3節(13)
文字数 3,547文字
・・・
・・
・
キシャアァァァァァッッッ!!
奇怪な雄叫びをあげた尾晶蠍アクラ・ヴァシムが、その巨体を支える四本の脚をせわしなく動かし、突進を仕掛けてくる。
「くっ!」
「ッッ!」
左右へ跳び退り、それを躱したミハエルとリコリスは、防具にまとわりつく砂を払う事すら惜しんで立ち上がる。
ミハエルとリコリスは、ありったけの音爆弾や閃光玉でアクラ・ヴァシムの注意を引き、なんとかエレンをディーン達がイビルジョーを相手取っているエリアへと向かう隙を作り、今しがた漸く、エレンがアクラ・ヴァシムの注意の外側へと脱出できたところだった。
戦闘エリア外へと走って行ったエレンを見送った二人は、今や完全にアクラ・ヴァシムの標的と認められてしまったようである。
「大丈夫かい、リコリス?」
先に体制を立て直したミハエルが、反対側へと回避したリコリスへと声をかける。
「ウチは平気。ただ避けるだけだもん、ディーン君達が戻ってくるまで、いくらでも逃げ回って見せるよ!」
気丈にも元気に応えるリコリスを、尾晶蠍は次のターゲットにしたようである。
先程エレンに向けて放った、起爆性の結晶液を勢いよく放つ。
「うわわわっ!?」
間一髪。
飛び退いたリコリスの足元を、結晶液が通過し、数刻と待たずに破裂音をあげる。
「大丈夫?」
素早くミハエルが駆け寄り、リコリスを助け起す。
応えて立ち上がったリコリスだが、度重なる疲労や緊張、そして相棒を失った悲しみからか、その顔色はお世辞にもいいとは言えなかった。
なんと、声をかければいいのだろうか。
「平気、だってば」
バイザーで隠れていたが、垣間見える瞳と声は隠せなかったのだろう。
「こんなところで、死ぬわけにはいかないよ」
言って気丈にも、ニッと歯を見せるリコリスである。
彼女は、強い。そう思った。
「そうだ、こんなところで、死んでたまるか!」
腹の底から、絞り出すような声である。
まるで、自分自身を鼓舞するかのようだ。
「わかった」と返すミハエル。
だが、此方の現状は絶望的であるのは変えようがない。
頼みの綱は、ミハエルが考案した“作戦”を伝達するために走っていったエレンが、首尾良く作戦を伝え、この状況を打破する為の援軍を連れて帰ってくること。
しかし、それまではかの獰猛な尾晶蠍の猛攻から生き延びねばならないのだ。
いくら気合いを入れようと、体力を消耗している現状では、長く保たせ続ける事は出来そうになかった。
緊張に厭 な汗が首筋を伝うのを感じるミハエルに向かって、かけられたリコリスの言葉は、そんなミハエルの緊張を吹き飛ばすには充分な内容であった。
「ミハエル! ウチはアイツの目の前を走り回って撹乱するから、与えられるだけのダメージを!」
「ええっ!?」
リコリスの提案は、はっきり言って無謀である。正直武器も壊れ、為す術のない彼女が出来ることといえば、精々が囮である。
ではあるのだが。
「無茶だよリコリス!」
思わずミハエルが声を上げてしまう。
当然である。
この場にいるのは彼とリコリスの二人。
眼前、両の鋏を振り上げ、こちらを威嚇しながら様子を伺っている尾晶蠍アクラ・ヴァシムは 、あのディーンやフィオールをもってして天才と言わしめる彼を、先の一合で見事出し抜いて見せたのである。
ミハエル自身、自惚れるつもりなど毛頭ないが、それでもああも見事に不意を打ってくる相手だ。
申し訳ないが、リコリスの能力 では囮役をこなしながら、アクラ・ヴァシムの攻撃を捌ききれるとは思えない。
「無茶でもやるんだっ!」
だが、言い返すリコリスの声音には、自身の考えを曲げようと言う音色は一切なかった。
「キミの作戦が上手く運んだとしても、必ずしもそれだけで成功するとは限らない。だから、ウチらは今のうちに少しでも、アイツにダメージを与えておかないと!」
毅然と言い返すリコリスの言い分は最もである。
しかし、だ。
それでも彼女が囮になって、彼女までもこの砂漠に命を散らしてしまうのであれば、元も子もない。
ミハエルが「けど」と、反論の言葉を投げようとしたその時であった。
「大丈夫!」
再度、リコリスは声を上げた。
いや、叫んだ。と言った方が正しいくらいの声であった。
その声の中にある輝きに、ミハエルは息を飲んだ。
「ウチにはまだ、やらなきゃならないことが、守らなきゃならない約束がある! こんな所で、終われない」
それは、先程エレンが見た、彼女の魂の輝きだったのかもしれない。
「そうだ……」
リコリスは言う。それは、やはり自分自身を奮いおこすため。
「ウチはまだ死ねない、死ねないんだ!」
少女の叫びは、まさしく魂の声に相違なかった。
死の渦巻くこの砂漠に、傷つき、絶望に飲まれていても、彼女の瞳に生きる意志は残っている。
…まったく。
ふと、ミハエルの口元に、苦笑じみた笑みがこぼれていた。
…そうだ。それならば、抗おうではないか。
この逆境を切り抜ける為の力を、意志を、握った刃と心に、彼は強く誓うのだった。
…生き残ろう。この彼女のこれからの為にも。
ミハエルがリコリスの提案を受け入れてくれたと思ったのだろう。リコリスがアクラ・ヴァシムへ向かって走り出そうとしたその時であった。
「待って、リコリス!」
駆け出そうとして足を止めた、その足元に大振りのナイフが突き立った。
ミハエルが自身の腰に刺さった剥ぎ取りナイフを投げたのだ。
一瞬だけ驚いて彼を見返すリコリスに向けて言う。
「僕の剥ぎ取りナイフを使って。父さんの形見だから、今度は壊さないでね」
バイザーで隠れて見えないが、声音で彼が微笑んだのが伝わったのだろう。
リコリスの表情にも、少しだけ明るさが戻る。
「あと、囮は二人でやるよ。大丈夫、今僕たちが無理にダメージを稼がなくても、
ディーン君たちが来てくれれば、それでひっくり返せるさ」
そこまで言うと、彼は視線をアクラ・ヴァシムへと向ける。
この男は。
この状況でなんとも爽やかに言ってくれるものである。
「かなわないなぁ」
彼女の意地を、決意を汲み取ってくれたのだろう。
正直、彼女自身も無謀だとはわかっていた。
だが、それでも動きたかったのだ。そうでなければ“折れて”しまう。
もしこの絶望的な状況下で仮に生き残れたとしても、ミハエル達に守られたまま何も出来ずにおめおめと逃げ帰ったのであれば、自分はきっとハンターを続けられない。
誤魔化しながらハンターを続けたとしても、きっと彼女はこの先、勝負において逃げ出してしまうようになる。そうすれば必ず、腐る。
普通ならば、逃げていい場面だ。
だがそれは、普通の人間であればなのだ。
自分はモンスターハンターである。
逃げてはいけない場面というものがある。
今が、それだ。
「ありがとっ!」
ミハエルに応えて足元の剥ぎ取りナイフを拾い上げる。
それを合図と見たのか、今まで様子見を決め込んでいたアクラ・ヴァシムが動く。
突進攻撃だ。
その巨体を四本の脚が高速で押し運ぶ。もたらすものは質量による破壊である。
しかし、二人は何度も見た攻撃を喰らうほど愚かではない。余裕をもって尾晶蠍の軌道上から退避する。
「でもさっ!」
アクラ・ヴァシムを挟むように、左右へとその身を躱した二人。
リコリスの方がミハエルへと、声をかけた。
「さっきのセリフ。ウチがよく読む冒険活劇 じゃ、ああいうセリフは“死亡フラグ”って言うらしいよっ!」
悪戯っぽい表情で、悪辣なことを言ってのける。
空気を読まないとんだブラックジョークだが、それをあえて口にして見せる辺り、彼女の胆力も大したものだ。
ミハエルは今度こそ、声を上げて笑う。
やはり、彼女は強い。
その魂の強さは、ミハエルが出会った三人。
ディーン達にも引けを取らないだろう。
ならば彼らにならった自分達の流儀で返してやらねばなるまい。
あの出鱈目な青年がよく口にし、いつの間にか自分達を発奮させる合言葉のようになってしまった言葉で。
「誰に言っていやがる!」
ミハエルが、彼にしては荒っぽい言葉で応えるや、アクラ・ヴァシムは再び、その両の鋏を二人へと振りかぶるのだった。
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キシャアァァァァァッッッ!!
奇怪な雄叫びをあげた尾晶蠍アクラ・ヴァシムが、その巨体を支える四本の脚をせわしなく動かし、突進を仕掛けてくる。
「くっ!」
「ッッ!」
左右へ跳び退り、それを躱したミハエルとリコリスは、防具にまとわりつく砂を払う事すら惜しんで立ち上がる。
ミハエルとリコリスは、ありったけの音爆弾や閃光玉でアクラ・ヴァシムの注意を引き、なんとかエレンをディーン達がイビルジョーを相手取っているエリアへと向かう隙を作り、今しがた漸く、エレンがアクラ・ヴァシムの注意の外側へと脱出できたところだった。
戦闘エリア外へと走って行ったエレンを見送った二人は、今や完全にアクラ・ヴァシムの標的と認められてしまったようである。
「大丈夫かい、リコリス?」
先に体制を立て直したミハエルが、反対側へと回避したリコリスへと声をかける。
「ウチは平気。ただ避けるだけだもん、ディーン君達が戻ってくるまで、いくらでも逃げ回って見せるよ!」
気丈にも元気に応えるリコリスを、尾晶蠍は次のターゲットにしたようである。
先程エレンに向けて放った、起爆性の結晶液を勢いよく放つ。
「うわわわっ!?」
間一髪。
飛び退いたリコリスの足元を、結晶液が通過し、数刻と待たずに破裂音をあげる。
「大丈夫?」
素早くミハエルが駆け寄り、リコリスを助け起す。
応えて立ち上がったリコリスだが、度重なる疲労や緊張、そして相棒を失った悲しみからか、その顔色はお世辞にもいいとは言えなかった。
なんと、声をかければいいのだろうか。
「平気、だってば」
バイザーで隠れていたが、垣間見える瞳と声は隠せなかったのだろう。
「こんなところで、死ぬわけにはいかないよ」
言って気丈にも、ニッと歯を見せるリコリスである。
彼女は、強い。そう思った。
「そうだ、こんなところで、死んでたまるか!」
腹の底から、絞り出すような声である。
まるで、自分自身を鼓舞するかのようだ。
「わかった」と返すミハエル。
だが、此方の現状は絶望的であるのは変えようがない。
頼みの綱は、ミハエルが考案した“作戦”を伝達するために走っていったエレンが、首尾良く作戦を伝え、この状況を打破する為の援軍を連れて帰ってくること。
しかし、それまではかの獰猛な尾晶蠍の猛攻から生き延びねばならないのだ。
いくら気合いを入れようと、体力を消耗している現状では、長く保たせ続ける事は出来そうになかった。
緊張に
「ミハエル! ウチはアイツの目の前を走り回って撹乱するから、与えられるだけのダメージを!」
「ええっ!?」
リコリスの提案は、はっきり言って無謀である。正直武器も壊れ、為す術のない彼女が出来ることといえば、精々が囮である。
ではあるのだが。
「無茶だよリコリス!」
思わずミハエルが声を上げてしまう。
当然である。
この場にいるのは彼とリコリスの二人。
眼前、両の鋏を振り上げ、こちらを威嚇しながら様子を伺っている尾晶蠍アクラ・ヴァシムは 、あのディーンやフィオールをもってして天才と言わしめる彼を、先の一合で見事出し抜いて見せたのである。
ミハエル自身、自惚れるつもりなど毛頭ないが、それでもああも見事に不意を打ってくる相手だ。
申し訳ないが、リコリスの
「無茶でもやるんだっ!」
だが、言い返すリコリスの声音には、自身の考えを曲げようと言う音色は一切なかった。
「キミの作戦が上手く運んだとしても、必ずしもそれだけで成功するとは限らない。だから、ウチらは今のうちに少しでも、アイツにダメージを与えておかないと!」
毅然と言い返すリコリスの言い分は最もである。
しかし、だ。
それでも彼女が囮になって、彼女までもこの砂漠に命を散らしてしまうのであれば、元も子もない。
ミハエルが「けど」と、反論の言葉を投げようとしたその時であった。
「大丈夫!」
再度、リコリスは声を上げた。
いや、叫んだ。と言った方が正しいくらいの声であった。
その声の中にある輝きに、ミハエルは息を飲んだ。
「ウチにはまだ、やらなきゃならないことが、守らなきゃならない約束がある! こんな所で、終われない」
それは、先程エレンが見た、彼女の魂の輝きだったのかもしれない。
「そうだ……」
リコリスは言う。それは、やはり自分自身を奮いおこすため。
「ウチはまだ死ねない、死ねないんだ!」
少女の叫びは、まさしく魂の声に相違なかった。
死の渦巻くこの砂漠に、傷つき、絶望に飲まれていても、彼女の瞳に生きる意志は残っている。
…まったく。
ふと、ミハエルの口元に、苦笑じみた笑みがこぼれていた。
…そうだ。それならば、抗おうではないか。
この逆境を切り抜ける為の力を、意志を、握った刃と心に、彼は強く誓うのだった。
…生き残ろう。この彼女のこれからの為にも。
ミハエルがリコリスの提案を受け入れてくれたと思ったのだろう。リコリスがアクラ・ヴァシムへ向かって走り出そうとしたその時であった。
「待って、リコリス!」
駆け出そうとして足を止めた、その足元に大振りのナイフが突き立った。
ミハエルが自身の腰に刺さった剥ぎ取りナイフを投げたのだ。
一瞬だけ驚いて彼を見返すリコリスに向けて言う。
「僕の剥ぎ取りナイフを使って。父さんの形見だから、今度は壊さないでね」
バイザーで隠れて見えないが、声音で彼が微笑んだのが伝わったのだろう。
リコリスの表情にも、少しだけ明るさが戻る。
「あと、囮は二人でやるよ。大丈夫、今僕たちが無理にダメージを稼がなくても、
ディーン君たちが来てくれれば、それでひっくり返せるさ」
そこまで言うと、彼は視線をアクラ・ヴァシムへと向ける。
この男は。
この状況でなんとも爽やかに言ってくれるものである。
「かなわないなぁ」
彼女の意地を、決意を汲み取ってくれたのだろう。
正直、彼女自身も無謀だとはわかっていた。
だが、それでも動きたかったのだ。そうでなければ“折れて”しまう。
もしこの絶望的な状況下で仮に生き残れたとしても、ミハエル達に守られたまま何も出来ずにおめおめと逃げ帰ったのであれば、自分はきっとハンターを続けられない。
誤魔化しながらハンターを続けたとしても、きっと彼女はこの先、勝負において逃げ出してしまうようになる。そうすれば必ず、腐る。
普通ならば、逃げていい場面だ。
だがそれは、普通の人間であればなのだ。
自分はモンスターハンターである。
逃げてはいけない場面というものがある。
今が、それだ。
「ありがとっ!」
ミハエルに応えて足元の剥ぎ取りナイフを拾い上げる。
それを合図と見たのか、今まで様子見を決め込んでいたアクラ・ヴァシムが動く。
突進攻撃だ。
その巨体を四本の脚が高速で押し運ぶ。もたらすものは質量による破壊である。
しかし、二人は何度も見た攻撃を喰らうほど愚かではない。余裕をもって尾晶蠍の軌道上から退避する。
「でもさっ!」
アクラ・ヴァシムを挟むように、左右へとその身を躱した二人。
リコリスの方がミハエルへと、声をかけた。
「さっきのセリフ。ウチがよく読む
悪戯っぽい表情で、悪辣なことを言ってのける。
空気を読まないとんだブラックジョークだが、それをあえて口にして見せる辺り、彼女の胆力も大したものだ。
ミハエルは今度こそ、声を上げて笑う。
やはり、彼女は強い。
その魂の強さは、ミハエルが出会った三人。
ディーン達にも引けを取らないだろう。
ならば彼らにならった自分達の流儀で返してやらねばなるまい。
あの出鱈目な青年がよく口にし、いつの間にか自分達を発奮させる合言葉のようになってしまった言葉で。
「誰に言っていやがる!」
ミハエルが、彼にしては荒っぽい言葉で応えるや、アクラ・ヴァシムは再び、その両の鋏を二人へと振りかぶるのだった。