序節

文字数 4,783文字

 幼すぎていつの頃かわからないが、物心ついてからの最も古く鮮烈な記憶。

 恐らくは、これが自分にとって原初の記憶であろう。

 その記憶があまりに強いためだろうか、それ以前の事は、よく思い出せない。




 地獄絵図だった。




 家々は薙ぎ倒され、所々火の手があがり、逃げようとしたヒトも、挑もうとしたヒトも、そのどちらもできなかったヒトも、動き回るものはそのほとんどが『アイツ』に蹂躙(じゅうりん)された。

 大抵のものが動かなくなり、ついに『アイツ』は幼い俺の存在に気づく。

 そして嘲笑(わら)った。

 人外の目が、牙のはえそろった口が、「最後の獲物はお前だ」と嘲笑(わら)った。

 大気すら、幼子の自分にはこの世の全てすら揺るがすかのように、その(あぎと)が迫る。
 漆黒の巨躯を巨大な翼で重力から解き放ち、獲物(こっち)へと滑空するその姿は、まさしく悪夢。

 怪物(モンスター)そのものだった。

 逃げ惑う村のヒト達、そして数秒前まで手をつないでくれていたオカアサンのように、自分も『アイツ』のゴハンになるのだろうと、未だに恐怖すら自覚できなかった俺は、ただ悔しさだけを噛み締めた……


 ザギンッッ!!



 一瞬の出来事だった。

 視界の全てを覆い尽くすほどに間近に迫っていた『アイツ』が、突然目の前から消えた。

 否、俺に喰らいつく直前に横から来た何かに“ぶっ飛ばされた”のだ。

 様々なものをなぎ倒しながら、ようやく止まった『アイツ』の胸部には、右肩から腹部にまで一直線に走る大きな傷が作られていた。

 グルルル……

 悔しそうに唸りながら起き上がり、『アイツ』は自分に傷を付けた相手を睨みつける。
 その視線に導かれるように、幼い俺も自らの救い主の姿を見た。

「ヒトの……龍……?」

 無意識にそんな言葉がこぼれた。

 そこに立っていたのは、まさしくヒトのカタチをした龍のようだった。

 全身を白い龍を模した鎧で覆い、兜には顔の両側から突き出た角と脳天から背中にかけて立派な白い(たてがみ)

 右手には俺を救った身の丈程もある大太刀を携え、兜の奥の瞳は自ら斬り伏せた『アイツ』を見据えて。

 まさしく、白い龍の騎士がそこに立っていた。

 ジッと視線を交わす両者。

 だが、白騎士と『アイツ』の睨み合いは、ものの一分と続かなかった。

 『アイツ』は苦しそうに一度吠えると、巨大な翼を羽ばたかせたからだ。

…逃げる……『アイツ』が……

 そう思うと途端に今まで凍りついていた怒り、悔しさといった感情が蘇ってきた。

…『アイツ』を逃がしちゃいけない。

 カタキを討たなきゃ、母を、友を、村の人々の変わりに、俺が……

 突然、そんな俺の肩に触れる手があった。

 驚いて振り返ると、いつの間にか自分の後ろにもう一人立っていた。

 深紅の外套で全身を包み込み、フードを目深に被っていて顔はよく見えないが、おそらくは男。

 白騎士の仲間だろうか、赤衣の男は俺の感情を察してくれたのだろう、諭すように首を振った。

 その間に『アイツ』はその漆黒の体を空高く舞い上がらせていた。

 俺と『アイツ』の目が合う。数秒のはずだが、とても長い時間のように感じた。

 やがて『アイツ』はその身を翻し、飛び去っていった。

 『アイツ』の飛び去った方向を凝視していた俺の肩を、赤衣の男がポンポンと叩いた。

 白騎士が俺のそばに来ていたのだ。

 赤衣の男は俺が彼に気がついた事を確認すると白騎士の後ろへ(うやうや)しく回ると、まるで王を前にするかの如く(こうべ)をたれる。

 赤衣の男を従えた白騎士は、小さい俺を怖がらせぬ様気遣ってか、俺と視線の高さを合わせるように膝をつき、兜を脱いで素顔をさらしてくれた。

 黒髪黒瞳、幼いながらも秀麗(しゅうれい)な容姿だと思える顔は、どこか懐かしい感じがしたのを、今でも鮮明に思い出せる。

 白騎士は俺と同じ黒い色の瞳に深い悲しみを讃えて、その身に(まと)う鎧の棘が俺を傷つけないように、そっと俺を抱き締めて、こう言った。

「遅くなってすまなかった……」と。

 その時、凍り付いていた最後の感情、『悲しみ』がようやく溶け出して、俺はやっと母や友達の死に対して、涙を流すことが出来たのだった。

 白騎士の後ろでは、赤衣(せきい)の男がただ黙って静かに黙祷を、死した村に捧げていた……


 それは、12年前のある日の出来事。
 俺。ディーン・シュバルツは、きっとこの日死に……そしてこの日、生まれたんだと思う。




 そう……これが俺の……





 ……原初の記憶……








 奇談モンスターハンター



 第一章 “集う魂”








「……ィーン!……ディーン!」

「んあ?」

 ゴトゴトと揺れる荷馬車の上、うたた寝していたらしい。

 先頭で手綱(たずな)を握る男の声に、ヒドく間抜けな声を出してしまったと、返事をしたあとにディーンは少しだけ後悔した。

「ガハハ。よく眠れたかいディーン。我が家に代々伝わるトラッド号は、まるで母の手の中のような乗り心地だったようだな」

 豪快に笑いながら皮肉を言うのは、この男、トラッドの愛すべき短所(ところ)ではある。

 だが、わざわざ自分のために、ポポという小型のマンモスを思わせる草食獣が引っ張る、村で一台しかない荷馬車(この場合は荷ポ車とでもいうのだろうか)を出してくれたのに、ひとりでぐぅぐぅ寝ていた手前、いつものように軽口を返せない。

「ちぇ、勘弁してくれよトラッドさん。結局昨日は眠れなくてさ」

「何だぁ?お前にしちゃ随分と可愛らしいじゃないか。ま、お前にとっちゃ一人立ちするはれの日だ。緊張だってするさ!」

 言ってトラッドはまたガハハと笑う。大柄な見た目に違わず、豪快な性格の彼らしい仕草である。

 そう言う彼に「そんな大層なモンじゃねぇよ」と、照れ笑いしながらディーンは返す。

 幼い頃、生まれ育った村を黒い龍に襲われ、ただ一人生き残ったディーンは、その後隣村に保護され、18歳になるまでその村の村長に育てられた。

 村人達は皆、孤児のディーンを迎え入れてくれたし、ディーンもそんな村の人々に感謝している。

 だが、記憶に鮮明に残るあの騎士のように、自分も巨大な飛竜を相手に戦う生き方を選ぶと心に決めていた。

「しかし、『俺はハンターになる!』って村長に啖呵(たんか)切った時は驚いたぜ」

「そんなに意外だったか?」

 さっきまで寝転がっていた荷台から、器用に荷馬車の先頭にある座席へと移りながら聞き返しつつ、ディーンは当時の事を思い出していた。


「ばぁさま。俺はハンターになる!」


 月に一度、村人達の代表者が集まって行う寄合の席に突然押しかけて、開口早々とんでもない事を言い出したディーンに対して、“ばぁさま”と呼ばれた竜人族の村長は、「遂に来たか」と、いつも通り落ち着いた静かな物腰で応えた。

 流石に孤児の自分を家に迎え入れ、ここまで育ててくれた人物である。どうやら感づかれていたらしい。

 もっとも、それ以外の人達はまさに青天の霹靂(へきれき)といった感じではあったが。

「聞くまでもないだろうが、覚悟は出来てるんだろうね?」

「応える必要なんてあるのかい?」

 竜人族の老村長を見つめ返す瞳には、既に決心(それ)を物語っていた。

 ディーンと村長はしばらく視線だけで会話をしているようだったと、ディーンはトラッドから後に聞いた。

 黒瞳は強い意志を湛え、都会では火竜リオレウスの名を模した、レウスレイヤースタイルに切られた黒髪、引き締まった身体には活力が満ちている。

 鋭さと力強さを兼ねた青年に成長したディーンを眩しく思いながら、村長は一言「行っといで」と、まだ若い『息子』の巣立ちを許したのだった。

・・・
・・


「意外というか、考えもせんかったよ」

 再び荷馬車の上、自分の隣に移ってきたディーンに少しスペースを譲りながらトラッドはほんの少し、寂しそうだった。

 ディーンも胸が痛むが、もう決めた事だ。

「黙ってて悪かったよ。ま、ハンターで一山当てて、村にがっぽり仕送りするから、期待しててくれよ」

 あえて明るく振る舞うと「調子に乗るな」と小突かれたが、そんな彼との時間もあと少しと思うと、ディーンもやはり寂しかった。

 もう少し、他愛のない会話を楽しもう。
 これからしばらく出来なくなるのだから……

 それが、今の2人の共通した気持ちだった。



 そして、そんな時間にも、遂に終わりがやって来る。

「……ここまででいいよ。ありがとうトラッドさん」

 のどかな森と丘を抜け、山を一つ越えた所。遥か先に見えるフラヒヤ山脈には万年雪が見え、気温も大分涼しくなっていた。

 村を出発したのが一昨日の早朝、丸々2日かけて、ようやく目的地まであと半日といったところだ。

 ここから先にあるフラヒヤ山脈を越えると、目指す『ポッケ村』に到着するのだが、その雪山には肉食で凶暴な小型の鳥竜種(ちょうりゅうしゅ)と呼ばれる恐竜の様な外見をしたギアノスが多数生息している。

 さらには辺境と呼ばれるこの広大な大地に君臨する、(ドラゴン)と呼ばれ恐れられる飛竜種(ひりゅうしゅ)や、人の身の丈を軽く凌駕(りょうが)する大型の獣、牙獣種(がじゅうしゅ)遭遇(そうぐう)する可能性もあるだ。

 小型のマンモスの様な外見をしているとは言え、象に毛が生えた様なモノであるポポの荷馬車では、格好の標的になってしまう。

「そうか、寂しくなるが、頑張るんだぞ。死ぬんじゃないぞ!」

「あぁ!ここまでありがとうトラッドさん。帰り道気をつけて!」

 荷馬車から降りて別れの挨拶と共に抱擁(ほうよう)を交わして、トラッドは来た道を引き返すべく荷馬車のポポに鞭を入れた。

「じゃあな!元気で」

「あぁ、行ってきます!」

 そして、それぞれの道を歩みだす。

 トラッドは今の生活へ、ディーンは新しき道へ。
後ろ髪は引かれるが、振り返らず、ただ前を見据えてディーンは進む。

「さぁ、行きますか!」

 声に出すと、自然と元気が出た気がした。

 道中に着込んだ防寒効果の高いマフモフシリーズに、棒状の骨を削って太刀に見立てた武器を背負い、ハンターとしての第一歩を踏み出すのだ。

 ばぁさまにしたためてもらった、ポッケ村の村長への紹介状もある。

 何事もやってみないと始まらない。不安もあるが、自信もある。

…後は、進むのみ!

 自らの魂に言い聞かせるように、誓いを新たにして、青年は進み続けるのだ。
 この先の未来に待つ、大いなる宿命に向かって。

 歩みの先、フラヒヤ山脈には、怪しい雲が立ちこめていた……



 狩人(ハンター)と呼ばれるモノ達がいる。

 身の丈程もある巨大な武器を背負い、(おのれ)を遥かに凌駕(りょうが)する巨躯(きょく)を誇る怪物(モンスター)を狩るモノ達。

 ある者は誇るため。

 ある者は守るため。

 命を賭して竜に獣に挑みかかる。

 人々が本土と呼ぶ一部の限られた地域の者たちは、畏怖(いふ)畏敬(いけい)の念を込めてそのモノ達を、いつしかこう呼ぶようになった。


 モンスターハンター


 この物語は、そのモンスターハンター達の物語である。
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