1節(3)
文字数 5,349文字
「ホントっ!? 良かった~。じゃあ、ちょっとだけ待ってね。このメラルーをギルドにしょっぴいてから……」
ミハエルの口から前向きな返答をもらったことに、殊 の外 喜んだ表情を見せながら言うリコリスであったが、まずは街中で盗みを働いたメラルーをハンターズギルドに突きだそうと、先程ノックアウトしたメラルーに意識を向けようとした。
だがそれは、「あニョ~ぉ」と控えめに発言したネコチュウによって遮られることとなる。
いや、正しい方へと意識をむき直されたと言った方が良いだろうか。
「そのメラルーニャんだけど、もう逃げられちゃったのニャ……」
そう言うネコチュウも、今さっき気がついた様子である。
いつの間に。
誰もがそう顔に書いた様な表情で辺りを見回せば、メインストリートの先の方に、すたこらさっさと逃げ去ってゆくメラルーの姿。
「ああ~~ッッ!?」
それをみたリコリスが大声を上げる。
ミハエル達と話している内に、まんまと逃がしてしまったのだ。
彼女の表情には、如何にも悔しそうな色が見て取れた。
「くっそぅ、油断した~。みすみす逃がしちゃうなんて~」
「ま、まぁまぁ。盗られた物も取り返せたし、僕達は気にしないから」
「そうニャよ。オイラも大丈夫ニャ」
歯ぎしりせんばかりのリコリスに、ミハエルもネコチュウも、諭すように声をかける。
正義感というか、責任感というか、そう言ったものが強い娘なのであろう。
「ダメだよっ!」
消極的な意見を述べる二人に、ビシッと言い切るリコリス。
「人の物を盗むのはは悪いことなんだから、ちゃんと反省させなきゃ!」
荒い語気で言うリコリスであったが、メラルーの姿は既に人混みの中に消えてしまった後である。
リコリスはなおも悔しそうに腕を組んで、メラルーの消えた先を睨みつけていたが、今から追いかけたところで徒労に終わるのが目に見えていたため、いかにも渋々と言った表情でミハエル達に向き直った。
「しょうがない。今回は見逃してあげる事にする。キミ達も、今後は気を付けるようにね」
逃がしたことが余程悔しかったのだろう。
ミハエルとネコチュウは、彼女の怒りの矛先が自分達に向かないよう、一にも二にもなく頷くのであった。
「じゃあ、ちょっと脱線しちゃったけども、詳しい話をさせてもらうね。どうかな? 立ち話もナンだし、ウチの相方とキミ達のお仲間も混ぜて、どこか座れる場所でって言うのは」
少し落ち着きを取り戻したリコリスが、気を取り直して言う。
「そうだね。どちらにしても、僕とネコチュウだけの判断では決めかねるから、そうしてくれた方が良いかな」
ミハエルにしても、奪還に協力してくれた彼女に協力してあげかったので、ちょうどよかった。
「ニャら、急いでギルドに戻らニャいと。フィオールが戻りの竜車を手配しちゃってると思うのニャ」
どうやらネコチュウも、リコリスに協力する気になっているらしい。
「わかった。じゃあ、ウチも一緒に行くよ。ギルドに行けば、ウチの相方にも連絡が付くと思うしね」
そうと決まれば話は早かった。
ミハエルとネコチュウは、出会ったばかりのリコリスを伴って、元来た道を戻ってハンターズギルドのある、中央広場へと向かうのだった。
リコリスはもちろん、ミハエル達も貴重な出会いと胸を踊らせていた。
だが、よもやこの出会いが、今後の大騒動の引き金であるとは、今この場の誰にも想像できるはずもなかった。
・・・
・・
・
一方そのころ、当の中央広場にて、数々の大道芸人の見せる曲芸に、ディーンとエレンの二人は、感嘆の声を上げていた。
「おおーっ!? すっげー!」
「びっくりです。あの人、短剣を丸飲みしちゃいましたよ!? 大丈夫なんでしょうか……」
二人とも、目の前で繰り広げられる曲芸に、目を丸くしている。
今彼らの目の前では、恰幅 の良い男が、自慢の口上で観客を沸かせた後に、右手に持った短剣を、ゴクリと丸飲みにしてしまったところであった。
大男の喉が、異物を嚥下 すると同時に、彼の後ろでステアドラムを首から下げたもう一人の男が、派手な音を立てて演出を盛り上げる。
それにつられて巻き起こる拍手に、ディーンもエレンもなんの躊躇もなく便乗するのだった。
「凄かったですねディーンさん。私、あの様な芸当は初めて見ました」
拍手の中、大仰 にお辞儀をする大男の前に置かれたケースの中に、見物料 を投入してから、エレンは少し離れた場所で待つディーンに声をかける。
「ああ、俺も驚いたぜ。あのおっさんの胃袋、大丈夫なんかね?」
応答するディーンが、先の大道芸人の方に目を向ければ、そこには今度は違う芸人が現れ、両手に持ったボールでジャグリングを披露している。
フィオール達と別れた後、ディーンとエレンの二人は、ギルドに面したこの広場において、様々な大道芸を堪能していた。
他にも火を吹く男や、異常なほど軟体な女、コミカルな道化師 に華麗な踊子 と、かなりの面積を有するこのレクサーラ中央広場には、様々な見世物が展開されていた。
呟くディーンの視線につられて、ジャグリング男の方に目を向けるエレンであったが、流石に見物にも疲れてきたのか、それ以上は見続けようとはしなかった。
「さて、この後はどうしようか。エレン、何か見ておきたい物とかあるか?」
「いえ、私はもう充分楽しめました。ディーンさんこそ、何か行きたいところは無いんですか?」
二人してそんなことを聞きあうのだが、如何せん田舎者と世間知らずのコンビである。
特に何することも思い浮かばず、手持ち無沙汰になってしまった。
この広場で展開している大道芸は、もうあらかた見て回ったし、それに、もうそろそろ夕暮れ時だ。
殆どの芸人が各自の舞台のトリに入っているようで、中には既に帰り支度をしている者までいる。
フィオールの話では、この後の時間、中央広場には大道芸人に代わり、吟遊詩人や路上の音楽家 などが活動をし始めるらしい。
まぁ、それらの唄 や旋律に耳を傾けるのも、一興ではある。
「そんじゃあ、ここでもうしばらく時間を潰そうか。夕方からは吟遊詩人なんかが来るらしいし、退屈はしないだろ」
エレンもなんとなくそう思っていたのだろう。提案するディーンの意見に、なんの反論もなく「そうですね。そうしましょう」と言って頷いた。
「諒解だ。じゃ、あっちのベンチで休んでてくれよ」
そう言ってディーンは、街の中心のこの広場のさらに中心部にある、豊富なオアシスの水源から引かれた大きな噴水の周りに点在するベンチを指差した。
「俺、向こうの露店で飲み物買ってくるから」
「そんな、悪いですよ。私が行ってきます」
「いいからいいから。俺が行ってくるよ。お前もクエストから戻ってきたばっかしなんだし、休んどけって」
遠慮するエレンを、半ば強引に諭すディーン。
それを言うならディーンの方だって、クエストから帰ってきたばかりなのは変わらない。
更に言うのであれば、遠距離武器を扱うガンナーと呼ばれる立ち位置にいる自分とは違い、剣士の総称で区分される近接武器で戦うディーン達の方が、その身にのしかかる疲労が多いはずなのだ。
何せ、巨大且つ凶暴なモンスターとの戦いの最前線に立つのである。
そのプレッシャー、その労力、その危険は、想像を絶するものだ。
エレンの顔には、先のような考えが表に出ていたのであろう。
そんなエレンにニィっと笑って見せるディーン。
「大丈夫だって、おまえに心配されるほどヤワじゃねぇよ。第一、こう言う時は男が飲み物の一つも買ってくるモンらしいぜ」
フィオールのヤツが言うにはな。と続けて、エレンの肩をポンとひと叩き。
流石にここまで言われてしまっては、遠慮し続けるのも失礼であろう。
「わかりました。ありがとうございます、ディーンさん」
観念する形となったエレンは、そう言ってぺこりとディーンに頭を下げる。
「別に大した事する訳じゃないぜ。そんな最敬礼しなくてもいいって」
笑いながらそう言うディーンは、「何が良い?」とエレンに問いかけた。
「私は……」
問われたエレンは、若干言いよどむような素振りを見せて俯いたが、すぐさま顔を上げて、何やら強い決心の元に声に出した。
「私、ディーンさんと同じもので!」
「…………水だけど、いいのか?」
胸一杯に吸い込んだ息を吐き出すかのごとく力説する内容にしては、えらく消極的なリクエストだったので、正直面食らってしまったディーンであった。
「はい。それがいいです!」
念の為聞き返すが、当のエレンの応えは変わらなかった。
…ん~。まぁ、偶々飲みたかった物が重なったのかもしんないな。
「諒解。んじゃ、ちょいと行ってくらぁ」
そう考えをまとめたディーンは、ピッとエレンに右手を振り上げて見せると、少し離れた場所に見かけた飲料水を売る露天商の下へと走って行くのであった。
・・・
・・
・
「……うつけ者です、私……」
はうぅぅぅぅ~……
と、重苦しいため息を吐き出したエレンは、あっと言う間に走り去ったディーンを見送った直度から、ものの見事にがっくりとうなだれてしまっていた。
…なんでもう少し気の利いたことを言えないのだろう。ディーンさんもおかしな者を見るような顔をしていました。
「変な娘と思われたかもしれません……」
口に出してつぶやくと、余計に泣きたくなってきたので、エレンはとりあえず、ディーンの指差したベンチで待つことにした。
とぼとぼとベンチへと近づき、それに腰掛けると、再び無意識にどんよりとしたため息が出てしまって、エレンの気分を更に落ち込ませるのであった。
狩りの時をはじめ、さんざんディーン達に助けられてきたエレンである。
最近はネコチュウに習いつつ、家事などをこなして恩返ししているのだが、今の様に、いざ外にでると、いつもディーンにリードしてもらっている。
特に、ディーンは自分がハンターになるきっかけをくれた人物である。
そんな彼に、ほんの少しでも良いから、恩返しがしたい。
そう思って、この三、四ヶ月頑張ってきたのだが、いざ今回のように二人きりになれば、空回りしてばかりの自分がいる。
…はう。
再びエレンの小さな唇から、景気の悪いため息がこぼれ落ちた。
実際のところは、狩りでも私生活でも、かなりエレンがもたらす役割は大きいので、充分以上に恩は返せているのだが、生真面目なエレンはそれでは納得できないのであろう。
まぁ、ぶっちゃけてしまえば、狩り……否、もっと限定して、戦闘以外において、ディーンははっきり言って役に立たない。
朝は寝坊するし、家事全般はてんで駄目。
特に、整理整頓、掃除の概念に関しては絶望的である。
ディーン達と共に生活し始めたばかりの頃、家事を覚えたてのエレンがもっとも手を焼いた仕事が、ディーンの部屋の掃除であった。
たったの一週間でも、彼の部屋の掃除をしないでおくと、その“たった”一週間で途方もない散らかりようとなるのだ。
最早、滅亡的と言った方がしっくりくるくらいである。
むしろ散らかす方にこそ才覚を感じるくらいだ。
洗い場に立てば皿を割るし、洗濯させれば服を破く。
正直言って、エレンとネコチュウが居なければ、ディーンは文化的で健全な、最低限の生活をおくれていなかったであろう。
断言できる。
だがそれでも、エレンはもっと彼の助けとなりたかった。
「ままならないです……」
うなだれたエレンの口から、そんな声が漏れる。
自分でもわかるほど、ネガティブ思考に陥っている。
そう言えば、以前ディーン達にも『お前は悪い方に考え出すと止まらなくなる』と指摘されていた。
まさしく今がその時であろう。
わかってはいるが、そう簡単に止まるものではない。自分の心の中こそ、尚更だ。
…はうぅぅ……
何度目になるかわからぬため息がこぼれる。
きっと今の自分は、だいぶ景気の悪い顔をしているに違いないと、エレンは自嘲気味にそう考えた。
実際のところ、真剣に悩むエレンの表情は、愁 いを帯びていてとても絵になっているのだが、それは本人にはわかり得ぬ話。
しかして、そんなエレンの悩みであったが、思わぬところで中断を余儀なくされることと相成った。
「よう、お嬢ちゃん。何をため息なんぞついてんだい?」
頭上から不躾 にかかる、野太い声。
「何だったら、俺達が相談に乗ってやるぜぇ」
ミハエルの口から前向きな返答をもらったことに、
だがそれは、「あニョ~ぉ」と控えめに発言したネコチュウによって遮られることとなる。
いや、正しい方へと意識をむき直されたと言った方が良いだろうか。
「そのメラルーニャんだけど、もう逃げられちゃったのニャ……」
そう言うネコチュウも、今さっき気がついた様子である。
いつの間に。
誰もがそう顔に書いた様な表情で辺りを見回せば、メインストリートの先の方に、すたこらさっさと逃げ去ってゆくメラルーの姿。
「ああ~~ッッ!?」
それをみたリコリスが大声を上げる。
ミハエル達と話している内に、まんまと逃がしてしまったのだ。
彼女の表情には、如何にも悔しそうな色が見て取れた。
「くっそぅ、油断した~。みすみす逃がしちゃうなんて~」
「ま、まぁまぁ。盗られた物も取り返せたし、僕達は気にしないから」
「そうニャよ。オイラも大丈夫ニャ」
歯ぎしりせんばかりのリコリスに、ミハエルもネコチュウも、諭すように声をかける。
正義感というか、責任感というか、そう言ったものが強い娘なのであろう。
「ダメだよっ!」
消極的な意見を述べる二人に、ビシッと言い切るリコリス。
「人の物を盗むのはは悪いことなんだから、ちゃんと反省させなきゃ!」
荒い語気で言うリコリスであったが、メラルーの姿は既に人混みの中に消えてしまった後である。
リコリスはなおも悔しそうに腕を組んで、メラルーの消えた先を睨みつけていたが、今から追いかけたところで徒労に終わるのが目に見えていたため、いかにも渋々と言った表情でミハエル達に向き直った。
「しょうがない。今回は見逃してあげる事にする。キミ達も、今後は気を付けるようにね」
逃がしたことが余程悔しかったのだろう。
ミハエルとネコチュウは、彼女の怒りの矛先が自分達に向かないよう、一にも二にもなく頷くのであった。
「じゃあ、ちょっと脱線しちゃったけども、詳しい話をさせてもらうね。どうかな? 立ち話もナンだし、ウチの相方とキミ達のお仲間も混ぜて、どこか座れる場所でって言うのは」
少し落ち着きを取り戻したリコリスが、気を取り直して言う。
「そうだね。どちらにしても、僕とネコチュウだけの判断では決めかねるから、そうしてくれた方が良いかな」
ミハエルにしても、奪還に協力してくれた彼女に協力してあげかったので、ちょうどよかった。
「ニャら、急いでギルドに戻らニャいと。フィオールが戻りの竜車を手配しちゃってると思うのニャ」
どうやらネコチュウも、リコリスに協力する気になっているらしい。
「わかった。じゃあ、ウチも一緒に行くよ。ギルドに行けば、ウチの相方にも連絡が付くと思うしね」
そうと決まれば話は早かった。
ミハエルとネコチュウは、出会ったばかりのリコリスを伴って、元来た道を戻ってハンターズギルドのある、中央広場へと向かうのだった。
リコリスはもちろん、ミハエル達も貴重な出会いと胸を踊らせていた。
だが、よもやこの出会いが、今後の大騒動の引き金であるとは、今この場の誰にも想像できるはずもなかった。
・・・
・・
・
一方そのころ、当の中央広場にて、数々の大道芸人の見せる曲芸に、ディーンとエレンの二人は、感嘆の声を上げていた。
「おおーっ!? すっげー!」
「びっくりです。あの人、短剣を丸飲みしちゃいましたよ!? 大丈夫なんでしょうか……」
二人とも、目の前で繰り広げられる曲芸に、目を丸くしている。
今彼らの目の前では、
大男の喉が、異物を
それにつられて巻き起こる拍手に、ディーンもエレンもなんの躊躇もなく便乗するのだった。
「凄かったですねディーンさん。私、あの様な芸当は初めて見ました」
拍手の中、
「ああ、俺も驚いたぜ。あのおっさんの胃袋、大丈夫なんかね?」
応答するディーンが、先の大道芸人の方に目を向ければ、そこには今度は違う芸人が現れ、両手に持ったボールでジャグリングを披露している。
フィオール達と別れた後、ディーンとエレンの二人は、ギルドに面したこの広場において、様々な大道芸を堪能していた。
他にも火を吹く男や、異常なほど軟体な女、コミカルな
呟くディーンの視線につられて、ジャグリング男の方に目を向けるエレンであったが、流石に見物にも疲れてきたのか、それ以上は見続けようとはしなかった。
「さて、この後はどうしようか。エレン、何か見ておきたい物とかあるか?」
「いえ、私はもう充分楽しめました。ディーンさんこそ、何か行きたいところは無いんですか?」
二人してそんなことを聞きあうのだが、如何せん田舎者と世間知らずのコンビである。
特に何することも思い浮かばず、手持ち無沙汰になってしまった。
この広場で展開している大道芸は、もうあらかた見て回ったし、それに、もうそろそろ夕暮れ時だ。
殆どの芸人が各自の舞台のトリに入っているようで、中には既に帰り支度をしている者までいる。
フィオールの話では、この後の時間、中央広場には大道芸人に代わり、吟遊詩人や路上の
まぁ、それらの
「そんじゃあ、ここでもうしばらく時間を潰そうか。夕方からは吟遊詩人なんかが来るらしいし、退屈はしないだろ」
エレンもなんとなくそう思っていたのだろう。提案するディーンの意見に、なんの反論もなく「そうですね。そうしましょう」と言って頷いた。
「諒解だ。じゃ、あっちのベンチで休んでてくれよ」
そう言ってディーンは、街の中心のこの広場のさらに中心部にある、豊富なオアシスの水源から引かれた大きな噴水の周りに点在するベンチを指差した。
「俺、向こうの露店で飲み物買ってくるから」
「そんな、悪いですよ。私が行ってきます」
「いいからいいから。俺が行ってくるよ。お前もクエストから戻ってきたばっかしなんだし、休んどけって」
遠慮するエレンを、半ば強引に諭すディーン。
それを言うならディーンの方だって、クエストから帰ってきたばかりなのは変わらない。
更に言うのであれば、遠距離武器を扱うガンナーと呼ばれる立ち位置にいる自分とは違い、剣士の総称で区分される近接武器で戦うディーン達の方が、その身にのしかかる疲労が多いはずなのだ。
何せ、巨大且つ凶暴なモンスターとの戦いの最前線に立つのである。
そのプレッシャー、その労力、その危険は、想像を絶するものだ。
エレンの顔には、先のような考えが表に出ていたのであろう。
そんなエレンにニィっと笑って見せるディーン。
「大丈夫だって、おまえに心配されるほどヤワじゃねぇよ。第一、こう言う時は男が飲み物の一つも買ってくるモンらしいぜ」
フィオールのヤツが言うにはな。と続けて、エレンの肩をポンとひと叩き。
流石にここまで言われてしまっては、遠慮し続けるのも失礼であろう。
「わかりました。ありがとうございます、ディーンさん」
観念する形となったエレンは、そう言ってぺこりとディーンに頭を下げる。
「別に大した事する訳じゃないぜ。そんな最敬礼しなくてもいいって」
笑いながらそう言うディーンは、「何が良い?」とエレンに問いかけた。
「私は……」
問われたエレンは、若干言いよどむような素振りを見せて俯いたが、すぐさま顔を上げて、何やら強い決心の元に声に出した。
「私、ディーンさんと同じもので!」
「…………水だけど、いいのか?」
胸一杯に吸い込んだ息を吐き出すかのごとく力説する内容にしては、えらく消極的なリクエストだったので、正直面食らってしまったディーンであった。
「はい。それがいいです!」
念の為聞き返すが、当のエレンの応えは変わらなかった。
…ん~。まぁ、偶々飲みたかった物が重なったのかもしんないな。
「諒解。んじゃ、ちょいと行ってくらぁ」
そう考えをまとめたディーンは、ピッとエレンに右手を振り上げて見せると、少し離れた場所に見かけた飲料水を売る露天商の下へと走って行くのであった。
・・・
・・
・
「……うつけ者です、私……」
はうぅぅぅぅ~……
と、重苦しいため息を吐き出したエレンは、あっと言う間に走り去ったディーンを見送った直度から、ものの見事にがっくりとうなだれてしまっていた。
…なんでもう少し気の利いたことを言えないのだろう。ディーンさんもおかしな者を見るような顔をしていました。
「変な娘と思われたかもしれません……」
口に出してつぶやくと、余計に泣きたくなってきたので、エレンはとりあえず、ディーンの指差したベンチで待つことにした。
とぼとぼとベンチへと近づき、それに腰掛けると、再び無意識にどんよりとしたため息が出てしまって、エレンの気分を更に落ち込ませるのであった。
狩りの時をはじめ、さんざんディーン達に助けられてきたエレンである。
最近はネコチュウに習いつつ、家事などをこなして恩返ししているのだが、今の様に、いざ外にでると、いつもディーンにリードしてもらっている。
特に、ディーンは自分がハンターになるきっかけをくれた人物である。
そんな彼に、ほんの少しでも良いから、恩返しがしたい。
そう思って、この三、四ヶ月頑張ってきたのだが、いざ今回のように二人きりになれば、空回りしてばかりの自分がいる。
…はう。
再びエレンの小さな唇から、景気の悪いため息がこぼれ落ちた。
実際のところは、狩りでも私生活でも、かなりエレンがもたらす役割は大きいので、充分以上に恩は返せているのだが、生真面目なエレンはそれでは納得できないのであろう。
まぁ、ぶっちゃけてしまえば、狩り……否、もっと限定して、戦闘以外において、ディーンははっきり言って役に立たない。
朝は寝坊するし、家事全般はてんで駄目。
特に、整理整頓、掃除の概念に関しては絶望的である。
ディーン達と共に生活し始めたばかりの頃、家事を覚えたてのエレンがもっとも手を焼いた仕事が、ディーンの部屋の掃除であった。
たったの一週間でも、彼の部屋の掃除をしないでおくと、その“たった”一週間で途方もない散らかりようとなるのだ。
最早、滅亡的と言った方がしっくりくるくらいである。
むしろ散らかす方にこそ才覚を感じるくらいだ。
洗い場に立てば皿を割るし、洗濯させれば服を破く。
正直言って、エレンとネコチュウが居なければ、ディーンは文化的で健全な、最低限の生活をおくれていなかったであろう。
断言できる。
だがそれでも、エレンはもっと彼の助けとなりたかった。
「ままならないです……」
うなだれたエレンの口から、そんな声が漏れる。
自分でもわかるほど、ネガティブ思考に陥っている。
そう言えば、以前ディーン達にも『お前は悪い方に考え出すと止まらなくなる』と指摘されていた。
まさしく今がその時であろう。
わかってはいるが、そう簡単に止まるものではない。自分の心の中こそ、尚更だ。
…はうぅぅ……
何度目になるかわからぬため息がこぼれる。
きっと今の自分は、だいぶ景気の悪い顔をしているに違いないと、エレンは自嘲気味にそう考えた。
実際のところ、真剣に悩むエレンの表情は、
しかして、そんなエレンの悩みであったが、思わぬところで中断を余儀なくされることと相成った。
「よう、お嬢ちゃん。何をため息なんぞついてんだい?」
頭上から
「何だったら、俺達が相談に乗ってやるぜぇ」