4節(11)

文字数 5,340文字

 実際は、ちょっとした衝撃ですぐに飛竜は目を覚ましてしまい、弛緩(しかん)
した筋肉も瞬く間に緊張してしまう為、実質効果があるのは最初の衝撃のみであるが、そのダメージは実に、通常の三倍にも及ぶという。

 この作戦の本懐。
 つまりは、先のエリアでフィオールとミハエルが、二人がかりでリオレイアに睡眠による回復を余儀なくさせるだけのダメージを与え、そして巣へと戻ってきたリオレイアが眠った瞬間を狙い、待機していたエレン達が大タル爆弾を起爆させてとどめを刺すという事であった。

 そしてその作戦は、今まさにエレンが引き金を引くことによって完遂されんとしていた。

 エレンは、スコープ越しに大タル爆弾に照準を合わせる。

 ハンターになったばかりの頃とは違い、今はこの引き金を引くことに躊躇(ちゅうちょ)はない。

 生きる為死なぬ為、そして食う為に、狩り、殺す。

 それがハンターであり、それがこの辺境で生きる者の(さが)である。
 それが真理であり、全てだ。

貴女(あなた)に恨みはありませんが、私達だって死ぬ訳にはいかないのです。どうか、恨まないでください。

 心の中でそう呟いて、いざ引き金にかかった指に力を入れんとしたその時であった。

 全く予想だにしなかった“存在(モノ)”が、開かれた天井から“降ってきた”のであった。


 ズシィィィンッ!!


 轟音と土煙を巻き上げて、洞窟内の中心部に突如として“それ”は現れた。

 スコープをのぞき込んでいたエレンが、突然の事に驚いて、思わずスコープから目を離す。

「……そんニャ」

 エレンより先に降りてきた“それ”を目の当たりにしたネコチュウが、絶望に染まりきった声を上げる。

 そしてそれは、一拍遅れて目にしたエレンにも、同様の絶望感をもたらした。

「……どうして」

 形の良い唇から漏れた疑問に応える声はない。
 真っ赤な甲殻に覆われた巨体、二本の脚で地を踏みしめ、前足の代わりに生えた巨大な両翼。

 数ある飛竜種の中でも、伝説の“(ドラゴン)”の姿を最も彷彿(ほうふつ)させる、威風堂々たるその姿。

 今まさに、大タル爆弾で爆破せんとしていた雌火竜とそっくりな容姿(フォルム)を持つ、その(つがい)たる雄の火竜。

「リオ……レウス……」

 エレンは目の前が真っ暗になるりそうになるのを懸命に堪えるしかなかった。

 洞窟の入り口側に立つエレン達から、リオレイアを挟んだその先におり立った巨影は、紛れもなく空の王者リオレウスであった。

…何故……どうして。

 その胸中で疑問の声が連呼される。
 この雄火竜は、確かにディーンが引き付けるために、一人で相手しにていたはずである。

…まさか、ディーンさんが……

 考えてはならない事が、心の中に浮かび上がってしまい、さらなる絶望がエレンにのし掛かる。


 ガシャン!


 思わず取り落としてしまった猟筒(りょうづつ)が、思いの外大きな音を立てた。

「ミャ!? エ、エレン!? しっかりするニャ!」

 ネコチュウが叱咤の声を上げるのを聞いて、ハッとなったエレンが慌てて地に落ちたライトボウガンを拾い上げる。

 そうだ、まだ最悪の事態と決まったわけではないと、何とか心を落ち着けようとするエレン達であったが、事態はそれとは別の、最悪の方向へと向かっていく。


 グルルルル……


 聞こえた唸り声に、二人は驚いて眠っているはずのリオレイアの方に注意を向ける。

「お、起きちゃったニャ……」

 ネコチュウが一歩後ずさって言う。

 そう、少々の物音では起きなかった雌火竜が、遂に目覚めてしまったのだ。

 ──絶体絶命。

 エレンの胸中に、そんな言葉が浮かび上がる。

 ディーンの安否が気になって仕方がないが、それよりも何よりも、今はこの二匹が合流してしまった状況下に居合わせてしまった危機を、如何に脱する事の方が重要である。

 リオレイアは、自身の(ねぐら)に入り込んだ人間がいることを見つけて、気が立っているようだ。

 威嚇の声を上げると、リオレイアは自分と同じように、傷を負ったのであろう自身の伴侶(はんりょ)と共に、巣へと入り込んだ異分子を排除しようとしてリオレウスに視線を送り……

 そこで(いぶか)しげに首を傾げた。

 そしてその疑問は、緊張に身を固くして様子をうかがうエレンとネコチュウも、リオレイアの後ろに立つリオレウスの様を見て、同じ疑問に至る事となった。

 その頭部には無数の傷を負い、ボロボロになってはいる。特に一カ所、まるで巨大な(のみ)で甲殻を削り取ったかのように、額に大きな陥没(かんぼつ)があるにはあるが、その四肢(しし)にはまだ生命力を感じられる。

 だが、違和感があった。

 リオレウスは、まるで視野にエレン達どころか、番であるハズのリオレイアすら見えていないかのように、長い首を巡らせて、何かを探しているようだったからだ。

 その姿は雌火竜にとっても、エレン達に襲いかかるのを忘れてしまうほど、稀有(けう)なものであったのであろう。

 事実、リオレウスのその様子は、常軌を逸しているようであった。

 そう、まるで……

「脅えて……いるの……?」

 口にしたエレンですら信じられぬ事であるが、最早そうとしか考えられなかった。

 しかし、どうやら疑いようがないようだ。
 間違いなく、このリオレウスは脅えているのだ。

 空の王者の名を欲しいままとし、且つ、その種の中でも強大な個体であるハズの()の竜が、我を忘れて“ナニカ”に脅えている。

…いったい、なにに脅えているの?

 おそらく、この場にいる全ての者共通の疑問であった。
 そして、その答えは、間もなく自ずからこの場に訪れた。




…………ぞくり…………




 悪寒。

 エレンもネコチュウも、そして、二匹の火竜も同じ悪寒にその身を震わせる。

 がしゃんと、再びエレンが猟筒を取り落としたが、その場の誰もそれに注意を払う者はいない。

 恐怖。

 理屈ではない。それが、今この空間にいる者の共通の思いであった。

 リオレイアもそうだ。

 首を低くして、言いようのない恐怖に唸り声を上げている。

 そして、リオレウスに至っては、見るからに常軌を逸していた。

 限界を超えた恐怖は、既に彼の思考や行動すら犯し、その身を痙攣(けいれん)させる事しか許していないようであった。

 エレンがもし、もう少し経験のつまれた戦士であったのならば、この場を満たした空気が、純粋な殺気であることに気がついたかも知れない。

 人も人外(じんがい)ですらも、恐れおののく程の殺気が、広いこの空間に満ちていた。
 そして、その(ぬし)が現れる。
 それは先程リオレウスが現れたときと同じように、天井に開いた大穴から、唐突に降ってきた。


…ズンッ!!


 敷き詰められたら様々な骨を、土煙と一緒に撒き散らして、恐怖の権化が飛竜の巣へと降り立った。

 リオレウスとリオレイアのちょうど間付近に降り立ったその影。

 二本の脚で地を踏みしめ、その身には鉱石と怪鳥の皮から成した、バトルシリーズと呼ばれるハンター用の防具をまとい、右腕にダラリと下げられたら身の丈分の鉄刀を携えた一人の青年。

 今まで閉じられていたのか、その瞳がゆっくりと開かれ、(あお)い双眸が輝く。

「ディーン……さん……?」

 エレンが口にした言葉は、見紛う事無く本人であるはずのディーン・シュバルツを前にして、疑問符を拭いきれなかった。

 それは、彼を知るもう一人の人物であるネコチュウも同じ事。

 ディーンの瞳が(あお)くなる事は、エレンも一度見ていたし、ネコチュウも話くらいは聞いていたのだが、それでも今の彼は、“そんな生やさしい存在”ではなかったのだ。


 ガアアアァァァァァッッッ!!!


 突如として、リオレイアが咆哮を上げて駆けだした。

 それは、もしかしたら恐慌であったのかも知れない。

…兎に角、この恐怖の主を消してしまいたい。

 きっと、雌火竜の脳内はそんな考えであったのであろう。

 しかし、それは愚かな行為の他ならなかった。

 もしかしたら、ディーンを挟んで反対側で、恐怖のあまりに硬直しているリオレウスのようにしていれば、もう少しだけ長生きできたのかも知れない。

 (もっと)も……


 “数刻足らずで同じ運命には変わらないのだが”


 迫り来る雌火竜の巨体。

 対するディーンは、その瞳になんの感情すら浮かべず、ゆらりと右手に携えた太刀を振り上げる。
 そして……


 ザギィンッッッッッ!!!!


 ──振り下ろした。


 それだけ。たったそれだけで、雌火竜の動きが永遠に停止した。

 ズウンと頭から地面にめり込むリオレイアは、数回痙攣すると、その後は二度と動き出すことはなかった。

 一撃である。

 フィオールとミハエルが与えたダメージが有るにせよ、その威力たるや想像すら及ばない。

 更に驚くべき事に、対大型モンスター用に鍛えられた、頑丈であるはずの鉄刀(てっとう)神楽(かぐら)】が、その刀身の中程からばっきりと折れてしまっているのだ。

 折れた刀身の先は、半分以上地面に埋もれたリオレイアの頭頂部に突き立っていた。

 ポッケ村の加工屋の旦那が言っていた事が、ふとエレンの脳裏によぎる。

 当のディーンは、雌火竜を葬り去ったことに何の感動も見せず、ゆっくりと背後のリオレウスへと振り返る。
ジリ、と。対面するリオレウスが後ずさった。

 自分よりも遥かに小さいニンゲン相手に、その何倍も大きな火竜が気圧されている、異様な光景だった。

 だが、リオレウスもいつまでも脅えっぱなしではなかった。
 もしかすると、目の前で自らの伴侶が無惨にも殺されたことで、そのプライドを怒りとともに蘇らせたのかも知れない。


 ガアアアァァァァァッッッ!!!!


 意を決し、リオレウスも大地を蹴った。
 全身全霊を込めて、眼前の死の使いたるディーンに対し、渾身の体当たりを仕掛ける。

…否、目の前の“それ”は“()”だ。“()”そのものが(ヒトノカタチ)をしているのだ。
 排除しなくてはならない。
 何が何でも排除しなくてはならない。
 でないと、自らのたどる道は、自身の伴侶と同じである。

 錯乱する脳内で、リオレウスはそれ故に、一時的に恐怖を克服する。


 しかし……


 ゴッッ!!


 突如としてディーンの姿が(かす)んだかと思うと、次の瞬間には、突進を仕掛けていたリオレウスが横倒しになっていた。

 倒れ、痛みにもがくリオレウスの右頬には、頭部のモノと同じく、大きな(のみ)でえぐり取ったような跡。

「ニャ……(にゃ)ぐって…!?

 唖然とするネコチュウの口から、驚愕に染まった言葉が漏れる。

 その理由は、左腕でフックパンチを繰り出したままの姿勢で残身の姿勢をとるディーンの姿が物語っている。

 おそらく頭部の陥没も、彼の拳によって砕かれたのであろう事は間違いなかろう。

出鱈目(デタラメ)すぎるニャ……」

 驚き、呟くネコチュウであったが、だいぶ冷静さをとり戻せてきているようだ。

 その驚きが期待感(きたいかん)に変わるまで、そうはかからなかった。

「イケるニャ……これなら勝てるニャ」

 グッと握った拳に力が入るネコチュウであったが、傍らのエレンは違っていた。

 確かに、“今の”ディーンであれば、リオレウスを倒すであろう。


 ──一方的に。


「……だめ」

 か細い声が唇から漏れる。

 理屈はない、理屈はないのだが、“今の”ディーンは“よくない”。

 ガシャリ。

 ディーンが一歩、自身が殴り飛ばしたリオレウスへと歩き出す。

 先の一撃で、リオレウスは再び身を竦ませているようだ、ゆっくりと近づく死の化身を待つ事しかできていない。

「……ディーンさん……」

 エレンは思わず呼びかけていた。だが、小さなエレンの呼びかけに、ディーンの歩みは止まらない。

 遂に、恐怖に固まるリオレウスの眼前までやってきたディーンは、ゆらりと、半ばから折れた鉄刀を振り上げる。

 一瞬、それまで何の感情も映さなかったディーンの瞳に、ある種の光が浮かんだように感じられた。



 ……どくん!



 再び、空間そのものが重量感を増して、エレン達にのし掛かる。

 ディーンの横顔に覗く表情(かお)には、まるで愉悦のよう……

「だめぇぇっっ!!

 考えるより先に、エレンは叫んでいた。

 その悲痛な声は、普段の彼女からは想像できぬ音量となって、空洞内に響き渡る。
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