の目の前には、ある意味彼よりも不幸な人物が立っていた。

「ぎゃああぁっ!? ばっちぃぃー!!

 哀れ、運悪く彼にお茶を運んできた黄色い給仕服の利発そうな娘、シャーリーの顔面は彼の唾だの何だのまみれとなってしまった。

 さほど広くはないハンターズギルドポッケ村出張所に、彼女の悲鳴が響き渡る。

 しかし、一つの不幸はもう一つの不幸を呼び寄せ、連鎖する不幸はさらなる災厄(さいやく)を招くものである。

 悲鳴とともにバランスを崩したシャーリーの持つトレイからカップが倒れ、中身のお茶がぶちまけられる。

 因果(いんが)(おう)じて(むく)いるもの。当然ぶちまけられたお茶の向かう先には、事の現況たるその男。

「ぎゃあぁぁ~~っ!! 熱っちぃぃ~~!?

 連鎖した悲鳴は、何とも情けないものだった。


・・・
・・



「ちょっと~。なぁに~? どうしたって言うのよ~?」

 あまりの醜態(しゅうたい)に、見かねてギルドマスターが呆れ顔で歩み寄ると、取り合えず()(ねずみ)状態の男にタオルを手渡す。

「おお、ありがとう姐さん……何をするのだシャーリー。折角の我が輩の一張羅(いっちょうら)がびっしょりではないか!」

「何をするのだはこっちのセリフですよ教官! イキナリ人の顔めがけて……何だか、分けわかんないけど、バッチいなぁ」

 あの奇妙(きみょう)奇天烈(きてれつ)な奇声を何と表現して良いものかわからず、シャーリーは自分のハンカチで顔を拭きながら男に言い返した。

 確かに不可抗力とはいえ、突然間近で(しゃっくり)(せき)(くしゃみ)を同時にされたのだ、シャーリーの言い分も頷けると言うもの。

 教官と呼ばれたその男は返す言葉が浮かばず「むぅ」と唸ることしかできなかった。
厳つい顔に、鍛え上げられた肉体は、四十に到達した年齢を感じさせぬものがある。短く切られた髪をかき上げる額当ては、そのまま頬や側頭部まで覆う兜の役目も担っている。

 胸当て、(すね)当て、手甲、左の肩当てと腹部と腰回りのみ鋼の鎧で守り、それ以外の箇所は動きやすさを重視して、牙獣種の毛皮を加工した体にフィットするインナーだけ。


 クロオビシリーズ。


 保護する箇所を数カ所にまとめ、万が一モンスターの攻撃を食らう場合は、必ず鎧の部分で受けることができる熟練のハンターが身に着けてこそ活きる防具である。

 そして、ギルドに協力し、新人ハンターの育成に尽力する。通称“教官”と呼ばれる者達の制服としても有名な装備だ。

 ポッケ村のように、大都市から若干離れた片田舎のような場所ではあまり自覚できないが、ハンター志望者は年々増えてきている。

 だが、経験の浅い新人ハンターが簡単に生き残れるほど、この辺境は甘くはないのだ。

 そこで、彼のように教官と呼ばれる者達が、ハンター達の実力の底上げの為、各地のギルドのある街や村で新人ハンターの指導に当たっているのである。

 人に物を教える職業であり、()つ、些細なミスやちょっとした油断が死に繋がりかねないモンスターハントである。

 新人に狩りのイロハを教えられるほどの実力を持った者は少なく、例えいたとしても、自身の目的の為に狩りに赴く者が大多数を占めるため、彼のように新しいハンターの為に教官となってくれる者は少ないのが現状であった。

「それより教官、その後彼らの調子はどうなの~? 」

 教官がある程度身体を拭き終わるのを待って、マスターは彼に話しかけた。

 彼等、ディーン達3人がハンター登録を終えたあの夜から、早1ヶ月が過ぎようとしていた。

 ここは言わずと知れたハンターズギルドポッケ村出張所。時間は昼過ぎと言ったところであろうか、もうすぐ繁殖期を迎えるこの時期は、極寒の寒冷期よりも格段に暖かい。

「うむ。フィオールの奴は流石に1年やってきただけあるわい。基礎もしっかりしているしな。ある意味では、教えがいのない新人であるな」

 他の受付嬢から新しいお茶の注がれたカップを受け取ると、教官は気を取り直してマスターの質問に答える。

 昨夜も、新人の訓練も兼ねて彼等のクエストに同行してきたのだ。彼等はとても精力的であり、この一ヶ月間でかなりのクエストをこなしてきた。

 もっとも、少し前まで貴族の令嬢だったエレンは、初めの内はついて行けずに何度か休みを入れていたが、ディーンとフィオールの2人は、傷も癒えきってない内から殆ど毎日のように雪山へ繰り出していた。

 最近ではエレンにも少しは体力が付いたのか、健気に二人について行こうと、必死に筋肉痛に耐えながらクエストに参加する姿をよく見かける。

 腕が立つとは言え、一線を退いて久しい教官には体力的に彼等に付き合いきれなくなってきていた。

「エレンも、最近はだいぶ様になってきたな。最初は、本当にコイツは大丈夫かと不安になったがな」

 教官が新しいお茶でのどを(うるお)して言う。

 彼の言う通り、当初のエレンはそりゃあ(ひど)有様(ありさま)であった。

 まず、武器であるライトボウガンや回復薬などの道具を入れたポーチなど、装備の重さに振り回され、狩り場の(はし)に行く前にバテる。

 反動(ブロウバック)のもっとも軽い弾丸で尻餅をつき、そこまで重いわけではない猟筒(りょうづつ)を、一定時間構えていられなかった。

 他には、モンスターの死骸(しがい)から素材を剥ぎ取る際に戻してしまったり、何よりモンスターですら傷つけることを恐れて、引き金を引くのを躊躇(ちゅうちょす)る始末であった。

「ま、確かにあの()は虫も殺したこと無さそうだものねぇ」

 いつの間にか話に加わろうと、シャーリーが相づちを打つ。顔を洗ってきたのだろう、少しサッパリとしていた。

 彼女としては、村にやってきたばかりの自分とそう年の変わらぬ若いハンター達が気になって仕方ないらしい。

 だが、だからといって持ち場を不用意に離れて良いものではなく、マスターに睨まれると「ひゃあ」と悲鳴を上げてカウンターへと逃げ帰っていくと、マスターも「しょうがないわねぇ~」と嘆息(たんそく)するのだった。

 まぁ、シャーリーの気持ちもわからなくはない。マスターもエレンの当初の事は聞いていたので、少し心配していたのだが、どうやら杞憂(きゆう)に終わってくれそうである。

「そうなの。エレンちゃんも頑張ってるのね~」

「うむ。以前ディーンの奴が狩りの最中エレンに(げき)を飛ばしたことがあったらしくてな。どうやらその影響が強いようだ。それ以降は目つきが変わりおったからな」

「あら、何それ初耳よ~?」

 ギルドマスターが一瞬驚いた表情を作る。

 確かに、2週間ほど前からエレンの顔付きが引き締まったようには感じていたが、どんな心境の変化があったかは知らなかったのだ。

「いや、我輩(わがはい)もその時その場にいなかったからな。詳しいことは……」

 教官がそこまで言い掛けたところで、ギルド内に玄関から現れた別の人物の声が響いた。

御免(ごめん)くださーい」

 形の上では、教官の言葉を(さえぎ)った事になるが、話題の上ではすばらしいタイミングでの登場である。

「おお、ちょうどいい。奴はその時に雪山の状況観察としてその場におったからな」

 言って、ギルドに訪れた(くだん)のエピソードを知る者に視線を向ける。

 その視線の先には、雪山の案内人ミハエル・シューミィとその相棒ネコチュウの姿があった。

「あら、いらっしゃいミハエル。それにネコチュウも」

「やあ、こんにちはシャーリー。今朝の雪山も落ち着いた感じだよ。何頭かギアノスの姿を見かけたけど、どうやら群の大掛かりな移動の最中らしいから、すぐいなくなると思う」

「そう。いつもありがと」

 ミハエルからの報告を受けると、片手を振ってカウンターの奥へ戻っていくシャーリー。
 彼の報告を記録するのも大事な仕事である。

 ミハエルは報告を終えたので、休憩のためギルドを後にしようとする。この後は夕方から夜にかけて、また近隣の状況を監視するのだ。そのための休憩を取るつもりなのだろう。

 だが、視界の端に教官とギルドマスターの姿を見かけると、律儀(りちぎ)に挨拶のために彼等に歩み寄った。

「教官、姐さん、こんにちは」

「こんにちは~なのニャ!」

「おぅ」

「こんにちはミハエル君。ネコチュウも元気~?」

 互いに挨拶を交わす三人と一匹。

「それにしても、ギルドで教官と会うなんて、ちょっと奇遇(きぐう)ですね」

 ミハエルの言葉にネコチュウが「そうだニャ、珍しいこともあるもんだニャ」と同意する。

「うむ。ちょいと野暮用(やぼよう)でな。姐さんに新人どもの現状報告だ」

 そう教官が応えると、ミハエル達も「なるほどね」と納得するのだった。

 ポッケ村にある訓練所。要するに教官の職場となるわけだが、このギルドの裏側に位置している。近いからこそなのか、基本的に彼はあまりギルドの方には顔を出さない。

 まぁ、まったく出さないわけでもないので、今日のような事もたまにあるのだった。

「そんな事よりも~。ミハエル君達、良いタイミングで来てくれたわ~」

 ギルドマスターが先ほどの話題に戻す為に、彼等を卓に招く。

 いったい何のタイミングであろうかと「どうしたんです?」と言いながら、ミハエルはネコチュウと共に勧められるまま席に着く。

「うむ、実はな……」

 彼等が席に着くのをみて、教官が事の次第を手短に話す。
 ディーン達が教官不在の狩りでどんなふうだったのか。その日以来、エレンの意識ががらりと変わった理由は何なのか。

「我輩の記憶が確かならば、あの日は雪山草の採集依頼だった筈だが、あの日いったい何があったのだ?」

 教官もその事は気になっており、直接本人達に聞いてはみたものの、彼等は言葉を(にご)すだけであった。フィオールが少しだけ、ディーンがエレンに発破(はっぱ)をかけた様なことを教えてくれたのだが、それだけであった。

 お陰で何気に気になって仕方がないのは内緒の話な教官である。

「ああ、あの日の事ですか……」

 そう言うミハエルは、少々複雑な表情である。苦笑いであろうか、少し自嘲気味に笑うと、「ちょっと長くなるかも知れません。かまいませんか?」と教官やギルドマスターに念を押した。

「うむ。構わん」

「私も、是非聞きたいわ~」

 二人がうなずくのを確認すると、ミハエルも「わかりました」とうなずき返した。

「教官の(おっしゃ)るとおり、あの日は偶々(たまたま)彼等のクエストと僕達の巡回(じゅんかい)が重なったので、一緒に行こうという話になったんです」

「雪山草の採集だったんで、オイラ達ニャら雪山草の群生地帯(ぐんせいちたい)も知ってるしニャ」

 ミハエルの言葉をネコチュウが引き継ぐ。

「そうだね」とネコチュウを打つと、横で聞いていたギルドマスターが思い出したように口を開いた。

「あ、そう言えば~。その日彼等は、フリーでドスファンゴを討伐していたわね~」

 依頼内容に関係なく、モンスターはこの辺境を徘徊(はいかい)している。

 このときのディーン達のように、運悪く狩り場で、依頼とは別の大型モンスターと遭遇(そうぐう)することもあるのだ。
 こういった場合、討伐するかやり過ごすかは、基本的にはハンターの自由である為、フリー討伐等と呼ばれおり、別の街ではフリー討伐にも賞金を出す場合もあった。

「そう。雪山草を採集するまでは順調だったのですが、群生地帯である洞窟を出たところで運悪くドスファンゴに遭遇してしまったんです」

 ミハエルは語りながら、その当時の様子を思い出していた……


・・・
・・



 ……2週間ほど前。

 ディーン達がポッケ村に来てからも、同じく2週間ほどたった頃。

 彼等はハンターズギルドの依頼により、雪山に雪山草と呼ばれる草を採集しに来ていた。

「ココが群生地。洞窟の出口の側だからわかりやすいでしょ?」

 ミハエルが雪山のいただきへと向かう道にある洞窟の、頂上側の出口付近にひっそりと生い茂る草を指さして言うと、実際にその中から一本引き抜き、ディーン達に見せながら説明した。

「そして、これが雪山草。根っこごと抜けばしばらくは保つから、クエストから帰ったらちゃんと鉢に入れてあげるといいよ」

「諒解だ。サンキュー、ミハエル」

 礼を言って、ディーンは彼から雪山草を受け取ると、腰のポーチに納めた。

「では、私が見張りをしますので、ディーンとエレンさんは雪山草の採集をお願いします」

 大型甲殻種である、盾蟹ダイミョウザザミの甲殻で作られた、アメフト選手を彷彿(ほうふつ)させるザザミシリーズを身にまとったフィオールが、そう提案する。
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