3節(7)
文字数 3,410文字
駆け込みながら背中のレックスライサーを抜刀。
両の刃を後ろ脚の関節部分に突き立て引き裂く。
だが、関節部分が甲殻に覆われていないとはいえそれでもかなりの強度を誇る様で、その傷口は浅い。
…確かに硬いな。なら!
「何度だって!」
連打あるのみである。
両腕を天高く掲げ、一気に自身の闘気を爆発させる双剣使いの奥義、鬼人化だ。
乱舞であれば、いかな堅牢な走行であれ削り切ってやるとばかりに左右の刃を翻す。
だが、それでも辺境の、取り分け前人未到の奥地に生息するアクラ・ヴァシムだ、ミハエルの連撃を物ともせずに、四本の図太い脚を器用に動かして彼へと向き直った。
「!?」
一瞬、左右のどちらの鋏が振り下ろされるのかと逡巡 するミハエル。
──だが。
「尻尾です!」
少し離れた位置で弓を番えていたエレンが声を発するのに反応し、無心で後方へと飛び退ると、一瞬前まで彼の立っていた地面に巨大な水晶体が打ち付けられた。
ずん、と重量感のある音を上げたのは、エレンの警告していた通り、尾晶蠍の尻尾である。
アクラ・ヴァシムは長く反り返った尻尾を、そのまま胴体の上から真正面のミハエルへと叩きつけたのだ。
エレンの声がなければ、頭上から降ってくる尻尾の一撃はかわせなかった。
彼の視界の死角を縫うかの様な攻撃である。
この尾晶蠍アクラ・ヴァシム。甲殻種に対して用いて良いものか迷う表現だが、かなり知恵が回る様だ。
離れて見ていたエレンは、アクラ・ヴァシムが敢えてミハエルに両鋏をアピールして見せてから、尻尾での攻撃を行った様に見えた。
もしそうだとしたら、狡猾と言っても過言ではない。
それが証拠に、あのミハエルの不意をついて見せたのだから。
反撃とばかりに、その尻尾目掛けて今度はエレンが再び矢を放つが、尻尾の関節部分に刺さりはしたものの、すぐに動きを再開するアクラ・ヴァシムに大したダメージは見受けられない。
「……くっ、なんて硬さなんですか」
思わず弱音が口をつく。
たまたま尻尾を振りかぶる動きで、ミハエルへと注意を飛ばすことはできた。だが、そう何度も同じようなことができる見込みはない。
何より、こちらの攻撃に対し、ダメージらしいダメージが入っている様に感じられないのが不気味である。
戦慄を覚えるエレンを今度は標的にしたのか、アクラ・ヴァシムは奇怪な雄叫びをあげ、一瞬両の鋏を振り上げたかと思うと、エレン目掛け突進を仕掛ける。
慌てて弓を折り畳んで腰のマウントに戻すと、一にも二にも跳んで回避するエレン。
無様に倒れこんだ彼女のすぐ傍を、猛スピードで黒い大蠍が駆け抜けていった。
「エレン!」
リコリスが駆け寄って彼女を助け起こす。
跳ね上がる心臓を抑え、リコリスの手を借りて立ち上がる彼女は、少し先まで駆け抜け、ゆっくりとこちらを振り返る尾晶蠍を見据えて歯を食いしばった。
…倒せない。
この3〜4ヶ月間、射手 として近接戦闘 の外から戦況を見定める様努めてきたエレンの思考が、どう逆立ちしてもこの結論を出してしまう。
悔しいが、不可能である。
自分よりもハンター歴の長いリコリスは、頼みの武器を持っておらず、攻撃力不足。
エレン自身の武装では、先の様にアクラ・ヴァシムの防御を貫いてロクなダメージを与えられない。
第一、自分を棚に上げた上での事だが、現在のチームの女性ハンターでは、そもそも実力不足なのだ。
リコリスには悪いが、エレンは勿論のこと事、リコリスの腕っ節程度で眼前のアクラ・ヴァシムと渡り合えるとは到底思えない。
唯一覆せる可能性があるとすれば、ミハエルの奮闘だけだが、まともな戦力になりそうにない二人を庇いつつ、彼一人がどれほど動けるのか、希望を持つことは馬鹿らしく感じた。
…せめて、ディーンさんとフィオールさんがいてくれたら。
「エレン……」
その弱気が顔に出ていたのだろうか、隣で共に尾晶蠍と対峙するリコリスから気遣うような声が自身にかかる。
その声に応えられる程、エレンの心情に余裕はなかった。
「リコリスさん……」とうつむきながら返事をするのが精一杯である。
だが、誰が彼女を責められようか。
そもそもがハンターとなって半年もたたぬ、しかも未だうら若き乙女であるエレンが、ここまで気丈に立ち回っている方が異常なのだ。
巡り合わせによって、ディーン、フィオール、ミハエルといった常軌を逸した才能の仲間たちと行動を共に出来たから、今の今まで戦ってこられた。
しかし、だからこそ解ってしまう。誰よりも近くで彼等と戦ってきた彼女だからこそ、思い知るのだ。
自分では彼等 の域には届かない、と。
それどころか、彼等はエレンを置いて、エレンが想像する遥か高みまで駆け上がるのだろう。
そして自分は、ここで不運にも遭遇してしまった尾晶蠍に命を奪われてしまうのだ。
それが理解できてしまうのは、少しは自身と周りを冷静に分析できるようになった証拠に他ならないのだろうが、今はその事が呪わしかった。
「……すみません」
誰に向けてかわからぬ謝罪の言葉がエレンの口から溢れる。
しかし、傍らに立つ少女は違った。
いや、心の中では、概ねエレンと同じような絶望感だったに違いない。
違いないのだが……。
「しゃんとしろ!エレン・シルバラント!」
夜の砂漠の上空に瞬く星々にも轟きそうな大声で、リコリスは叫んだ。
エレンのお尻をぴしゃりと叩 きながら。
「きゃっ!?」
思わず可愛らしい悲鳴をあげながら、とっさにお尻を両手でさすりながら、若干涙目で叩いた当のリコリスを見るエレン。
だが、そこで見たリコリスの瞳に映る光に、エレンは息を飲む。
そこにある光は、彼女が見慣れた輝きだった。
この数ヶ月見慣れてきてしまったので忘れていたのだろうか。
それは、以前彼女が生命 を奪うことを躊躇った時にディーンが見せた、否、見せてくれた光 。
“覚悟”という輝き。
そうだ。何を自分は忘れていたのだろうか。
才能だとかどうのこうのではないのだ。
「ウチらは、生きる! 生き残るんだ! そうじゃなきゃ駄目なんだよ、エレン!」
リコリスは言う。その輝きを瞳に宿しながら。
「だから、諦めちゃ絶対に駄目だ!」
そうだ。何を忘れていたのだ。あの時ディーンたちが教えてくれたことではないか。
あの時自分は学んだではないか。
才能だ何だ、勝てる勝てないは二の次なのだ。理屈なんてどうだっていい。そんなものなんて糞食らえなのだ。
“生きる”のだ。
その覚悟の、いや、覚悟を宿した魂の輝きが、エレンの絶望を吹き飛ばした。
「すみません」
謝罪の言葉が再び彼女の口から出る。
だが、それはさっきまでのモノとは違う。
勝手に絶望していた自分に、そして、そんな無様を晒してしまったことを、彼女は彼女自身を含めたすべてに詫びる。
倒せない、覆せない、生き残る可能性がない。
そんな事なんか関係ないのだ。
大事なのは、肝腎なのは、忘れてはいけないのはたった一つ。
“生きることを諦めない”ことなのだから。
「よし!」
エレンの瞳に覚悟 が再び宿ったことを認めたリコリスが、ニッと歯を見せて笑う。
「“生き残る”よ、エレン!」
「はい! リコリスさん!」
言葉を交わし合った可憐な少女たちは、その細腕に持てる限りの意地を込めてアクラ・ヴァシムに向き直る。
対するアクラ・ヴァシムは、今まで相手の様子を伺っていたのか、それともこちらの出方を伺っていたのか、赤い四つの双眸を不気味に光らせ、こちらを睨みつけていた。
だが、その僥倖とも言える一瞬は、そう長くはなかった。
しかし、充分である。
「二人とも、来るよ!」
ミハエルが叫ぶ。
二人の美しい少女は、その声に反応するまでもないとばかりに、それぞれの行動に移る。
そう、生き残るために。
両の刃を後ろ脚の関節部分に突き立て引き裂く。
だが、関節部分が甲殻に覆われていないとはいえそれでもかなりの強度を誇る様で、その傷口は浅い。
…確かに硬いな。なら!
「何度だって!」
連打あるのみである。
両腕を天高く掲げ、一気に自身の闘気を爆発させる双剣使いの奥義、鬼人化だ。
乱舞であれば、いかな堅牢な走行であれ削り切ってやるとばかりに左右の刃を翻す。
だが、それでも辺境の、取り分け前人未到の奥地に生息するアクラ・ヴァシムだ、ミハエルの連撃を物ともせずに、四本の図太い脚を器用に動かして彼へと向き直った。
「!?」
一瞬、左右のどちらの鋏が振り下ろされるのかと
──だが。
「尻尾です!」
少し離れた位置で弓を番えていたエレンが声を発するのに反応し、無心で後方へと飛び退ると、一瞬前まで彼の立っていた地面に巨大な水晶体が打ち付けられた。
ずん、と重量感のある音を上げたのは、エレンの警告していた通り、尾晶蠍の尻尾である。
アクラ・ヴァシムは長く反り返った尻尾を、そのまま胴体の上から真正面のミハエルへと叩きつけたのだ。
エレンの声がなければ、頭上から降ってくる尻尾の一撃はかわせなかった。
彼の視界の死角を縫うかの様な攻撃である。
この尾晶蠍アクラ・ヴァシム。甲殻種に対して用いて良いものか迷う表現だが、かなり知恵が回る様だ。
離れて見ていたエレンは、アクラ・ヴァシムが敢えてミハエルに両鋏をアピールして見せてから、尻尾での攻撃を行った様に見えた。
もしそうだとしたら、狡猾と言っても過言ではない。
それが証拠に、あのミハエルの不意をついて見せたのだから。
反撃とばかりに、その尻尾目掛けて今度はエレンが再び矢を放つが、尻尾の関節部分に刺さりはしたものの、すぐに動きを再開するアクラ・ヴァシムに大したダメージは見受けられない。
「……くっ、なんて硬さなんですか」
思わず弱音が口をつく。
たまたま尻尾を振りかぶる動きで、ミハエルへと注意を飛ばすことはできた。だが、そう何度も同じようなことができる見込みはない。
何より、こちらの攻撃に対し、ダメージらしいダメージが入っている様に感じられないのが不気味である。
戦慄を覚えるエレンを今度は標的にしたのか、アクラ・ヴァシムは奇怪な雄叫びをあげ、一瞬両の鋏を振り上げたかと思うと、エレン目掛け突進を仕掛ける。
慌てて弓を折り畳んで腰のマウントに戻すと、一にも二にも跳んで回避するエレン。
無様に倒れこんだ彼女のすぐ傍を、猛スピードで黒い大蠍が駆け抜けていった。
「エレン!」
リコリスが駆け寄って彼女を助け起こす。
跳ね上がる心臓を抑え、リコリスの手を借りて立ち上がる彼女は、少し先まで駆け抜け、ゆっくりとこちらを振り返る尾晶蠍を見据えて歯を食いしばった。
…倒せない。
この3〜4ヶ月間、
悔しいが、不可能である。
自分よりもハンター歴の長いリコリスは、頼みの武器を持っておらず、攻撃力不足。
エレン自身の武装では、先の様にアクラ・ヴァシムの防御を貫いてロクなダメージを与えられない。
第一、自分を棚に上げた上での事だが、現在のチームの女性ハンターでは、そもそも実力不足なのだ。
リコリスには悪いが、エレンは勿論のこと事、リコリスの腕っ節程度で眼前のアクラ・ヴァシムと渡り合えるとは到底思えない。
唯一覆せる可能性があるとすれば、ミハエルの奮闘だけだが、まともな戦力になりそうにない二人を庇いつつ、彼一人がどれほど動けるのか、希望を持つことは馬鹿らしく感じた。
…せめて、ディーンさんとフィオールさんがいてくれたら。
「エレン……」
その弱気が顔に出ていたのだろうか、隣で共に尾晶蠍と対峙するリコリスから気遣うような声が自身にかかる。
その声に応えられる程、エレンの心情に余裕はなかった。
「リコリスさん……」とうつむきながら返事をするのが精一杯である。
だが、誰が彼女を責められようか。
そもそもがハンターとなって半年もたたぬ、しかも未だうら若き乙女であるエレンが、ここまで気丈に立ち回っている方が異常なのだ。
巡り合わせによって、ディーン、フィオール、ミハエルといった常軌を逸した才能の仲間たちと行動を共に出来たから、今の今まで戦ってこられた。
しかし、だからこそ解ってしまう。誰よりも近くで彼等と戦ってきた彼女だからこそ、思い知るのだ。
自分では
それどころか、彼等はエレンを置いて、エレンが想像する遥か高みまで駆け上がるのだろう。
そして自分は、ここで不運にも遭遇してしまった尾晶蠍に命を奪われてしまうのだ。
それが理解できてしまうのは、少しは自身と周りを冷静に分析できるようになった証拠に他ならないのだろうが、今はその事が呪わしかった。
「……すみません」
誰に向けてかわからぬ謝罪の言葉がエレンの口から溢れる。
しかし、傍らに立つ少女は違った。
いや、心の中では、概ねエレンと同じような絶望感だったに違いない。
違いないのだが……。
「しゃんとしろ!エレン・シルバラント!」
夜の砂漠の上空に瞬く星々にも轟きそうな大声で、リコリスは叫んだ。
エレンのお尻をぴしゃりと
「きゃっ!?」
思わず可愛らしい悲鳴をあげながら、とっさにお尻を両手でさすりながら、若干涙目で叩いた当のリコリスを見るエレン。
だが、そこで見たリコリスの瞳に映る光に、エレンは息を飲む。
そこにある光は、彼女が見慣れた輝きだった。
この数ヶ月見慣れてきてしまったので忘れていたのだろうか。
それは、以前彼女が
“覚悟”という輝き。
そうだ。何を自分は忘れていたのだろうか。
才能だとかどうのこうのではないのだ。
「ウチらは、生きる! 生き残るんだ! そうじゃなきゃ駄目なんだよ、エレン!」
リコリスは言う。その輝きを瞳に宿しながら。
「だから、諦めちゃ絶対に駄目だ!」
そうだ。何を忘れていたのだ。あの時ディーンたちが教えてくれたことではないか。
あの時自分は学んだではないか。
才能だ何だ、勝てる勝てないは二の次なのだ。理屈なんてどうだっていい。そんなものなんて糞食らえなのだ。
“生きる”のだ。
その覚悟の、いや、覚悟を宿した魂の輝きが、エレンの絶望を吹き飛ばした。
「すみません」
謝罪の言葉が再び彼女の口から出る。
だが、それはさっきまでのモノとは違う。
勝手に絶望していた自分に、そして、そんな無様を晒してしまったことを、彼女は彼女自身を含めたすべてに詫びる。
倒せない、覆せない、生き残る可能性がない。
そんな事なんか関係ないのだ。
大事なのは、肝腎なのは、忘れてはいけないのはたった一つ。
“生きることを諦めない”ことなのだから。
「よし!」
エレンの瞳に
「“生き残る”よ、エレン!」
「はい! リコリスさん!」
言葉を交わし合った可憐な少女たちは、その細腕に持てる限りの意地を込めてアクラ・ヴァシムに向き直る。
対するアクラ・ヴァシムは、今まで相手の様子を伺っていたのか、それともこちらの出方を伺っていたのか、赤い四つの双眸を不気味に光らせ、こちらを睨みつけていた。
だが、その僥倖とも言える一瞬は、そう長くはなかった。
しかし、充分である。
「二人とも、来るよ!」
ミハエルが叫ぶ。
二人の美しい少女は、その声に反応するまでもないとばかりに、それぞれの行動に移る。
そう、生き残るために。