1節(6)

文字数 5,456文字

「死にやがれ!」

 男の指が、引き金を絞り込まんとする。
 銃口を向けられるエレンは、避けようとすることさえ出来ない。

 先に述べたように、彼女を狙う弾丸が外れようモノならば、夕暮れ時とはいえ人の絶えぬこの広場だ、誰に被害が及ぶかもわからない。
 おまけに男の手にあるのは、大型口径弾を打ち出すヘヴィボウガンである。

 現代を生きる読者諸君からすれば、この世界の火薬の質はかなり落ちるとは言え、それでも殺傷力は充分にあるのだ。

 男が構えているのは、ヘヴィボウガンの中でも威力の低い、タンクメイジと言う名のものであったが、それは大型モンスターを相手にしたときの基準であり、生身の人間には驚異であることは変わりない。

「……くっ!!

 その場を動くことのできないエレンは、腕を顔の前で交差させて、来る衝撃に耐えんとするしか出来なかった。

 自分が下手に動いて、誰かを傷つけるわけにないかないと思ったのだ。
 兎に角、今は身につけた防具、フルフルシリーズの防御力を信じるしかない。

「ウラァっ!!

そんなエレンの思案を余所(よそ)に、冷静さを失った男が遂に引き金を引く。


 銃声(バァン)!!


 轟音巻き上げて、ヘヴィボウガンの銃口が火を吹いた。

 撃ち出された弾丸が、動けぬエレンに向けて宙を走る。
 超高速で飛来する弾丸は、エレンの華奢な体に直撃し、吹き飛ばすことが……


 ──出来なかった。


 ガッシャァァンッッ!!


 不意に鳴り響く、ガラスの砕け散る盛大な音。

 目を堅くつぶり、その身を緊張させて、来る衝撃に備えていたエレンは、ガラスの破裂音以外、何の衝撃も襲ってこない事に、恐る恐る瞳を開けた。


「何をしていやがる」


 耳に入ってくる声に、今まで張り詰めていたものが、一気に氷解するのを感じる。
 エレンの視線の先、ゲリョスシリーズの男と彼女の間に、瞬く間に現れた赤い全身鎧の背中。

 この三~四ヵ月の間、追い続けてきた背中。
 ディーン・シュバルツの背中がそこにあった。

 彼の両手には先の言の通り、売店で買ってきたのであろう、水の入ったガラス性のボトルが一本ずつ握られており、その内の右手に持った一本が、半ばから砕け散っていた。

 どうやら先の破裂音は、このボトルが砕けた音であったことは間違い無さそうだ。

 そして、彼の足下には、砕け散ったガラス片と、握り拳大の(つぶて)がえぐったであろう、大きめの穴が穿(うが)たれており、シュウシュウと煙を上げていた。

「もう一度聞くぞ、何をしていやがる」

 押し殺した声で、ディーンが再度ゲリョスシリーズの男に向けて問う。
 背を向けられる形のエレンには、その表情は見えない。

「……な、何だよ、お前ェは……」

 しかし、面と向かったゲリョスシリーズの男の反応から伺い知ることができた。

…ディーンさん。かなり、怒ってます。

 割と短気で、子供っぽいところのあるディーンだが、本気で怒ることはまずない。

 四六時中(しろくじちゅう)一緒にいるエレンだが、今のように押し殺したような声を出すディーンは珍しいのだ。
 エレンも以前、狩りの場において、モンスターにトドメをさせぬ甘さを(しか)られたときに、あの怒りをぶつけられた経験が有る。

 その為かこの一瞬だけは、不謹慎にもゲリョスシリーズの男に同情してしまった。
そしてその、人知れず同情された男だが、ディーンの眼光に気圧されて、一歩、また一歩と後ずさるばかりである。

 もう訳が分からなかった。

 兜を脱いでいるとはいえ、ディーンの纏うのはレウスシリーズ。
 装備のランクだけ見ても、自分よりも遥かに実力を持っていることは疑いようがない。

 彼のような年齢の若造が、これほどの上位装備を身につけていることも珍しいが、それよりも何よりも信じられないことがある。

…この若造、“俺の撃った弾丸をはたき落としやがった”……?

 胸中で自問するゲリョスシリーズの男。
 だが信じられぬ事に、自分の考えは正しいようだ。地面にあいた穴と、ディーンの右手の割れたガラスボトルが物語っている。

 驚くべき事だが、間合いの外から男とエレンの間に割り込みつつ、正確に弾丸をはたき落としたなど、常識はずれにも程がある。
 ゲリョスシリーズの男は、最早まともな思考能力を、完全に失っていた。

 じり、と。
 ディーンが一歩、男へと歩む。

「く……来るな」

 フルフェイスのゲリョス防具越しの瞳に、恐慌の色を濃くした男の声など意にも介さず、ディーンはゆっくりもう一歩を踏み出す。

「来るんじゃねぇよ……」

 うわずった声が、男の口からこぼれる。

 しかしディーンの歩みは止まらず、次の一歩が踏み出され、男とディーンの距離は更に縮まってしまう。

 もうこれ以上、この男の神経が持たなかった。

「来るんじゃねぇって言ってんだろうが~ッ!?

 恐怖に染まりきった声で叫ぶ男の指が、再びヘヴィボウガンの引き金を振り絞る。

 ──が。


 ばりぃぃんっ!!


 男の撃った第二の弾丸は、初弾と全く同じ運命をたどり、地面に二つ目の穴をあける事となった。

 そして、男が引いた引き金は、ディーン自身の引き金をも引いてしまうこととなった。

 左手に持った無事な方のボトルで、第二弾をはたき落としたディーンは、砕け散るボトルなど気にもとめず、右手に持ったままだった、半ばから砕け散った方のボトルを男に向けて投擲(とうてき)する。

 投げつけられたボトルの残骸は、唸りを上げんばかりの勢いで、男が構えたままのヘヴィボウガンを直撃し、完全に破裂した。

 「うわっ!?

 衝撃と砕け散るガラス片に驚いた男は、構えていたヘヴィボウガンを取り落としてしまう。

 がしゃん、と。

 音を立てて地に落ちたタンクメイジ。
 男は無意識に拾い上げようと手を伸ばすが、その手がヘヴィボウガンにかかる直前、赤い具足(ぐそく)がそれを踏んづけてしまい、男の行いを妨害する。

「っ!?

 視線を上げた目に映ったのは、事も無げに二つに弾丸をはたき落としてみせた、出鱈目(デタラメ)な青年が、二発目の時に割れたのであろう、半分くらいになってしまったボトルを逆手に持って、ゆっくりと振り上げていた。

「ディ、ディーンさんっ!?

 流石にエレンが慌てて声を上げる。

 いくら何でもやりすぎだ。
 もしもそのまま左腕を振り下ろせば、ディーンの腕力だ、タダで済むわけがない。

 エレンの声は、間違いなくディーンの耳に届いているはずである。
 しかし、ディーンはまだ止まってはくれなかった。

「……わ、悪かっ……た、助け……」

 男は今まさに、蛇に睨まれた蛙か、飛竜に見つかった狩人(ハンター)のように、身をすくませてしまっている。
 命乞いと変わらぬ男の様子、その様を見下ろすディーンの瞳には、何の色すら伺えない。

 そして、遂にディーンの左腕が振り下ろされ……

「そこまでだ、兄ちゃんよ」

 唐突に現れた声に、ディーンの動きもぴたりと静止したのであった。

 振り下ろした左手に握った、割れて尖ったボトルの先端は、ゲリョスシリーズの男の顔面ギリギリの所で、間一髪止まっていた。

 そこまでが男の精神力の限界であったようだ。

 へなへなとそのまま崩れ落ちてしまうゲリョスシリーズの男。
 おそらく顔を覆うヘルムの内側では、泡を吹いているに違いない。

「確かに、ちょいとやりすぎたかな、こりゃ」

 男の眼前まで迫っていたボトルを引きながら口を開くディーンは、いたって普段通りの彼であった。
 それこそ、悪戯(いたずら)が成功しすぎて、シラケてしまったかのような口調である。

「全くだぜ。やり過ぎだよ兄ちゃん」

 そんなディーンにかかる声。
 先の一瞬で、ディーンにかけられた声の主だ。

 エレンを助けた大女の物ではない。

 彼女の声も、女性にしては低くて太い声音であるが、今聞こえた声の質は男性の物である。
 ディーンがゆっくりと、声の方向へと振り返り、それに習ってか、エレンと大女の視線もその方向を追いかけると、いつの間にやら、この騒動を遠巻きに見物する人集りができていたが、その声の主が誰であるかは、不思議と間違わなかった。

 案の定、とでも言うべきか、声の主もハンターのようである。

 ポッケ村にある資料では見たことのない装備であった。
 黒いロングコートのような、レザー質の外套(がいとう)。その外套のいたる所を、緑色の甲殻や鱗素材で補強している。
 緑色の鱗や甲殻は、先端部分だけ鮮明な赤色をしており、また、先端に行くにつれ、鋭く尖っていた。
 外套からのぞく手足も同様、籠手(こて)具足(ぐそく)に至るまで、まるで棘を思わせる鋭さだ。

 実際、左の籠手には、深紅(しんく)の棘が突き出している。

 棘と同じく、燃え上がらんばかりに赤い頭髪を、同種の素材で造ったのであろうヘッドバンドで、左こめかみから抑えつけるようにまとめたその顔には、普段から浮かべているかのように、シニカルな笑みがたたえられていた。

「まったく、性格が悪すぎるぜ。解ってるんだったら、もうちょい早く止めてやれよ」

 人集(ひとだか)りの中から、ひょいっとディーン達の方へと歩み寄りながら、その見慣れぬ防具の男はフランクに話しかけてきた。

「そう言うアンタこそ、解っててギリギリまで止めなかったように見えるぜ?」

 その男の言葉に対し、応えるディーンは全く動じた様子はない。
 むしろその言葉の裏側には、『お前も同類だろうが』といった意味合いが見える。

 その意味が通じたのだろう。見慣れぬ装備の男は、「違いないな」と、やはりシニカルに笑うのであった。
 それに合わせて、ディーンの方もニヤリと口元を釣り上げる。

「ディーンさん……」

 そんな二人のやりとりの外から、エレンがおずおずと近づいてきた。

「よ、エレン。無事みたいだな。途中から見ていたけど、やるじゃないか」

 言ってわしゃわしゃと、少し乱暴に彼女の頭を撫でるディーン。
 ちょっと驚いたエレンが、可愛らしい悲鳴を上げるが、すぐに顔を赤くしてうつむいてしまった。

「も、もう。途中から見ていたのなら、もう少し早くに助けてくれたって良いじゃないですか」

 下向きのまま、拗ねたように言ってみせるエレンだったが、口調は何故だか、少しだけ嬉しそうであった。

「あっはっは! (ワリ)(ワリ)ぃ。お前がどんな対処をするか気になってな。ヤバそうになったら助けようと思ってたし、実際そうしたんだから、許してくれよ」

 エレンの様子に気付いてか気付かずか、ディーンがあっけらかんと言ってのける。
 そんなディーンに、エレンは「もう」と苦笑気味に呟くのであった。

「それはそうと」

 二人の会話の区切りを見て、見慣れぬ装備の男が口を開く。

「兄ちゃんは勿論、お嬢ちゃんもなかなかやりそうだけど、そちらのお姉ちゃんもかなりのモンだねぇ」

 言って男は、少し離れたところで彼らの様子を眺めていた、先の大女へと話を振った。

「あ、そうでした!」

 話が大女の方へとふられた事により、今まで彼女のことを失念していたことを思い出したエレンは、慌てて大女の方へと頭を下げる。

「お礼が遅れてしまって申し訳ございません。先程は、危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました」

 頭を下げられた大女は、相変わらずの仏頂面で、「ああ」と頷いて、彼等に近づいて来た。

 その後ろには、ちゃっかりと白い毛並みのアイルーが続く。

「オレ。ああいった連中は嫌いなんだ。お前を助けたのはついでだよ、気にするな」

 ぶっきらぼうに言うのは、彼女の地なのであろう。
 つっけんどんな口調の割に、ディーン達はあまり不快な印象を持たなかった。

「いや、俺からも礼を言わせてもらうぜ」

 言ってディーンも、大女に対して軽く頭を下げる。

「俺の仲間が世話になった。俺はディーンで、こっちがエレン。聞くまでもないだろうけれど、二人とも“同業さん”だろう?」

 問いかけの答えは、仕方の違いこそあれ、どちらも肯定であった。

「ああ、お前の言うとおりだ少年。オレはイルゼ。イルゼ・ヴェルナー。コッチはオトモのシラタキだ。よろしくな」

 先に応えたのはイルゼと名乗った大女である。
 続けて、紹介されたシラタキが、ぺこりとディーン達へと頭を下げた。

「ホントはもう一匹、オトモがいるんだがな。ちょいと目を離したスキに、いなくなってしまったんだ」

 イルゼがそう言った途端であった。

「それは(はニャは)だ心外ニャ。はぐれてしまったニョはアチシじゃなくて、アネゴの方ですニャよ」

 彼等の輪の外から、イルゼの言動に対しての反論が飛んできた。
 自然と集まる皆の視線の先にいるのは、黒い毛並みのアイルー亜種。

 一匹のメラルーであった。

「おお、シュンギク。探したぞ、どこに行っていたんだ」
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