2節(9)

文字数 5,307文字

「ほう」

 その(さま)を、さも感心したかの様に眉根をあげてみせるバーネットである。

 まるで、よく対処できたものだとでも言わんかの様に。

「流石はクロックス、と言ったところか」

 眉根を上げたのは一瞬のみで、その後はさもつまらなそうに言うバーネットへ、こちらも皮肉交じりに言い返してやるコルナリーナである。

「あら、お褒めに預かり光栄ですわぁ」

 しかし、驚くべきはバーネット卿の太刀筋である。

…速い。

 かつてはフィオールとともに武芸を学んだコルナリーナをもってしても、舌を巻くほどの剣速だ。

「卿こそ。剣術をなさるなんて、聞いておりませんでした」

「なに。手慰みだ」

 言うや、バーネットが動く。

 抜き身の細剣を無造作にコルナリーナの顔面目掛けて振り下ろす。

 しかし、彼女も伊達にクロックスは名乗っていない。
 確かに剣速は素早いが、本人が言うように手慰みレベルの剣筋である。彼女の腕をもってすれば裁くのは難しくは無い。

 だが余計に解せぬのは、そんな程度(・・・・・)の剣さばきにも関わらず、バーネットの動きは速すぎる(・・・・)のだ。

 本当に中年の男の動きなのだろうか

「くっ!?」

 考え過ぎていたせいか、コルナリーナのブラウスの肩口が、薄く裂かれてしまう。

 幸い肌には刃は達していない。
 だが、彼女の大きな乳房の谷間があらわになってしまった。

 慌てて距離を取るコルナリーナに対し、バーネットは悪びれる風もなく、「おや、これは失礼」などと此方を見もせずに言葉だけ投げてくる。

 その呼吸には一切の乱れもない。

 ますます不可解であった。

「まったくもう。フィーちゃん以外に見せたくないのに」

 珍しく毒吐いて、何を思ったかコルナリーナは、自身が身にまとうロングスカートの裾を両手で持つや、一息にビリリと縦に裂いたのだ。

 扇情的な白い肌が露わになるが、肌と共にきらりと輝く刃が、彼女の太腿にくくりつけられていたのである。

 コルナリーナはそれを迷いなく抜き放つと、逆手に持って身構えるや、キッと眼前のバーネット卿を睨み据えた。

「淑女の柔肌、あまり安くはございませんよ。崇龍(ドラクル)卿」

 最早、保守派だ貴族だ爵位だ何だなぞは関係ない。

 今ここに立つこの男は、可愛い可愛いコルナリーナのお姫様の明確な“敵”である。

 ここに来てコルナリーナは、敢えて纏っていた柔らかな空気を取り払う。
 そこには、普段の緩い雰囲気の女の面影は無い。

 あるのはただ、冷たく研ぎ澄まされた美貌の戦士の姿だった。

「すまんが、私には既に心に決めた女性(ひと)がいるのでね。君には悪いが、それ以外の女には興味が持てんのだよ」

 歴戦のハンターですら肝を冷やしかねぬコルナリーナの殺気を浴びながらも、バーネットの表情には余裕がある。

 ずけずけと言ってのける彼に、美貌の戦士は負けじと言い返すのであった。

「あらまぁ、奇遇ですわね。私もまったく同じですわ陰険子爵様」

 “敵”と認識した相手に容赦をかけるほど、コルナリーナは優しくは無い。

「貴方の意中の女性(ひと)には本当に同情いたしますわ」

 その言葉が、第二ラウンドのゴングであった。


 ギィンッ!!

 
 ぶつかり合う鋼と鋼が火花を散らす。

 先程と同様、バーネット卿が無造作に斬りかかってくるのを、コルナリーナが右手に握る刃、刃渡り20センチ程の小剣でうち払ったのである。

 振り下ろしの斬撃を身体の外側へ誘導するように打ちはらいながら、がら空きのその顔面目掛けてコルナリーナの肘が吸い込まれる。

 バチィッと確かな衝撃を感じるコルナリーナであったが、すぐに違和感を感じて飛び退った。

 その、一瞬前までに彼女がいた位置を通過するバーネット卿の細剣を見るコルナリーナの表情が強張る。

 おかしい。
 確かに直撃であった。

 数ある格闘技の中で、ほとんどの競技が禁じ手としている様に、肘の一撃は非常に危険なのである。

 人間の骨の中で、もっとも尖っているであろう肘。その尖った部分をぶつけるのだ。

 下手をすればそれだけで命に関わる打撃であるにも関わらず、食らった当人のバーネット卿には、ダメージらしいダメージは感じられない。
 いや、むしろ肘を打ち込んだコルナリーナ自身の方が、打ち付けた左肘の方にこそ、ダメージがある様に思える。

…この男、一体!?

 流石に驚きの表情を浮かべる彼女に、ギロリとした視線が向けられた。

 バーネットは、およそダメージを感じさせぬ動きで、再び彼女に攻めかかろうとした。
 その時であった。


 ヒュンッ!!


 聞こえて来た風切り音に、今まさにコルナリーナに襲いかかろうとしていたバーネットが、大きく後方へと跳び、彼に飛来した一本の矢を回避する。

 矢は、彼が元々立っていた場所に突き立つと、その殺傷力を誇示する様にびぃんとしばらく振動して、数秒後にようやく止まった。

「コル! 大丈夫ですか!?」

 屋敷のロビーに響いたるは、コルナリーナを救うべく放たれた一矢の射手である可憐な少女の声。

 二階へ上がる大階段の踊り場から、自身の叔父目掛けて矢を放った姿勢のエレンの姿。
 その身には先程の部屋着ではなく、彼女の戦装束たるフルフルシリーズが纏われており、その手には対大型モンスター用のハンターボウⅢを携え、第二矢を矢筒から取り出して、左手の弓に番えようとするところであった。

 そして。

「ハァッ!」
 鋭い掛け声とともに、コルナリーナとバーネットの間に飛び込む影がある。

 二階から大胆に飛び降りるや、見事な着地を決めた途端にバーネットへと肉薄し、左手に握った黄色く凶悪なデザインの武器を振り下ろすその影は、盾蟹ザザミシリーズをまとったリコリス・トゥルースカイであった。

 その獲物、神経性の麻痺毒を染み込ませたデスパライズが握られている。
 バーネットはリコリスの斬撃を、細剣では受けず、大きく逃げる様にその身を躱すと、トンと床を蹴って彼女達から距離をとった。

「ゴメンねコル姉! お待たせっ!」

 距離をとったバーネットを注意深く睨みつけながら、リコリスがコルナリーナへと声をかける。

 見れば彼女達と同じく、アイルー用の防具を身につけたネコチュウが、コルナリーナにシーツの切れ端を渡しているところであった。

 コルナリーナは手早くその切れ端ではだけた部分を覆い隠すと、彼の頭を撫でてやる。

 「ありがとう。お姉さん助かったわ」

 そう言うコルナリーナに、少女達とアイルーは一瞬だけ安堵の表情を浮かべるのであった。

 コルナリーナがただ一人でバーネット卿を迎え撃ったのには理由がある。

 感のいい読者諸君にはもうおわかりかと思うが、コルナリーナがバーネットを相手取る間に、ハンターであるエレンとリコリス、そしてオトモとしても活動するネコチュウが武装を施し、その威圧で子爵を追い返す援護とする腹積もりであったのだが、まさか本当にこの武装が役に立つ状況になろうとは。

「叔父上……いえ、バーネット卿。お帰りください」

「子爵様だっけ? 悪いけど、エレンは渡さないよっ」

「にゃんぷし!」

 皆それぞれ得物を抜き放った状態である。
 皆それぞれ、凶器が命を奪うものである事に対して、臆する事がない。

「バーネット卿。ご覧の通りですわ」

 駆けつけた仲間達を代表し、コルナリーナが口を開く。

「卿の動きには流石に驚きましたが、今や四対一です。お引き取りください。私達は無用な流血は好みません」

 静かに、だがきっぱりと。
 コルナリーナの言葉に、エレンもリコリスもネコチュウも、揺るがぬ視線でバーネットを射抜く。

 しかし、視線の先の崇龍(ドラクル)卿はこの状況においても、少しも動じた様子もなく言うのであった。

「言いたいことは、終わりかね」

と。

「ニャ!? この状況で、ニャんて怖いもの知らずニャ」
「それともウチら、馬鹿にされてるのかな?」

 武装したハンター二名とオトモアイルー。そして、要人警護の“クロックス”を前にするバーネットの言葉に、驚きを通り過ぎて呆れた様に言うリコリスとネコチュウである。

 実際問題、二人以上を同時に相手取る事の危険性を、読者諸君はどこまで想像できるだろうか。

 かつて、読者諸君の住まう日の本の国において、伝説に名を残す大剣豪が、実に三十名以上を斬ったと言う伝説をご存知の方もいるであろう。
 しかしそれは、巧みに地形を利用し、常に一対一の状況を作り続けたからに他ならない。

 更に言えば、時代の動乱時に最強と謳われた壬生の狼達は、乱戦時には三人が一人に襲いかかる様に組織立っていたと言う。

 それほど、多対一とは覆し難いものなのだ。
 しかし、対するバーネットのこの余裕は一体何なのか。

「リコリスちゃん、ネコチュウくんも、気をつけて。バーネット卿、強いわよ」

 コルナリーナの普段とは違う雰囲気に、リコリスとネコチュウが気を引き締めた時であった。

「もう、いいかね?」

 まるで、こちらの心の準備が整うのを待ってくれていたかの様に言うバーネットの声が聞こえたかと思うや否や、彼の姿が一瞬かき消えた様に錯覚する。

「っ!?」
 狙われたのはリコリスであるが、そこは彼女も辺境で今まで生き抜いてきたハンターである。

 予想をはるかに上回る速度で肉薄してきたバーネットに対し、降り注ぐ斬撃をデスパライズと、デスパライズと対になる盾を懸命に駆使して防ぐリコリスだが、それでもコルナリーナの様に捌き切れなかったのか、まとったザザミシリーズに数本の裂傷を刻み付けられながら後退を余儀なくさせられる。

「ぐぅっ!?」

 常識はずれのスピードに、苦悶の声がリコリスから溢れる。

「させません!」

 エレンが彼女を助けるべく矢を放つ。
 実の叔父にすら容赦無く飛来するその矢の一撃が突き刺さったのは、彼女の叔父の肉体ではなくマックール邸の床であった。

 だがしかし、命中こそしなかったものの、バーネットをリコリスから引き離すことには成功したようである。

 離れた間合いを、今度は自ら埋めなおし、反撃とばかりにリコリスのデスパライズが振るわれ、バーネット卿の脚を狙い振るい降ろされる。

 流石に一撃での致命傷をさけるよう、脚を狙った斬撃であるが、彼女の刃は虚しく空を追加するのみであった。
 デスパライズの毒牙が食らいつくはずだったバーネット卿の身体は、斬撃の軌道上から消失していた。

 しかし、リコリスのデスパライズ、片手剣と呼ばれる軽量級の武器の大きな特徴はその手数にあるのだ。
 足元からすくい上げる様な斬り払いからの、袈裟懸け、切り上げ、振り下ろしと横薙ぎの十文字斬り。

 その全てを休みなく繰り出すが、バーネット卿の身体にはかすりもしない。

 最後の一撃で発生した隙を埋める様に、ネコチュウが背中に背負ったブーメランを投げつけるが、それすらもバーネット卿は躱してみせる。

「ニャにぃ!?」

 必殺のタイミングをも凌いでみせるバーネットに、ネコチュウが驚愕に声を上げるが、今度は入れ替わりにコルナリーナが仕掛けるのだった。

 逆手に持った小剣が幾度となく翻り、バーネットに裂傷を刻み付けんと踊り狂う。
 しかし、そにどれもがあえなく空を切ってしまう。

 彼女達やネコチュウの攻撃が未熟なのではない。
 むしろ、即席の連携にしては上出来すぎるほどである。

 では、何故にここまで彼女達の攻撃が空を切るのか。その答えは、リコリスのつぶやきに集約されていた。

「まるで、ディーン君を相手にしてるみたいだ……」

 思わず、その言葉がリコリスの口からこぼれ落ちた。

 声には出さないがネコチュウも、もしかしたらディーンの戦いを直接知らぬコルナリーナですら、そう感じていたかもしれない。

 そう。
 例えるならその動きは、人間離れした身体能力を誇る、ディーン・シュバルツを思わせるものであったのだ。

「馬鹿にしないでください!」

 エレンが叫ぶ。
 認めるわけにはいかない。

 他の誰でもない。
 眼前のこんな叔父を、彼と同等に例えるなど。

「そ、そうだニャ! もしディーンが相手だったら、オイラ達全員、とっくにぶっ飛ばされてるニャ!」

 ネコチュウがエレンに賛同する様に声を張り上げる。

 そうだ。こんな、陰険な男を彼と一緒に考えるのは、仲間に対しての不誠実である。

「そうだね。確かにそうだ」

 ゴメンと続けて、リコリスが訂正する。

 だが実際問題、対峙する崇龍(ドラクル)卿の強さは、彼女達の予想をはるかに超えているのであった。
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