4節(8)

文字数 5,473文字

 上に見える飛竜の巣までの高さは4、50メートルはあろうか。

 エレンが登った崖の下のネコチュウが大きな声で彼女に答えると、背後にある都合四つの大きな赤いタルに、垂れてきたロープを器用に巻き付けていく。

「準備完了ニャ~! 引っ張っ上げるのニャ~!」

 ネコチュウがタルにロープを巻き付ける間に、崖のヘリに滑車(かっしゃ)を取り付け終えたエレンがその声に答えて、精一杯の力で大きなタルを引っ張り上げる。

 必死の思いで四つのタルを持ち上げ終えると、最後にネコチュウがするするとそのロープを伝って登ってきた。

「お疲れ様ニャ、エレン。大丈夫かニャ?」

 ハンターとなって1ヶ月あまり。始めた頃に比べ、大分(だいぶ)(たくま)しくなったエレンではあるが、それでも華奢な体格であることは変わりない。

 案の定、肩で息をしているエレンだが、気遣うネコチュウに気丈にも「大丈夫です」と笑顔を向けた。

「フィオールさんやミハエルさん。それにディーンさんが頑張って戦っているんです。私がここで弱音なんか吐いていられません」

 もうぱんぱんには張っているであろうその腕で、力こぶを作る真似事をしてみせるエレン。

「それに、もう一息です。頑張りましょうネコチュウさん」

 そう言ってエレンは、もう直ぐ手の届きそうなところまできた山頂の洞窟を見る。

「わかったニャ。オイラも頑張るニャ!」

 エレンのその横顔に疲労感は有れど、諦めはない。

 そんなエレンを頼もしく思いながら、ネコチュウも自らに気合いを入れ直した。

「さ、急がないと。行きましょうネコチュウさん!」

「にゃんぷし!」

 敬礼のポーズで応えるネコチュウ。

 この崖には、丈夫なツタがいたるところに垂れ下がっているため、登ること事態に特別な道具を必要としない。

 今にも吊りそうな両腕に鞭打って、エレンは意を決して絶壁に臨む。

 ミハエルの立てた作戦は、エレンとネコチュウの迅速な行動が(かなめ)となる。

 焦って足を滑らせないように注意しながら、エレンは何とかそびえ立つ崖の上にぽっかり空いた、飛竜の巣の入り口前に到達することができた。

 休んでなどいられない。直ぐにロープを垂らして大きなタルとネコチュウを引き上げる。

「よく頑張ったニャ~」

 大タルを引き上げた後に、例によってするすると登ってきたネコチュウが、流石に肩で息をするエレンに労いの言葉をかける。

「ありがとうございます。さ、すぐに準備に取りかかりましょう」

 言ってエレンは、自らが引き上げた大タルに向き直った。

 赤い色をした大きなタル。中身には、着火すると爆発するニトロダケをぎっしり詰め込んである。

 俗に大タル爆弾と呼ばれる物で、今回念のためを思って、ミハエルとネコチュウが竜車に積んできていたのだ。

「諒解ニャ! んじゃ、早速始めるのニャ」

 挙手して返事をしたネコチュウが、背負った包みを広げる。

 中から出てきたのは、四匹の大きめな魚である。

 浅黒い胴体に、突出した眼球。カクサンデメキンという名のこの魚は、光蟲(ひかりむし)と似た性質を持っている。

 こちらは絶命時に破裂し、周囲に激しく拡散するのだ。

 さらにこの魚は、水揚げしてもかなりの時間、仮死状態で生き続ける事ができる。

 その為、ハンター達はその性質を利用して、着弾とともに爆発する拡散弾の中でも、最も威力の高い弾や、爆弾の強化に利用することが多い。

 今回エレン達は、後者の為にこのカクサンデメキンを使用するのである。

 カクサンデメキンを詰め込むことで、大きく膨らんだ大タル爆弾は、その大きさも威力も通常のそれをはるかに凌駕するのだ。

 当然重量も大きくなるので、一旦大タル爆弾の状態で持ち上げて、洞窟手前で調合することにしたのである。

 彼女達の眼前に口を開ける洞窟は、火竜の巣を(はら)んで一本の空洞となっている。

 この洞窟を抜けた先には、ディーンとリオレウスが死闘を繰り広げているエリアへと通じているのだが。
 そちら側から運び入れた方が、作業的にははるかに楽であろうが、生憎(あいにく)先に述べたように、ディーンがリオレウスと戦っている最中だ。

 衝撃を起爆剤とする大タル爆弾を運び込むには、あまりに危険であった。

 そういった理由で、エレン達は崖をよじ登るという強攻策に出ざるを得なかったのだ。

「ミハエルのパパさんの持ち物のニャかに、調合書がフルセットあってよかったのニャ。ココに来るまでに熟読しておいたから、調合の仕方はばっちりニャ」

 眼下に残してきた荷車に置いてきた調合書の事を言っているのだろう。ネコチュウがこれまでの作業で両腕が震えているエレンに変わり、ネコチュウがムンと鼻息荒らく、大タル爆弾の前に陣取る。

「あ、私もお手伝いします」

「大丈夫ニャ。エレンは今は休んでいるのニャ。まだまだやることは終わっていニャいのニャから」

 そう言ってエレンを遮ると、エレンは「ここは任せておくのニャ」とエレンに向かって器用にウインクなどしてみせる。

 何とも気取った仕草であったが、彼の容姿では、どうしても愛らしさの方が際だってしまい、何とも格好が付かないのであった。

 ネコチュウが作業に没頭すること数分。一度の失敗もなく、カクサンデメキンを詰め込み、巨大に膨らんだ大タル爆弾Gが都合四個出来上がった。

「よし、完成ニャ!我ながらいい仕事なのニャ」

 自画自賛ではあるが、大タル爆弾の中にカクサンデメキンを積める作業は、かなりの難易度である。下手をするとどちらも駄目にしてしまうことが多いのだが、彼はしっかりとやり遂げてくれた。

「お疲れ様でしたネコチュウさん。流石です」

 そんなネコチュウに賛辞を送るエレン。実際、彼はいい仕事をしたのである。

「では、早速フィオールさん達に合図を出しましょう」

 提案するエレンに、一にも二にもなくネコチュウが頷く。

 それを見るや、エレンは腰のポーチに入った長さ20センチ程度の小さな筒を取り出すと、先端を天へ向けて、反対側から出ている紐を勢いよく引っ張った。

 すると、小さな射出音とともに上空へと打ち出された光弾が、見る見るうちに天高く舞い上がり、上空でぼんっと大きくはじけて大きな光球となって点滅する。

「これでよし、っと。この信号弾をフィオールさん達が確認してくれれば、あとは待機ですね」

「そうだニャ。後はミハエル達の頑張りに期待するしかニャいのニャ」

 空で輝いた信号弾は、黄色い光で数回瞬いた後に消えた。

 光の消えた空を眺めながら、エレンとネコチュウは、先のエリアで未だに雌火竜リオレイアを相手取っているフィオールとミハエルの身を案じて、思いを巡らせるのであった。


・・・
・・



 一方、当のフィオール達である。

「フィオール君、エレンちゃんの信号弾だ」

「ああ、私も確認した。どうやらあの二人、首尾よく準備を終えたようだな」

 木々の隙間から見えた黄色い光。エレンの上げた信号弾である。

 二人は、一瞬それた視線を再び、眼前にて威嚇(いかく)のうなり声を上げるリオレイアへと向けなおす。

 エレン達と二手に分かれ、彼らはこのリオレイアの足止めに努めていた。

 とは言え、二人ともただ雌火竜の足を止めていただけではない。
 フィオールはリオレイアの攻撃を、時には防ぎ、時には(さば)き、そして時には左手に持つパラディンランスによって、痛烈な突きを見舞い、リオレイアを翻弄する。

 同じくミハエルも、フィオールがリオレイアを引き付ける隙をつくかのように、縦横無尽に動き回り、リオレイアの死角から数え切れぬほどの斬撃を浴びせていた。

 それにより、リオレイアに消して軽くはないダメージを被っていた。

 腕代わりのように生えた両の翼には、無数の刺し傷に切り傷。翼にあった自慢の凶暴な鉤爪は既に砕かれて痛々しい。

 顔面も傷だらけ、甲殻はボロボロといった風体(ふうてい)だ。

 しかし、そんなリオレイアと対峙する二人のハンターも、五体満足に立っているように見えて、その実かなり窮地に立たされている状態である。

 回復薬の類は底をつきかけているし、何よりも疲労感が半端ではない。

 なにしろ、一撃一撃が非常に重いのだ。

 今まで何とか致命傷を避け続けてきたのだが、いつまで保つかなどわかったものではない。
 持久戦となれば、不利なのは明らかにフィオール達の方であった。


 ガアアァァァッッ!!!!


 リオレイアが吠える。

 その刹那、リオレイアが一瞬鎌首を持ち上げたかと思うと、瞬く間に都合三発のブレスを放つ。

 三方へと飛翔する火球がフィオールとミハエルを襲う。

「ミハエル、私の後ろへっ!!

 正面から来る初弾を左右によければ、続く二発目三発目のブレスをかわしにくくなる。

 故にフィオールがミハエルの前に立ち、正面から火弾を受け止た。

 ずうん。と、まるで本物の砲弾でもぶち当たったかと思わんばかりの衝撃が、フィオールの腕に襲いかかる。

(サン)ッ!」

 フィオールが鋭く声を飛ばす。

 同時に左右へ地を蹴った二人の間すれすれを、リオレイアがものすごい勢いで通過していった。

 開けた場所とはいえ、それでもこのエリアはとても狭く、リオレイア一頭が暴れまわる中、身をかわすのは一苦労だ。

 生い茂るブッシュに視界や動きを邪魔されながらも、二人はすかさずリオレイアに対して反撃に移る。

「……ッシ!!
「セイッ!!

 フィオールが左側面から、ミハエルはその反対側からリオレイアの脚部を狙い、それぞれ渾身の一撃を見舞う。

 フィオールの踏み込み突きが、ミハエルの双剣突きが左右の脚に傷を付ける。

 追撃を、と思う二人であったが、リオレイアもそうそう好きにはさせてくれない。

「尻尾だ! ミハエル!」

 警戒の声を張り上げるフィオール。

 一拍と間をおかずに、雌火竜の強靭な尻尾が振るわれる。

 ぶおん、と。その身を震撼させる風切り音。

 フィオールは、襲い来る尻尾を右手に固定してある大盾で辛くも防ぐと、しびれる腕に顔をしかめながら、翻る尻尾の行方を目で追った。

 視線の先、その巨大な身体ごと回転させて振り回される雌火竜の尻尾が向かう先には、反対側の脚を攻撃していたミハエルがいる。

 ──あわや直撃か。

 フィオールの脳裏をよぎる、一抹の不安。
 だが、幸いにもその心配は杞憂に終わる。

「うわわっ!?

 彼の視線の先には、少々間の抜けた声を上げて、いつの間にか得物の双剣を背中に戻したミハエルが、慌てて倒れ込むようにしてリオレイアの尻尾をやり過ごしていた。

…まったく、毎度毎度キモが冷える。

 胸中(きょうちゅう)でぼやいて、手際よくランスを背中のマウントに固定したフィオールは、素早く視線を巡らせて辺りの状況を確認する。

…やはり壁際は危険か……それに、トンネル状のあの道に入られたら厄介だ、ここは一旦間合いを取って、開けた場所に誘うのが上策(じょうさく)か。

 頭の中でそう結論づけると、フィオールはミハエルに声をかけて踵を返した。

「ミハエル! もう一度距離を取るぞ」

「ん。諒解」

 かけられた声に応え、ミハエルは急いで立ち上がると、先にリオレイアから離れて、スペースのちょうど反対側にある池の方まで移動するフィオールに続く。

 二人が池を背にリオレイアに向き合うと、()の雌火竜は苛立ちもあらわに、唸り声をあげて彼等を睨みつけていた。

「まだまだ元気みたいだね、アイツ……」

 ミハエルがややげんなり気味に口をつく。

 ダメージは蓄積しているはずなのだが、如何(いかん)せん火竜の体力たるや底が深い。

「まったく、タフなご婦人だな」

 言葉をつなぐフィオールも、ミハエルと同じような表情だ。

 だが、弱音を吐いても仕方がない事である。そう自らに言い聞かせ、二人は巨大な雌火竜と対峙する。

 相対(あいたい)するリオレイアは、予想外に苦戦を強いられるハンター二人を、どう攻めたものかと思案しているようだ。

 おそらく、向こうも同じような事を考えているのだろう。もしかしたら、リオレイアの方も、体力的には結構切羽詰(せっぱつ)まっているのかも知れない。

 そんなことを思案していると、フィオールの脳裏に、一つの(ひらめ)きが走り抜けた。

 ふっ、と。自嘲気味な笑みがフィオールの口元に浮かぶ。

「我ながら、何とも出鱈目(デタラメ)だな」

 思わず口をつく言葉に、隣でミハエルがこちらの様子をうかがうような素振りを見せる気配を感じる。

 危険な上に、リオレイアに蓄積させたダメージが、彼の予想を裏切って低い場合は、逆に自らが絶体絶命の窮地に立つこととなるであろう。

「ディーンの奴の蛮勇(ばんゆう)さが移ったかな。まったく、やれやれだ」

 自嘲のつもりでつぶやいた言葉は、思いの外不敵(ふてき)な響きを持っていた。

「フィオール君……」
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