3節(6)

文字数 5,461文字

 皆が、ドスファンゴからの剥ぎ取りを終え、後は目と鼻の先のベースキャンプへと戻るだけである。

 そう思い、少し安心したからなのかもしれない。

 途端にエレンの良心が、彼女を締め付けた。

…ああ、遂に自分は、どんな理由があるにせよ、他者の命を奪ってしまったのだ……と。

 その時、自然と(うつむ)いてしまう彼女の頭に、ポンと暖かい手が置かれた。

 ディーンである。

 戦闘中、あれほど苛烈(かれつ)容赦(ようしゃ)のない太刀(たち)(さば)きを見せたディーンの右手が、今はそっとエレンの頭上に乗せられていた。

 思わぬ事にきょとんとするエレンに、彼女の知る黒い瞳のディーンはぶっきらぼうに口を開くのだった。

「……よく、頑張った」

 ぶっきらぼうだが、その言葉はいつになく暖かく、張り詰めていたモノを崩し、渦巻(うずま)いていたモノを解きほぐすには充分すぎた。

「……う……うあ……」

 一度いちど(あふ)れ出した感情を、エレンは止められなかった。

「うわああぁぁぁぁっ!!

 人前で、こんなに大泣きしたのは、一体いつ以来であろうか。

 その場にぺたんと座り込み、エレンは大きな声を上げて泣いた。

 みっともないとか、恥ずかしいとか、そういったことは考えられなかった。

 ただただ、無性に涙が溢れてきた。

 ディーンは、地面に座り込んでしまったエレンに合わせて膝を折り、彼女の頭を()で続けてくれた。
 フィオールとミハエルは、周囲の警戒のふりをしてくれた。

…ああ、私の手は、確かに血に()れた。

 けれども今、やっと、やっと彼等の、本当の意味での仲間になれたのだ。

 そう思うと、血に塗れた自身の手が、悲しいけれど、とても誇らしかった。

 もう少しだけ、彼等の優しさに甘えさせてもらおう。

 そして次からは、私も彼等のように強くあろう。

 もう私は、(きら)びやかに着飾ったお姫様ではない。
 彼らの仲間、誇り高きハンターなのだ。

 エレンはその誓いを胸に、今はただ、泣き続けるのだった……



・・・
・・




「と、まぁ。そんなこんなでドスファンゴを倒したことで、エレンちゃんもある意味吹っ切れたんでしょう。それ以降は、ディーン君やフィオール君に必死について行ってるみたいです」

 そう言って話を締めると、ミハエルは目の前で聞き手に徹する、教官とギルドマスターの反応を待った。

 時間は戻り、ここはポッケ村のハンターズギルド。

 今、ミハエルが彼等を相手に、その日の状況を説明し終えたところであった。

 一応ミハエルは、ディーンの瞳の件や、それに(ともな)う事は()せている。

 これは、ディーンたっての願いであったが、確かに彼の言うように、不用意に外部に()らさない方が良いと、ミハエルも思ったからであった。

「なるほどねぇ~。そんな事があったのね~」

「ふむ。まだまだヒヨッコのくせに、生意気なことを言いよるわい」

 二人の反応はそれぞれ違ったものだったが、どうやら納得してくれたようだった。

「にしても、やっぱり私の目に狂いは無かったわね~」

 ギルドマスターが言うのは、ミハエルの活躍についてである。

 彼としては、手伝った程度にしか自分のことは言ってないはずだが、どうやら勘のいいマスターには筒抜(つつぬ)けだった様子であった。

 実を言うと、その後はディーン達からも、執拗(しつよう)に誘いが来るようになり、ミハエルも少々困っていた。

「これを期に、ミハエル君も是非、ハンター登録しちゃいましょうよ~」

 いつになくにっこりと微笑みながら、ギルドマスターがミハエルに言う。

 必要とされていることは素直に嬉しいのだが、ミハエルはどうにも踏ん切りがつかなかった。

「……すみません」

 彼の口から謝罪の言葉がでると、ギルドマスターも「残念ね~」とは言うものの、それ以上しつこく誘ったりはしなかった。

 確かに、自分には案内人よりも、ハンターの方が向いているのだと思う。

 たったの一戦だけだが、ディーンやフィオール達と肩を並べて戦った興奮は、今思い出しても血が騒ぐようだ。

 何より、ディーンの(あお)い瞳。

 気にならないと言えば、嘘以外の何物でもなかった。

 実はあの後、エレンが(ようや)く落ち着きを取り戻し、さあ帰路に就こうと言う矢先、突然ディーンが倒れてしまっててんやわんやであった。

 皆で協力してベースキャンプへと運び、何とかベッドに寝かせてポッケ村からの迎えを待っている内に、けろりと復活してきたのだが、それまでの彼の苦しみっぷりは(すさ)まじかった。

 痛みで自力で身体を動かすことが出来ず、全身から汗が吹き出していた。
 後で本人の口から聞いたのだが、“ああ”なった後には、必ずこういう状態になるらしく、本人曰わく、痛みの程度は筋肉痛の約20倍くらいとの事。

 まさに地獄の筋肉痛である。

 直撃ではないにせよ、ドスファンゴの突進をくらっても、平気で立ち上がってきたディーンにしてそう言わしめるのだから、あまり体験したくない症状である。

 (あお)い瞳に関しても、本人にもよくわからないことらしい。

 わかっていることは、彼本人の推測でしかないが、感情の高ぶりで発現し、効果が切れると(しばら)くして、前記の様な激痛がその身に襲いかかるようだ。

「それにしても~、順調じゃない?彼等は」

 どうやら少々物思いにふけっていたようだ。

 気付けば、ギルドマスターが教官に話題を振っていた。

「うむ。さっきも言ったが、最初は不安だらけであったエレンの奴も、この調子で頑張れば、もしかしたらなかなかのモノになるやもしれんな」

 教官は、重ねた年月をシワにして刻み込んだその顎を撫でながら、ギルドマスターの問いに応える。

「他の二人は?」

 「フィオールとディーンか、奴らはなぁ……」更に問い掛けるギルドマスターに対し、彼にしては珍しく言葉を(にご)した。

「フィオールに関して言えば、まぁ、当然と言えば当然の事なのだが、正直教えることが全くなくてな。ある意味、鍛えがいのない新人だな」

 教官の言うことはもっともだ。

 フィオールはこのポッケ村に来る前に、一年間とは言え、ココット村でハンターとして活動している。

 全くの新人である他二名とは、知識も経験も雲泥(うんでい)の差と言うものである。

「じゃあ~、ディーン君は?」

 どうやら、教官が言葉を濁した最大の理由は、こちら側にあるようだった。

 教官は、ギルドマスターの何気ない質問に対して、どう応えたものかと、難しい顔をして「むぅ」と(うな)る。

…無理もないかな。

 ミハエルは心の中で教官に同情にも似た感情を覚えた。

 これまでディーンとは何度か同行したミハエルだが、あのディーン・シュバルツという青年、どうにも捕らえ所が無いというか何というか……

出鱈目(デタラメ)だな、アイツは……」

 そんなミハエルの心中を、教官の口から出た言葉がぴたりと言い表してくれた。

「我が輩が折角(せっかく)教えてやった型を、奴め、全く守っておらん。それでいて戦闘能力はとんでもなく高い。新人のくせに、我流(がりゅう)の戦い方でああも立ち回る奴など初めてだわい」

 先にも述べたように、型とは、その武器を最も効率的に扱うための物である。

 つまりは、その型を守らないと言うことは、最も効率的な体の動きを、自ら進んでしないと言うこと。

 それは、人の身でありながら、自らよりもはるかに大きい存在たるモンスターを相手にするハンターとして、考えられない話であった。

 理由は単純。そうでもしなければ勝てないからだ。

 極力無駄な動きを(はぶ)き、より効率的に得物に体重を乗せる。そうしなければ、モンスターの強靭(きょうじん)な肉体には刃が立たないのである。

 しかしディーンの剣技は、そんな常識などモノともしなかった。

 何よりも、大剣ほどとはいかないまでも、本来は屈強(くっきょう)な戦士でも両手でないと扱いきれない程の重量のある大太刀(おおだち)を、殆ど片手で扱うのだ。

 その時点で、とんでもない話である。

「そのくせ、戦闘以外はてんで不器用でな。特に肉焼き作業は壊滅的(かいめつてき)だ。エレンの方がずっと上手に焼いておるわい」

 教官が憮然(ぶぜん)とした表情で言う。

 そうなのだ。人間、こうまで極端に得手不得手の別れるタイプも珍しい。

 教官の言うように、こと争いごとに関しては、常識はずれの戦闘力を見せるディーンなのだが、それ以外は割と不器用だった。

 余談であるが、ディーン達は今、ポッケ村の広場に隣接(りんせつ)している、ハンター用のゲストハウスを間借(まが)りしている。

 そのゲストハウスだが、ディーンの部屋の散らかり様といったら、それはもう凄い有様(ありさま)である。

 たったの一ヶ月程度でああなった事を考えると、最早(もはや)惨劇(さんげき)と言えよう。

「確かに、ディーンの部屋の惨状を見るとニャ……不器用(ぶきっちょ)だって(はニャ)しの方が、(ニャん)だか説得力があるニャ」

 どうやら傍らのネコチュウも、ミハエルと同じ事を考えていたようだ。

 両手の平を上に見せて、ヤレヤレのポーズをするアイルーに、ミハエルもつい苦笑いするしかなかった。

 ちょうどそんな時、ギルドの入り口の戸が開く音がした。

「あら、しばらくね~。体の調子はどう?」

「やぁ姐さん。ご無沙汰してしまってすまんね。この通り、不自由なく生活できているよ」

 皆の視線が入り口に集まる中、挨拶(あいさつ)と共に入ってきた人物は、ギルドマスターににこやかに応えながら、彼らの元へと近づいてきた。

 マーサこと……ムラマサである。

「おお、マーサではないか。久しぶりだな」

「どうも、教官。相変わらず元気そうで何よりです」

 教官とも挨拶を交わしたムラマサは、話の和にミハエルがいる事を見ると、「おお、良かった。もしかしたら行き違いになるかと思っていたよ」と言うと、持っていた包みをテーブルに置いた。

 ごとり。と、重量感のある音を立てて置かれたその包みは、一抱(ひとかか)え程の大きさがあった。

「僕にご用ですか?」

 置かれた包みを気にしつつも、ミハエルはムラマサに聞いてみる。

 知らぬ仲ではもちろんないが、こうしてわざわざ、直接ミハエルを訪ねてくるなんて珍しい事だ。

「いやなに、ちょっと頼まれ事を、ね。ところで……」

 まるで、今から子供達に手品を見せようとする手品師(マジシャン)の様な表情を見せるムラマサは、一旦言葉を区切ると、ギルド内を見回した。

「ディーン君達の姿が見えないが……」

「ああ。あの子達なら、もうクエストに出たわよ~。昨日も雪山に行ってきたばっかりなのに、元気よね~」

 ムラマサの疑問にギルドマスターが微笑みながら応える。

 殆どのハンター達は、一回のクエストを終えると、最低でも2、3日の休養を取る。

 疲れをとると言う意味もあるが、どちらかと言えば、もう一つの理由の方が大きいかもしれない。

 理由は単純。ハンターへの報酬は、勿論ピンからキリまでだが、基本的に他の職業に比べて破格であり、そこまで毎日あくせくクエストに出る必要が無いのだ。

「まったくだ。流石(さすが)の我が輩も付き合いきれんわい」

 教官が呆れたように口を開く。

 そんな彼も、しょっちゅうディーン達に連れ回されたクチだった。

「まぁまぁ、血気(けっき)(さか)んで結構じゃないですか」

 マーサもその様子は見ていたので、やや苦笑気味(くしょうぎみ)に、悪態(あくたい)をつく教官に言うのだった。

「時に、ディーン君達は、今回どんなクエストに行ったのですかな?やはり、今回も雪山へ?」

 それかけた話題を戻し、ムラマサが問う。

 彼が言うように、今のところディーン達は、このポッケ村に来てからは、村から近いフラヒヤ山脈にしか行ってはいない。

 彼等ならば、もう遠征(えんせい)を視野に入れても大丈夫だろう。

 だが、問うムラマサの様子は、問いかけると言うよりも、確認を取りたがっている様子だった。

…何か、気になることでもあるのかな?

 ミハエルがそう考えている内に、ギルドマスターがムラマサの問いに応えていた。

「いいえ~。今回はちょっと遠出をしてるわよ~。ちょうどこの近隣(きんりん)からココット村まで向かう隊商(キャラバン)があったから、その護衛(ごえい)任務ね~。繁殖期にはまだ時間があるから、今の内にアルコリス地方を抜けてしまいたいみたい……」

「何ですって!?

 突然、ムラマサが大声を上げて、ギルドマスターの言葉を(さえぎ)った。

 普段は沈着冷静(ちんちゃくれいせい)な彼がここまで慌てるなど珍しい事だった。
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