1節(5)

文字数 5,847文字

 まず全身が痛みで動こうとしない。

 不幸中の幸いか、それ程深く(えぐ)られてはおらず、骨が折れた様子は無かった。まぁ、ヒビのひとつやふたつは入っているかもしれないが。

 胴鎧(どうよろい)殉職(じゅんしょく)したようだ。わりかし長い間使い込んだ物だったが、もう役には立たないだろう。兜も同様、先の攻撃で飛ばされた。

 武器はどうやら手放してしまったようだ。離れた場所に突き刺さった愛槍が見えた。

 他に身を守れそうなものは、腕に固定された盾ぐらいだが、体が動かない状況では宝の持ち腐れだった。

「くそっ。これまでか……」

 ハンターである以上、死は常に覚悟していたつもりだったが、いざ目の前にするとこうまで口惜しいものか。

 視線の先のティガレックスを憎々しく睨み付け、歯を食いしばるフィオールには、この後やってくる死の使いたる轟竜(ごうりゅう)をただ待っていることしか出来ない。

 ティガレックスはまるで()(どき)を上げるかのごとく一声吼えると、その(あぎと)をフィオールへと向けた。

 そして、ゆっくりと獲物へと歩み始めた時……


 異変が起きた。


 ウウゥゥゥゥゥ……


 それは何かの唸り声のようだった。最初に気づいたのは轟竜。
 地をはうような姿勢から体を立てて、きょろきょろと辺りを見回す。


 ウウゥゥゥゥゥ……


 遅れてフィオールにも聞こえた。

 獣が発するようなくぐもった声色。しかし、聞くモノを戦慄させるその唸り声は、次第にハッキリと聞き取れるようになっていった。

…一体何が?

 フィオールも、きっとティガレックスもそう思ったであろう。


 そして、“それ”は突然立ち上がった。


『ガアアァァアァァァァァァァッッッッッッ!!!!!!!!


 天まで揺るがさんばかりの叫びとともに、雪が崩れ落ちて積み上がった場所……

 ディーンが埋まっていた場所がまるで爆発でもしたように弾け飛んだ。

 そして舞上がる雪や土煙の中、“それ”が立っていた。


 ディーンである。


 着ているマフモフ装備はボロボロになっていて、フードなどは既にボロ布が頭に引っかかっている程度。しかし、常人なら明らかに重体であろう攻撃を受けたにもかかわらず、両足はしっかりと雪原を踏みしめ、右手には骨の太刀を携えて、その姿には目立った傷跡もみられない。

 そして、何よりも異様なのは……


(あお)い……瞳……?」


 フィオールがその様を口にする。

 確か、ディーンの瞳は黒かったはずだ。

 それに、“あいつ”の持つ威圧感は、人間のそれとは明らかに違う。
 フィオールも轟竜も同じ事を思った。

 即ち……


 あれ(・・)は、一体(・・)だ……と。


 ディーンはボロボロになったマフモフフードを剥ぎ捨てると、フィオールとティガレックスを順に見て状況を確認するや、突然彼等の視界から消えた。その碧白い双眸(そうぼう)の残像だけを残して。


 ドガァッッ!!


 一体何処へ、などと思う間も無く、ティガレックスが唐突にブっ飛んだ(・・・・・)

 けたたましい悲鳴を上げて轟竜の巨体が、文字通り“ブっ飛ばされた”のだ。

 轟竜はその巨体を二回バウンドさせ、更に半回転して背中から雪原に叩きつけられてようやく止まった。

 その場の誰しもが、何が起きたのか理解が追いつかなかった。

 先程までティガレックスがいた場所には、左足を高い位置で振り抜いた姿勢で静止しているディーンの姿がある。
 信じられないが、あの巨躯を誇るティガレックスを格闘技でいう回し蹴りをぶち当て、そのまま蹴り飛ばしたのだ“あいつ”は。

「……手前ぇ」

 足を下ろし、ようやくディーンが口を開いた。

「好き放題やりやがって、一張羅(いっちょうら)が台無しじゃねぇか」

 言い放つと、骨の太刀をブンと振り、轟竜を睨みつける。

 ティガレックスは、勢いよく起き上がり、より赤い模様を浮き上がらせて目の前に現れた驚異を睨み返す。

 自らが恐怖に震え、逃げ出すことを許さないのは、絶対強者のプライドの成せるわざだろうか。
 雄叫びを上げて、ディーンへと突撃するティガレックス。

 対するディーンは避けようともしない。どころか、太刀を後ろ手にさげ、自分から轟竜へと向かっていった。

「っ!? ディーン!!

 フィオールがディーンの意図を悟って声を張り上げる。当たり前だ、まともな神経のハンターなら、飛竜相手に正面切って切り結ぶなど、正気の沙汰ではない。

 ティガレックスが渾身の力でかぎ爪をディーンへと振り下ろす。

「ヌルい! 蜥蜴(とかげ)風情が!!
 一拍遅れてディーンが後ろ手に持った太刀を無造作に振り抜いた。


 刹那(せつな)


 悲鳴をあげて後退したのはティガレックスだった。

 轟竜の右のかぎ爪は無残に破壊され、今度は轟竜の血が雪原を染める。

 とても信じられる事ではない。

「ま、まさか……轟竜相手に、純粋に速さだけで()(せん)を取ったのだと言うのか」

 驚愕(きょうがく)、ただその一言である。

 ディーンは再び無造作に太刀を後ろ手にさげると、自慢のかぎ爪を破壊されて苦しむティガレックスに向かって言い放った。

「ギャアギャア騒がしい! 今すぐその(あご)かち割って、総入れ歯にしてやるぜ蜥蜴野郎(とかげやろう)!!

 啖呵(たんか)を切ったディーンは、間違いなく轟竜を圧倒していた。

 などと思うや否や、再びディーンが視界から消失。大地を蹴りティガレックスに肉薄する。

「シッ!!

 鋭く吐き出される呼気。ディーンは超加速の勢いそのまま、右手に持った骨の太刀を袈裟懸けに振り抜く。

 本来は轟竜の硬い皮膚に傷を負わせるほどの切れ味も強度も持たない骨の太刀が、易々とティガレックスの鱗を破壊し、肉を引き裂いた。

 上顎から鮮血を撒き散らし、大きくのけぞって後退するティガレックスを、ディーンは逃さない。

 開いた距離はすぐにゼロになる。

 袈裟掛けに振り下ろした太刀が、今度はもと来た軌跡をたどり、左下から右上へと走り抜ける。

 大剣やハンマー程とはいかないまでも、その長大さ故にかなりの重量を誇る太刀を、まるで片手用の剣を振るうかの如くの、片腕一本での上下の連撃である。

 再度鮮血が舞い散るがディーンは止まらない。


 否、止まってやらない。


 切り上げによって頭部が跳ね上がる。ディーンは斜めに振り抜いた勢いでくるりと右回りに一回転。

 回りながら素速く腕を引き戻して、がら空きの胴体へ突きを叩き込む。

 今度は落ちてくる頭を左回りのターンで落下地点からすり抜けると、振り返りざまに轟竜の顔面へ大上段からの唐竹割りをお見舞いした。

 この一撃がティガレックスの右目を正確に切り裂いた。


 グギャアァァァッ!?


 苦痛に絶叫をあげる轟竜。

 しかし、まさしく目の色を変えたディーンは容赦がない。

(やかま)しいっ!」

 無体に言い捨て更なる斬撃を繰り出した。


(ザン)!!


 流れを止めない回転斬りが轟竜の右頬を削ぐ。


 (ザン)!!!


 返す刀が鼻っ柱をぶった斬る。


 斬斬斬(ザンザンザン)!!!!
 斬斬斬(ザンザンザン)斬斬斬(ザンザンザン)斬斬斬(ザンザンザン)斬斬斬(ザンザンザン)ッッッッ!!!!!!


 まるで二刀を用いる双剣使いの乱舞が如く。

 ほんの数秒の間に轟竜をメッタ斬りにすると、ディーンは轟竜の傷だらけの顔面を蹴って距離をとった。

 最早(もはや)何回斬られたのかわからない。
 ティガレックスの顔面は、これでまだ死ねないのが不幸なことに感じられるほど変形していた。

 右目は潰され、切り傷で皮膚はズタズタ。血の流れていない面積の方が狭く、宣言通り牙はほぼ全てがボロボロで、人間なら間違いなく総入れ歯にせざるをえないだろう。

 だが、終始圧倒していたディーンにも、ここへきて変化があらわれた。

 突然、膝をついたのだ。

 太刀を杖代わりに崩れ落ちるのをこらえると、腹部を苦しげにおさえた。

「ディーン!?

 やはり先程の直撃のダメージが効いているのか。
 フィオールが痛む体をおして身を起こし、せめて回復薬でもと思った矢先だった。


「ハ……ハラヘッタ……」


 ディーンの、先程はあの轟竜ティガレックスを圧倒していたものとは思えない、なんとも情けない声が、静かな夜の雪原にこだました。


 痛いのを我慢して無理して体を起こしたフィオールが、再び雪原に突っ伏したのは言うまでもない。


「って、貴様~っ!?

 心配して大損した。

「うっせぇなぁ! こちとら昼から何も食ってない上にあんだけ暴れたんだ。そりゃ腹も減るわ! オマケに俺は怪我人だぞ!」

 振り返り言い返すディーン。
 瞳の色は(あお)いままだが、あの威圧感はなりを潜めていた。

 なんとも元気一杯な怪我人である。

「心配すんな。とっととこの蜥蜴野郎(とかげやろう)倒して、早いとこポッケ村で酒盛りだ。お前のオゴリだからなフィオール。覚悟しとけよ!」

 言ってのっそりと立ち上がるディーン。
 立った途端にまた圧倒的なプレッシャーが雪原を包んだ。

「……まったく、出鱈目(でたらめ)な奴だ」

 言った後に、つい苦笑するフィオール。

 何ともつかみ所のない、まさしく出鱈目な奴だ。

 だが、今はこの威圧感が何だか頼もしく感じられていた。

…さて、と。なんとか誤魔化せたな。

 未だこちらに手を出しあぐねている轟竜に向き直ると、ディーンは全身を走り回る激痛を堪えるために奥歯を噛みしめた。

…さっきはヤバかった。意識がふ~っと飛びかけたもんなぁ。

 それでつい膝をついてしまった。反射的に空腹を装って誤魔化したが、実際はあまりの激痛の為に立っていられなかったのだ。

 昔から、少なくとも“あの”事件から、いつの間にかディーンにはこの力があった。

 命が危険にさらされた時、感情が高ぶった時、或いはその両方。

 黒い瞳は(あお)くなり、もともと人間離れした身体能力が更に化け物じみたものになる。

 しかし、どうやら人間の身体の限界を越えたモノらしく、その反動は自身に激痛となって返ってくるという難点があった。

 ディーンは先程と同じように後ろ手に太刀をさげ、轟竜に向かって一歩進み出た。

「さぁて、お互い次の攻防が最後の力みたいだな」

 フィオールに聞こえないように呟く。

 対するティガレックスが唸り声で返す。

 言葉は届かなくとも、自身の命運がこの一瞬で決まことを感じているのかもしれない。

 しんと空気が静止する。この一刹那が勝負を決める。


…勝負っ!!


 二者、同時に地を蹴った。
 ディーンもティガレックスも雄叫びをあげ、眼前の敵を睨みつけ駆ける。
 互いに渾身の一撃を相手叩き込むために。


「はああぁぁぁぁっ!!!」

 ガアアァァァァッ!!!


 ディーンが両手にもった太刀を全力で振り抜く。
 ティガレックスもその剛腕を振り下ろした。


 ばきぃぃぃんっっ!!


 硬質な破砕音が雪原に鳴り響き、ディーンの身体が大きく後方へと弾き飛ばされる。

 フィオールが一瞬息を呑むが、弾き飛ばされたディーンと相対していたディガレックスも頭部を雪原に叩きつけれられ、急停止を余儀なくされていた。

 結論から言えば、最初に力尽きたのは、ディーンでもティガレックスでもなく、ディーンの持つ太刀の方だった。


 刹那の攻防はディーンに軍配が上がっていた。

 振り下ろされた切っ先は轟竜の一撃よりずっと早くにティガレックスの脳天をとらえ、その頭蓋(ずがい)を粉砕させていたのだ。

 しかし、彼のその斬撃に武器の方が着いていけなかった。命中した瞬間に刀身が半ばから砕けちっていた。

 結果的にディーンは、ティガレックス勢いを殺しきれず、轟竜と正面衝突。轟竜に比べはるかに体重の軽いディーンは大きく後方へ弾き飛ばされたのである。

 幸いティガレックスの勢いも、ディーンの斬撃によってその威力を大きく()がれていた為、吹き飛ばされたディーンは何とか致命傷を免れていた。

 ワンバウンドした後、空中で身体をひねって強引に着地、両脚と片手でずざざっと数メートル雪上を滑って、ディーンはようやく停止する。

 ティガレックスは、一度だけ苦しげに呻いて身を起こそうとするが、どうやたそこまでが限界だったらしく、ズシンとそのまま崩れ落ちて動かなくなった。

 立ち上がったディーンは轟竜に一瞥(いちべつ)をくれ、動かないことを確認すると、右手に視線を落とす。

 そこには刀身が半ばから砕け散った骨の太刀。もはや只の棒きれと大差なかった。

「はぁ~」

 勝利の喜びよりも先に溜め息がでた。

 村を出るときに選別がわりに貰った大事な武器なのに。折れるどころかまさか砕けるとは……

 同様のマフモフ装備もズタボロ。散々である。

「ディーン!」

 とりあえず太刀を背中に引っかけると、予想外に近くでフィオールの声がした。

 どうやらさっきの攻防で彼の近くに飛ばされたようだった。

 今更ながらに背後に崖があり、危うく落ちるところだった事をディーンは知った。

「大丈夫か!?

 フィオールが何とか立ち上がり、足を引きずりながら歩み寄る。

 応と返して彼に手を貸す。

 お互い満身創痍(まんしんそうい)だった。

「派手にやられたな」

 傷に響かないように気を使いながら、フィオールに肩を貸すディーン。

「お互い様だ。……ってお前、瞳の色が……」

 見れば軽口を叩くディーンの瞳は、元の黒い色に戻っていた。

「あ~……いや、これは……」

 彼の腕を肩に担ぎながら、ディーンは言葉に迷ってしまった。
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