1節(6)

文字数 4,293文字

「まぁ、いいさ。言いにくいことは無理に言う必要は無い。」

 轟竜の返り血で凄惨な顔のまま困るディーンに、フィオールは笑いながら返す。

 確かに気になる事ではあったが、おかげで助かったのだ。それに、人には言えない、普通の人とは違う自分への悩みならば、形は違えどフィオールにだってある。

「すまないな」

 出会ってから終始自信に満ちあふれていたディーンにしては、以外にも殊勝な言葉に好感をおぼえたフィオールは、苦笑いしながら「かまわん」と返した。

「兎に角、奴から剥ぎ取るべき物を剥ぎ取ったら、早くポッケ村に行こう。大分時間を使ってしまった」

「あいよ」

 ディーンが相づちを打ち、ティガレックスまで歩きだそうとした途端だった。

 突如、ディーンが吐血して崩れ落ちたのだ。

 肩をかりているフィオールも、ともに膝をつく形になったが、そんな事よりディーンの様子に驚いた。

「ディーン!? 大丈夫か!? しっかりしろ!」

 フィオールが心配そうに声をかける。

 ディーンの体は、思い出したかのように激痛が全身を駆け回っていた。

「……平気だ、派手そうに見えるけど、大したことはないから……」

 心配はかけまいと、何とか出た言葉は、逆に今にも死にそうな声であった。

 大したことありまくりのクセに、見え透いた強がりを言うディーン。

「お前、まさかさっき空腹で膝をついた時も……」

 今更ながらに気がついた。あれだけ人間離れした動きだ、体への負荷は想像もできない。普通の人間があんな動きをしようものなら、瞬く間に自滅するはずだ。
 おまけに防御力のないマフモフ装備で轟竜の攻撃を受けたのだ。生きているのがおかしいくらいである。

 自分の浅はかさを悔やむような表情をみせるフィオール。

(たわ)け! そんなにボロボロの状態で無理をするな!」

 語気を荒げるフィオール。
 どうやら彼はとても誠実な男のようだ。

 そんな彼を見て、ディーン申し訳ない気持ちになる。苦手なのだ、人に心配してもらうのは……

 一瞬暗い記憶が脳裏をよぎる。それを無理矢理押しとどめ、ディーンは「バレたか」と冗談めかして言ったが、途端に痛みがぶり返して苦悶の声を上げた。

(ふざけ)るんじゃない! 兎に角、せめて回復薬だけでも飲んでおけ」

 言ってフィオールは荷物の入ったポーチから回復薬を取り出す。ディーンは「悪いな、ありがとう」と、それ受け取った。

「礼には及ばん」

 言われたフィオールは少し照れたように応えるのだった。

「まずは、肉焼き器で狼煙(のろし)を上げて救助を呼ぼう。この天候だったらポッケ村の誰かが見つけてくれるかもしれない」

 ディーンに反対する理由もない。明らかに照れ隠しをするフィオールにニヤニヤしながら頷いて……

 何気なくティガレックスの方に目をやって固まった。

 フィオールもディーンの視線を追った先の光景に言葉を失った。

「何……だと……」

 驚愕に言葉がつまる。

 彼らの目の前で、轟竜ティガレックスが起きあがっていたのだ。

「馬鹿な、あれほどの傷で動ける訳がない」

「確認した訳じゃないが、手応えはあった。確かに、さっき俺が……殺した筈だ」

 フィオールが戦慄する。ディーンも信じられないといった表情である。

 見れば轟竜の頭部は陥没している。つまりは、脳を破壊されているという事。

 たとえそれで生きていたとしても、動けるはずはないのだ。
 だが、轟竜は動いている。

 低く、唸るような音が奴の喉から聞こえる。先程まで爛々と輝いていた目は虚ろで、酷く痙攣しているようだが、確かに轟竜ティガレックスは立ち上がり、2人に再びそのボロボロの牙を向けた。

 そして一歩、また一歩と進み出す。その歩みはすぐに速度を上げて、2人に迫る。

 突進だ。

 あの傷だらけの身体で信じられない動きだが、奴は2人を崖から突き落とすつもりのようだ。

 2人はすぐに轟竜の意図に気付くが、ディーンもフィオールもまともに動ける状態ではなかった。

「ぐっ、くそっ!」

 跳び退こうとしたが痛みで力が入らず、ディーンがうずくまる。

「ディーンっ!?

 とっさにフィオールがディーンを庇い、前に立って無事だった盾を構える。

 しかし、ろくに動ける状態でないのはフィオールとて同じ事だった。

 青白い火花を散らしてトップスピードにのったティガレックスは、盾で防御したフィオールごとディーンを弾き飛ばした。

「ぐあっ!?
「うわっ!?

 弾かれた2人の足下から地面が消失する。

 必死に中空で手を伸ばすが、哀れ2人は崖を掴むことはできず、重力に引きずられて夜の谷に落ちていった。

・・・
・・


 ティガレックスは崖っぷちギリギリで止まり、そのまま、まるで人形にでもなったかのように微動だにしなくなった。

 自らを追い詰めた強敵を、起死回生の一撃で倒したはずなのに何の感動もなく、ただただ佇んでいるだけだった。

 片目だけ残った虚ろな瞳で虚空を眺めながら、そのまま像になってしまったかのように。


……そして。


“それ”はまた唐突に現れた。


クスクス……

 真白(ましろ)いドレスに真白(ましろ)い髪、真白(ましろ)い肌に瞳だけ血のように(あか)い。可憐な少女の姿をした“何か”が、ディーン達が落ちていった谷を、まるで滑稽な道化を見たかのように笑いながらのぞき込んでいた。

 傍らにはティガレックス。それに触れるか触れないかの距離に差し出された右手は淡い光をはなち、時折パチッと火花を散らしす。

『クスクス……油断大敵、ね』

 邪気の全くない笑顔で呟くと、“それ”は発光する右手をまるでタクトのように芝居がかった動作で振り払った。

…ヴ…ン…

 かすかに硬質な音とともに、“それ”の右手から光が消える。

 それと同時にティガレックスが(にわ)かに震え、そのまま崩れ落ちた。

『まさか、あそこまでやるなんて……フフフ、これからが楽しみになってしまうわ』
 笑う“それ”のそばで崩れ落ちた轟竜は、もう二度と動くことはなかった。

『さぁ、はやく私のもとへ這い上がっていらっしゃい。うんと……うんと頑張って強くなって、泥にまみれて血にまみれて死にまみれて、とっても素敵な色に染まったときに、また会いましょう』


……ねぇ、お兄様……


クスクスクス……


 笑い声は、次第に哄笑へと変わっていった。

・・・
・・


 時間を少しだけ戻して、ここはフラヒヤ山脈の(ふもと)

 月明かりに二つの影が、それぞれ双眼鏡を手に山脈を望む小高い丘に立っていた。

 一人は中肉中背の男。防寒の為マフモフ装備に身を包み腰には護身用の短剣替りに、ハンター様の年季の入った剥ぎ取りナイフを差した青年だった。

 極寒のフラヒヤ山脈だが、麓はさほど寒くはないため、青年はフードをかぶっておらず、黒髪を短く刈った逆立つようなクロオビショートの髪型と温厚そうな顔立ちが月明かりに照らし出されていた。

 しかしそんな彼も、今は真剣そのものの表情で、注意深く雪山の状況を覗き込んだ双眼鏡から探っている。

「どうニャ? ニャんか見えたかニャ、ミハエル?」

 もう一つの、ミハエルと呼ばれた青年の腰ほどの高さしかない小さな影が、同じく双眼鏡から目を離さずに口を開いた。

 二本の足で立ってはいるが、その姿も言葉遣いも猫そのもの。アイルーと呼ばれる亜人種である。

 体の前部分、喉元からお腹までが白く、それ以外はネズミ色のアイルーは、彼のサイズに合った小型の双眼鏡を(せわ)しなく動かしている。

「うーん。あまりよくみえないなぁ……ネコチュウは?」

「さっぱりニャ……」

 ネズミ色のアイルー。ネコチュウは、そう彼に応えると、双眼鏡から目を離した。

「ポポの子一匹も見当たらニャいニャ。こいつぁ、いよいよもってヤバいのニャ」

 ネコチュウが不安げにミハエルを見上げる。

 確かに、普段なら昼夜を問わずに様々な生物が見られるあのフラヒヤ山脈において、この様に“何も見あたらない”という状況は異常だ。

「うん。多分、大型の飛竜種か牙獣種が来ているんだ」

 考えたくはないが、或いは飛竜以上の存在たる古龍種が来ている可能性もあり得る。

「マーサが負傷している今のポッケ村じゃ、明らかに戦力不足ニャ」

「ギルドから、新しくハンターを寄越してくれるらしいんだけど…」

 相変わらず双眼鏡ごしに雪山を注視しながら応えるミハエル。

 ネコチュウの言うとおり、以前から村に駐留していたハンターは、しばらく前に轟竜ティガレックスに不覚をとって負傷していて、とても狩りなどできないだろう。

 それ以外のハンターがいないわけではないが、何人かで中型の鳥竜種を狩り、日々の酒代を稼いでいる程度。お世辞にも頼りになるとは言い難い。

「大ピンチニャ…」

 ネコチュウがミハエルの気持ちをを代弁して呟いた。

「とにかく、やって来たのが何なのかを確認しないと」

 と、気を取り直し、ミハエルは雪山へ意識を戻した。

 それにしても、なんとタイミングの悪い。ギルドからのハンターが村に着くのは、予定ならば今日か明日のはず。そんな時にこんな事になるなんて……

「あれ?」

 ミハエルが思わず愚痴を言いそうになった時であった。
覗き込んだ双眼鏡の視界の端、この丘からそう離れていない場所で動く影があるのを見つけたミハエルは、思わず()頓狂(とんきょう)な声を出してしまった。

 急いで倍率を調整して確認すると、足をもつれさせながら走る人影であることがわかった。

「どうしたニャ?」

「人だ。多分、女の人。こっちに走って来るみたいだ」

 ネコチュウが慌てて双眼鏡を覗き込む。

 暗くてわかりずらいが、満月の月明かりに照らされて走る女性向けデザインのマフモフ姿が見て取れた。

 いた。間違いない、確かに人だ。

「ネコチュウ!」

「にゃんぷしっ!」

 ミハエルの声に敬礼の真似事でネコチュウが応え、一人と一匹は走り来る人影、ディーン達に逃がされ、単独で先に山を降りてきたエレンのもとへと走り出した。


…to be continued.
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